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競走馬名パブリシティ権第2事件:東京地裁平成10年(ワ)23824号平成13年8月27日判決(棄却)

〔キーワード〕
物のパブリシティ権、物のパブリシティ価値、顧客吸引力、経済的利益、所有権、人格権、実定法上の根拠

 

〔事  実〕

1. 本件は、競走馬を所有する原告ら23名が、原告らの所有する「競走馬の名称」を使用して家庭用ビデオゲームソフトを製作、販売等する被告A社の行為は、いわゆる「パブリシティ権」の侵害に当たるとして、前記ゲームソフトの製作等の差止め及び不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
(1) 原告らは、別紙「競走馬所有関係、損害及び請求金額一覧」の各(1)欄記載の各競走馬(以下「本件各競走馬」という。)を、同 欄記載のとおり所有し又は所有していた。
(2) 被告は、平成8年3月ころから、別紙物件目録1記載の各ゲームソフトを製作、販売し、また、訴外N社に対し、別紙物件目録2記載のゲームソフトの複製を許諾している(争いがない。)。
(3) 別紙物件目録1及び2記載の各ゲームソフト(以下「本件各ゲームソフト」という。)は、家庭用ゲーム機で使用するビデオゲームソフトであり、プレーヤーが、競走馬の生産者、調教師及び馬主として、牧場、一頭の繁殖牝馬及び一定額の資金を与えられ、種牡馬と繁殖牝馬の血統や特性を考慮しつつ交配を行って馬を生産し、牧場で仔馬を育て、厩舎において競走馬としての調教を行い、競馬場のレースで勝利を目指し、賞金を獲得すれば、より良い種牡馬と繁殖牝馬の交配を行うことでさらに強い競走馬を育成し、いわゆる「G1」レースの制覇を目指すことなどを内容とする、競走馬育成シュミレーションゲームである。
(4) 本件各ゲームソフトにおいては、種牡馬、繁殖牝馬及びレースに出走する競走馬の一部に、別紙「競走馬使用状況一覧表」記載のとおり、原告らが所有する本件各競走馬の名称が使用されているが、被告は、上記使用について原告らの許諾を得ていない(争いがない。)。
2. 原告は次のように主張した。
(1) 物の所有者は、所有に係る物が、商品の購買に当たっての訴求力又は顧客吸引力等の経済的利益、すなわち「パブリシティ価値」を備えるに至った場合には、物の「パブリシティ価値」を利用して、商品を製造したり、対価を得て商品化を許諾したりするなど、その経済的利益を排他的に支配する財産的権利、すなわち「パブリシティ権」を享受すると解すべきである。
 「パブリシティ権」を定める実定法は存在しないことは認める。
(2) パブリシティ権侵害の有無
ア. 原告らは、本件各競走馬の所有者である。
イ. 本件各競走馬には、以下のとおり、商品の購買に当たっての訴求力又は顧客吸引力を生じさせる「パブリシティ価値」がある。
 すなわち、本件各ゲームソフトにおいては、プレーヤーが競走馬を生産、育成し、レースに出走させるすべての過程において、実在の競走馬の名称とともに、実在の競走馬が有する種々のデータが用いられており、例えば、生産においても、種牡馬、繁殖牝馬を選択するに当たり、実在の競走馬のデータをもとに選択することで、プレーヤーの育成する競走馬が実在感を持ち、さらにそれをレースに出走させる場合も、実在の競走馬と競い合わせることによって一層ゲーム性が高められている。すなわち、本件各ゲームソフトの最大の特徴は、実在の競走馬とともに現実感をもってプレイすることができる点にあるのであって、本件各競走馬の名称等を使用していることによって本件各ゲームソフトの商品価値が高められ、その販売が促進されている。
ウ. したがって、原告らは、それぞれ所有する本件競走馬について、そのパブリシティ価値を利用して商品を製造したり、また対価を得て商品化を許諾したりするなど、その経済的利益を排他的に支配する財産的権利である「パブリシティ権」を有する。
 よって、被告が本件各ゲームソフトを製作する行為等は、本件各競走馬のパブリシティ価値を無断で使用するものであり、原告らの「パブリシティ権」を侵害するから、原告らは、被告に対し、本件各ゲームソフトの製作等の差止め等を求める権利を有する。
(3) 損害について
