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均等論と自由技術論 
−ボールスプライン軸受事件最高裁判決に思う−

 牛木理一  

 
 はじめに
 一. 東京地裁判決の考え方
 二. 東京高裁判決の考え方
 三. 最高裁判決の考え方
 四. 研 究
 むすび

 
はじめに
 原告T社は、昭和46年4月26日に出願し、昭 和53年7月7日に公告し、昭和55年5月30日に設 定登録した特許第999139号の特許権の特許権者であり、本件発明の名称は「無限摺動用ボールスプライン軸受」という。
 この特許権の技術的範囲は、明細書の「特許請求の範囲」の記載から、次の構成要件から成るものであった。(符号は筆者記入)
1. 円筒内壁に断面U字状のトルク伝達用負荷 ボール案内溝(6)と、該溝よりもやや深いト ルク伝達用無負荷ボール案内溝(5)を軸方向 に交互に形成し、その両端部に前記深溝と同一深さの円周方向溝を形成した外筒(1)。(以下「構成要件A」という。)
2. 前記外筒(1)内壁の軸方向に形成したトルク伝達用負荷ボール案内溝(6)とトルク伝達無 負荷ボール案内溝(5)に一致して薄肉部と厚 肉部を形成し、さらに前記薄肉部と厚肉部との境界壁に形成した貫通孔と前記厚肉部に形成した無負荷ボール溝(15)へボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝 を形成した保持器(2)。(以下「構成要件B」という。)
3. 前記保持器(2)と前記外筒(1)間に組み込ま れたボール(3)とによって形成される複数個 の凹部間に一致すべく複数個の凸部(10)を軸方向に形成したスプラインシャフト(9)。(以下「構成要件C」という。)
4. 前記外筒(1)と前記保持器(2)とスプライン シャフト(9)を嵌挿組み立てる。(以下「構 成要件D」という。)
5. 無限摺動作用ボールスプライン軸受。(以 下「構成要件E」という。)

 被告T社は、おそくとも昭和58年1月頃から 、業として被告製品を製造販売した。
 これに対し原告は、被告に対し被告製品の製造販売の禁止とその廃棄を請求するとともに、損害賠償金の支払いを請求した。
 しかし、この特許権侵害差止等請求事件は、次のような長い裁判経過をたどって現在に至っている。
(1) 東京地裁昭和58年(ワ)12677号.平成3年4月19日判決(棄却)〔知的裁集26巻1号89頁〕
(2) 東京高裁平成3年(ネ)1627号.平成6年2月 3日判決(取消認容)〔知的裁集26巻1号34頁〕
(3) 最高裁三小廷平成6年(オ)1083号.平成10年2月24日判決(破棄差戻)〔特許ニュース平 成10年3月3日号,同年4月7日号,同年4月9日号、判例時報1630号32頁、最高裁ホームページhttp://www.courts.go.jp〕

 そこで、以下、各審の判決の要点を紹介し、それぞれの判決に対して検討するとともに、特に興味深い判断を示した最高裁判決について考究してみたい。

一. 東京地裁判決の考え方
1.一審における当事者の主張
 原告の主張によれば、この事件において争点は2つあった。一は被告製品は本件発明の「技術的範囲」に属するか否か。他は被告製品は本件発明と「均等」物であるか否かである。しかし、この2つの問題は結局は同じ結論に連がる問題である。けだし、もし均等物であることが認められるならば、イ号物件は本件発明の技術的範囲に属するものとなるからである。
 そこで、原告はまず後者の均等論において、仮に被告製品のトルク伝達用負荷ボール案内溝間の突堤が、本件発明の「薄肉部」に該当しないとしても、「薄肉部」と突堤とはボール保持機能を有するものであるから、その機能を果たすための特定の部材をどちら側に取付けたとしても、その作用効果は本件発明の作用効果とは異ならず、両者は「置換可能」であると主張した。また原告は、この取付手段の置換は、ボール保持手段に関する従来技術から、本件発明の特許出願当時、当業者において容易に想到することができたことであるから、両者は「置換容易」であるとも主張した。
 これに対し被告は、「薄肉部」の構成を従来技術と置換しても、被告製品と同一の技術を得られるものではない、と反論した。また、「薄肉部」を被告製品のように一対のトルク伝達用負荷ボール案内溝間の突堤に置換することが、本件発明の出願当時、当業者にとって自明であったということもできない、と反論した。

2.原告主張の問題点
 原告は、均等論の主張において、「置換可能」と「置換容易」の両用語を使い分けているが、均等論を考えるときに両者は本来同意義の用語である。
 即ち、「置換可能」とは、具体的な構成が一見異なってはいても、本件発明の「特許請求の範囲」として記載されている構成要件中の新規性と進歩性を具備した一要件を、イ号物件が前記他の構成に置き換えたとしても、本件発明の当該構成要件が発揮する作用及び効果と同一の作用及び効果を発揮すると考える場合に適用する用語である。この場合、置き換えが可能の範囲にある構成を置き換えが容易だともいう。
 特許権侵害事件においていう置換可能による均等の主張は、意匠権侵害事件における類似の考え方と共通項をもつ。意匠の類似問題と同様に特許発明の均等問題の置換容易とは、あくまでも「新規性」の範疇の問題、即ち発明の同一性や意匠創作の同一性(類似)の問題であって、さらにその上の「進歩性」や意匠法の「創作力」の問題ではない。(1)
 ところが、本事件において原告は、被告製品に見られるボール保持手段の置換は、本件発明の特