 「パブリシティ権」を侵害した本件各ゲームソフトを製作販売したことによって生じた原告らの損害は,以下のとおり算定されるべきである。被告は,平成8年3月以降現在までの間に,本件各ゲームソフトを総計200万本以上販売し,その販売総額は100億円をはるかに上まわる。原告らは,本件各競走馬の,いわゆる「パブリシティ権」利用の対価として,競走馬一頭当り少くとも金100万円の利益 を得べきところ,被告の前記不法行為により,同額の損害を被った。
 よって,原告らは,被告に対し,いわゆる「パブリシティ権」侵害に基づく損害賠償として,別紙「競走馬所有関係,損害及び請求金額一覧」の各(2)欄記載の損害について,同欄記載のとおり損害 の全額又は内金の支払を求める。

 

〔判  断〕

 

1. いわゆる「パブリシティ権」の内容及び法的根拠について
(1) 原告らは、物の所有者は、所有に係る物が、商品の購買に当たっての訴求力又は顧客吸引力等の経済的利益、すなわち「パブリシティ価値」を備えるに至った場合には、物の「パブリシティ価値」を利用して、商品を製造したり、対価を得て商品化を許諾したりするなど、その経済的利益を排他的に支配する財産的権利、すなわち「パブリシティ権」を取得すると解すべきであることを前提に、被告が本件各ゲームソフトを製作、販売する行為は、この排他的権利を侵害すると主張して、同行為の差止め等を求めた。
 ところで、原告らは、本件訴訟において、排他的な権利が認められるべきであるとの結論を述べるのみで、その法的な根拠を一切明らかにしていない(のみならず、原告らは、本件請求は、所有権、人格権又は知的財産権に基づく請求とは異なる別個の請求であると釈明する。)。
(2) そこで、このような本件の特殊性に照らして、原告らの法的根拠に関する主張の有無にかかわらず、広く「物の経済的価値を排他的に支配する権利」が認められるか否かについて考察する。
 当裁判所は、原告らの主張に係る「物の顧客吸引力などの経済的価値を排他的に支配する財産的権利」の存在を肯定することはできないと判断する。
 その理由は、以下のとおりである。
1. 排他的な権利を認めるためには、実定法の根拠(人格権など明文がないものも含む。)が必要であるが、原告らが主張する「物の経済的価値を排他的に支配する権利」を、従来から排他的権利として認められている所有権や人格権の作用を拡張的に理解することによって、根拠付けることは到底できない。
2. 上記のとおり、排他的な権利を認めるためには、実定法の根拠が必要であるが、知的財産権制度を設けた現行法全体の制度趣旨に照らし、知的財産権法の保護が及ばない範囲については、排他的権利の存在を認めることはできない。また、「物の経済的な価値を排他的に支配する」利益を尊重する社会的な慣行が長い間続くことによって、これが慣習法にまで高められれば、明文上の根拠がなくとも、排他的権利の存在が認められるとの見解に立ったとしても、原告らが主張する排他的権利を肯定することは到底できない。
(3) まず、1.について、簡単に補足する。
 実定法上の根拠が存在するか否かを考察する。さし当たって、所有権及び人格権の2つの権利の内容を拡張的に解することによって、この点が肯定されるかを検討すれば足りるであろう。
 第1に、所有権の権能を拡張的に理解することにより根拠付けられるかをみてみる。
 所有権は、有体物を客体とする権利であって、その作用は、有体物を物理的に占有支配する権能及びこれを円滑に行使するのに必要不可欠な権能(例えば、登記請求権等)にとどまる。物の所有者以外の第三者が、物に備わった顧客吸引力を利用する場合であっても、所有者の物に対する物理的な支配状態を妨げない限り、所有者が物について有する排他的な支配権と矛盾しないというべきであるから(最高裁昭和59年1月20日判決民集38巻1号1頁参照)、所有権の 作用によって、物の顧客吸引力などの経済的価値を排他的に支配する権利を基礎付けることはできない。
 第2に、人格権により根拠付けられるかについて検討する。
 第三者が、他人の所有物を、所有者の承諾なく、物理的に毀損したような場合であっても、特段の事情の存しない限り、所有者の人格権を侵害することがないことは明らかである。これと同様に、第三者が、他人の所有に係る物について、所有者の承諾なく、その物が備える顧客吸引力を利用したとしても、所有者の人格権を侵害することにはならないことも明らかである。
 確かに、第三者が、社会的評価、名声等を獲得した自然人の氏名、肖像等を、当該自然人の承諾なく利用した場合に、その利用行為が、当該自然人の社会的評価、名声等を低下させると評価される限りにおいて、当該自然人の人格権を侵害することになるため、当該自然人は、自己の人格権に基づいて、氏名、肖像等を利用する第三者の行為を差し止めることができる。このことを経済的な側面から観察すれば、自然人が社会的評価、名声を獲得した場合には、顧客吸引力などの経済的価値を利用する一切の行為を独占することができると理解することもできよう。
 しかし、このような排他的な権能は、あくまでも、自然人が本来有している人格権が 侵害されたと評価される場合に初めて認めら れるのであって、これと異なり、そもそも、第三者が、他人の所有物を利用しても、直ちには物の所有者の人格権を侵害するものではないから、人格権を基礎にして、原告らの主張するような排他的権能を根拠付けることは到底できないといわざるを得ない。
 以上のとおり、原告ら主張に係る「物の利用に関する排他的財産権」を、従来排他的 権利として承認されている所有権や人格権の 作用を拡張的に理解することによって、根拠付けることはできない。
(4) 次に、2.についても、簡単に補足する。
 仮に、「所有者は、自己の所有物について、訴求力又は顧客吸引力等の経済的利益を 備えるに至った場合、物から生ずる経済的利 益を独占的に享受する」ことについての社会的な慣行が存在し、その慣行が、長い期間尊重され、慣習法にまで高められていたと評価されるような場合に、そのような権利利益を排他的な権利として肯定することができるという見解が採用し得るとした場合、原告らの主張に係る排他的権利を肯定する余地があるか否かについてみてみる。
ア. 我が国において、物の名称等の使用等に関しては、著作権法、商標法、不正競争防止法などの知的財産権関係法が置かれ、それぞれの法律の立法趣旨に沿って、各法律が、所定の範囲の者に対して、所定の要件の下で、排他的な使用権(すなわち専有権)を付与している。例えば、著作権は、著作権の取得要件や著作権の制限について詳細な規定を置いた上で、著作物の創作者等に対して、排他的権利である著作権及び著作者人格権を付与しており、また、不正競争防止法は、いわゆる周知又は著名な商品等表示を取得した者などに対して、当該商品等表示を使用する排他的権利を付与している。
 各法律により、それぞれの権利の発生原因、内容、性質、範囲、消滅原因等が明確に規定されている所以は、そもそも、法律の制約がない限り、国民は私的活動の自由が保障されていること、また、排他的な権利は一般人の経済活動や文化活動の自由を抑制するものであり、取得原因、内容についての明確な規定を設けることなく排他的権利を付与することがあれば、国民の行動の自由を過度に制約するおそれが生じて、妥当でないことなどの理由によるものである。
 このように、知的財産権関係法が付与する排他的権利は、その性質上、権利者に対して、独占的保護の限界を画したものと解されるべきであり、第三者に対して、行為の適法性の限界を画するものとして解されるべきものである。したがって、第三者が、知的財産権関係法の定める排他的権利の範囲に含まれない態様で行為をすることは、適法な行為というべきことになる。
イ. また、物の所有者が、資本、労力及び時間を費やして、物の顧客吸引力を高めた場合には、実定法の根拠がなくとも、投下した資本等を回収するための手段として、所有者の排他的権利を認めることこそが、合理性に適うという見解もなくはない。
 しかし、投下した資本等の回収を図る必要性があるか否か、あるいは物に顧客吸引力が生じたか否かという基準は、あまりに主観的かつ曖昧にすぎるのであり、これらの不明確な基準により、排他的権利の発生を肯定するようなことがあれば、その独占的保護の外延が明らかでないため、混乱を招くことになりかねず、実際にも、このような見解や実務慣行が、長年承認されてきたと認めることはできない。
ウ. さらに、第三者が、他人の所有物について生じた経済的な価値を利用しようとする場合に、有償又は無償で、所有者の許諾を受ける実例が無いとはいえない。
 しかし、一般に、排他的保護が及ばない場合であっても、紛争をあらかじめ回避して円滑に事業を遂行し、あるいは、より詳細な情報を所有者から得るなど、さまざまな目的で、利用者が許諾を受けることもあり得るのであるから、このような実例があるからといって、直ちに、「物から生ずる経済的利益を独占的に享受する」ことを承認する社会的な慣行が定着し、その慣行が、長い間尊重され、慣習法にまで高められていたと認めることはできない。
 以上検討したとおり、知的財産権法の保護の及ばない範囲について、投下資本の回収の必要性等の理由によって、排他的権利の存在を肯定することはできないし、物の所有者は物の名称等につき排他的に利用することができるとの社会的な慣行が存在し、その慣行が長い間尊重され、慣習法にまで高められていたと認めることもできないから、原告らが主張する排他的権利の存在を肯定する余地はない。
2. 損害賠償請求権に関する付加的判断
 以上のとおり、原告らの主張に係る「物の経済的価値を排他的に支配する財産的権利」の存在を肯定することはできないから、原告らの損害賠償の請求も理由がないことになる。
 なお、原告らが本件各競走馬から生ずる経済的価値の利用について、単に事実上の利益(期待権)を有するにすぎない場合であっても、このような原告らの利益の程度と被告の行為態様の反社会性の程度とを総合的に考慮することにより、被告の行為が民法所定の不法行為に該当するとして、損害賠償義務を負うと解する余地もないではない。もっとも、本件において、原告らは、このような観点からの損害賠償請求をしているわけではないけれども、本件請求の特殊性に鑑み、念のため、この点についても判断する。
 当裁判所は、本件ゲームソフトを製作、販売した被告の行為の態様、性質、競走馬の名称を使用するに至った経緯、原告らの事実上の利益の性質、内容等を総合考慮して、被告の行為が民法所定の不法行為に該当すると解することはできないと判断する。その理由は、以下のとおりである。
(1) 前提となる事実、証拠によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。
ア. 本件各ゲームは、一定の資金等を与えられたプレーヤーが、費用を支出しつつ競走馬の交配、生産、調教、あるいは厩舎の維持等を行い、資金が底をつけばゲームが終了するという制約の中で、どのように交配して馬を生産し、これをどのように調教するか、どのレースに馬を出走させ、どの騎手に騎乗させて騎手にどのような指示を与えるか、いつ馬を引退させあるいは売却するかといった様々な事柄について、馬の交配や血統に関する知識を利用し、あるいは馬の特性や適性を考慮しつつ決定や選択を繰り返すことによって、あたかも実際に馬の生産者、馬主又は調教師になったかのようにゲームを進め、その過程でプレーヤーが成功や挫折を経験するという、競走馬育成シュミレーションゲームである。
イ. 本件各ゲームソフトでは、種牡馬、繁殖牝馬、競走馬の一部に実在する多数の競走馬(甲82によれば種牡馬240頭、繁殖牝馬340頭とされ、他の同種ゲームの例に照らすと、全体では1000等を超えるものと推認される。)の名称や、その他血統、距離特性、実績などのデータが使用されている。しかし、本件各競走馬の名称等は、プレーヤーが、本件各ゲームソフトを使用して、プレーをする段階でゲーム中の要素として現れるにすぎない。被告は、本件各ゲームソフトを販売するに当たって、特定の競走馬に対する関心、好意又は憧憬に訴えて、顧客の購買意欲を高めようとしたことはなく、また、特定の競走馬に関連する宣伝広告をしたことはない。
ウ. 他方、原告らの中には、被告以外の競馬ゲームソフトを製作、販売するメーカー数社に対し、それぞれの有する競走馬の肖像、名称等の使用を許諾し、ゲームの販売額や使用する馬の数に応じて使用料の支払を受けた者がいる。本件各競走馬の中には、いわゆるG1レースに出走した馬もあるけれども、原告らが、その所有する競走馬の顧客吸引力等を利用して、格別の営業活動を行っていた形跡はない。なお、このように排他的利用権を有しない領域においても、当事者間において使用許諾契約が交わされる例は世上あり得るが、その目的は、究極的には、紛争を予め回避したり、より詳細な情報を得るためのものと解される。
(2) 上記認定した事実、すなわち、被告の本件ゲームソフトにおける本件各競走馬の名称の使用態様、ゲームソフトの内容、性質と、原告らが本件競走馬の名称等を利用していた状況等を総合考慮すると、本件ゲームソフトを製作、販売した被告の行為が、原告らの所有する本件各競走馬の利用を妨げたり、その客観的価値を著しく損なうような反社会性の強い不法行為に当たると解することはできない。
3. 結論
 以上のとおり、物の所有者は、物の顧客吸引力などの経済的利益を排他的に支配する財産的権利を享受するとする原告らの主張は、主張自体失当として採用することはできない。
 したがって、被告が本件各ゲームソフトを製作する行為等は適法というべきであるから、その余の点を判断するまでもなく、原告らの被告に対する差止請求及び損害賠償請求は理由がない。
〔研 究〕
1. 名古屋地裁平成12年1月19日判決及び名古屋高裁平成13年3月 8日判決の「競走馬名パブリシティ権」の第1事件においては、被 告のゲームソフトは、プレーヤーがジョッキーになり、自分の選択する競走馬に騎乗し、実際の競馬場を再現した画面においてレースを展開するものであった。
 これに対し、東京地裁の第2事件における原告23名は、第1事件の原告22名とは3名を除いては一致していたが、被告のゲームソフ トは競走馬育成のためのシュミレーションゲームであり、そのコンテンツは全く異なるものであった。
2. さて、判決のよく整理された当事者の主張を読むと、原告は 「パブリシティ権」の法的根拠や内容について、的確に釈明していないことになっている。また、原告は、この権利の保護を求める根拠として、所有権、人格権、商標法、不競法、「物の名称」などに基いているものではないとの消極的主張はしていても、例えば不法行為法や不当利得法に基くという実定法上の法的根拠を積極的に主張し、そこに「モノの名称」のパブリシティ価値が保護される利益のあることを強調しているようにうかがえないのは不思議である。
 しかし、原告が、「モノの名称」それ自体には、物の経済的利益を排他的に支配する権利が発生するのではないと、もし本当に主張していたのであれば、G1クラスの競走馬のような「モノの名称」自体が、顧客吸引力という経済的利益ないし価値を有することを否定しているように解されるから、不利である。本件の場合は、物のパブリシティの価値は、G1レースに登場した競走馬の「名称」にこそ発生しているのであり、それは馬自体から独立した一種の“無体財産”と評価できるものであることは、名古屋地裁判決で明示されているのである。
 したがって、G1レースに登場するような著名な競走馬の名称には、登録をしていない著名商標や著名デザインの場合と同様に、第三者によって無断使用されてはならない不法行為から保護されるべき財産的利益があるのであり、それを「パブリシティ権」と呼ぼうと呼ぶまいとは関係がないというべきだろう。
3. 名古屋地裁第1事件では、不法行為に基く損害賠償を認める判決が出ているのだから、原告は不法行為を法的根拠にあげていた筈である。
 しかし、東京地裁では結局、原告が物の「パブリシティの価値」を保護すべき実定法上の根拠を明らかにしなかったことから、知的財産法においてその保護が及ばない範囲について排他的権利の存在を認めることができないと判示されたことがすべてであり、原告の主張自体失当であるとされたのである。その結果、被告が本件各ゲームソフトを製作する行為は適法と判断されたのである。
 しかし、この判決は、結局、著名な競走馬の名称を、「有体物の所有権」の立場から考えたから、実定法上の根拠のない所有権であると一蹴されることになったが、東京地裁が、物に対する「パブリシティ権」の存在を否定した2つの理由を、名古屋地裁の判決と対比してみると、次のようになる。
(1) 東京地裁の理由1.に対する名古屋地裁の判断:
「『著名人』でない『物』の名称等についても、パブリシティの価値が認められる場合があり、およそ『物』についてパブリシティ権を認める余地がないということはできない。また、著名人について認められるパブリシティ権は、プライバシー権や肖像権といった人格権とは別個独立の経済的価値と解されているから、必ずしも、パブリシティの価値を有するものを人格権を有する『著名人』に限定する理由はないものといわなければならない。
 このような物の名称等がもつパブリシティの価値は、その物の名声、社会的評価、知名度等から派生するものということができるから、その物の所有者(後述のとおり、物が消滅したときは所有していた者が権利者になる。)に帰属する財産的な利益ないし権利として、保護すべきである。」
「『物』一般について、物の有する顧客吸引力について所有者以外の者が利用するのは自由であるという根拠はなく、その物の内容、顧客吸引力の程度とこれを備えるに至った事情によっては、所有者以外による顧客吸引力の利用は制約されるべきであるとの商業的通念が形成される場合もあるのであり、顧客吸引力が主としてその運動能力により形成され、広い範囲の大衆の人気を得ているなど、他のプロスポーツ選手の場合と現象的には異ならない本件のような競走馬については、顧客吸引力の商業的利用の制限についての通念が形成されている可能性が大であり、どのような利用も違法にはならないと断言することはできない。」
「著名人に関するパブリシティ権は、人格権として認められるプライバシー権や肖像権とは別個独立の経済的価値として把握されるものの、パブリシティの価値が著名人自身の名声、社会的評価、知名度等から派生することから、著名人がこれを自己に帰属する固有の利益ないし権利と考えるのは自然であるとして、その発生の時から人格権の主体である当該著名人に帰属するものとされており、人格権の帰属と表裏一体の密接な関係を有するものとして認められる。これに対し、物については、人格権を観念することはできず、物に対する所有権との関係で考慮する必要がある。
 原告らは、本件各競走馬の馬名等のパブリシティ価値を、所有権に含まれると主張している。しかしながら、所有権は、有体物をその客体とする権利であるから(民法206条、85条)、パブリシティ 価値のような無体物(無体財産権)を権利の内容として含むものではない(最高裁昭和59年1月20日判決民集38巻1号1頁参照)。した がって、パブリシティ価値は、所有権の内容の一部であることは観念できず、所有権とは別個の性質の権利であると解するほかない。ただし、パブリシティ価値は、飽くまでも物自体の名称等によって生ずるのであり、所有権と離れて観念することはできないものといわざるを得ず、所有権に付随する性質を有するものと解される。」
(2) 東京地裁理由2.に対する名古屋地裁の判断:
「なるほど、現行法上、商標法、商法等により氏名、肖像等の経済的価値を把握し、これを利用することを積極的に保護しているが、商標法による保護は、それが指定商品又は指定役務について商標登録された場合にのみその範囲において認められるものであり、商法による保護は商人が営業活動をするについて用いる商号に限られるし、不正競争防止法による保護を受けるためには、それが同法にいう需要者の間に広く認識された商品等表示に該当し、かつこれと同一又は類似の商品等表示を使用する等して商品又は類似の商品等表示を使用する等の行為がされる場合に限られる。また、物の名称等は、思想、感情の表現でなく、著作物性が認められないから、著作権法(著作隣接権を含む。)の保護を受けない。このように、商標法、商法、不正競争防止法、著作権法など現行の知的財産権法による権利だけでは、前記経済的価値の保護に十分ではない。
 たしかに、「物のパブリシティ権」は新たな権利であり、公示手段の不明確性とあいまって種々の問題があり、その権利の主体や客体、成立要件や権利期間、譲渡方法、公示方法、侵害手段等が明確にされる必要がある。
 しかし、社会状況の変化により、新たな権利が認められてきたことは、歴史的事実であって、その価値ないし利益が社会的に容認されるものであり、かつ、その社会において成熟したものであれば、これを保護する必要があり、また社会的正義にもかなうものと解される。」
4. このように、東京地裁の判決は、「パブリシティ権」換言すれば「物の利用に関する排他的財産権」を、従来の所有権や人格権の作用を拡張的に理解しようとしても、承認することは不可能と考えた。しかし、人格権による根拠づけをも考えていることは、「パブリシティ権」の発生は、本来個人の有する「プライバシー権」という人格権に由来するものであるとしても、それとは独立してその個人の名前を、他人が他人のサービスや商品の販促のために使用することは、これによって商業的利益の獲得を期待しているのであるから、この判決が、個人のもつ人格的価値と財産的価値とを分離して考えていないことは、「パブリシティ権」の性質を真に理解するまでには至っていないといわれるべきであろう。
 まして本件は、特定の顔姿(肖像)を有するものではない競争用の馬の名前であるから、特定の顔姿(肖像)を有する実在人物の名前の場合と同列に考えることはできない。それは、名古屋地裁が顧客吸引力を有する「モノの名称」を準パブリシティ権として保護対象とする無体財産と解したように、馬主がその馬の名称について有する無体財産に対する不法行為と考えることである。
 なお、名古屋地裁も東京地裁も、所有権の権能についての説示のために、最高裁昭和59年1月20日判決を引用しているが、その目的 は相違している。
 名古屋地裁における第1事件と矛盾する東京地裁の本件判決に対しては控訴されたが、名古屋高裁の判決は現在上告されているから、最高裁の判断の方が早く出るかも知れない。

[牛木理一]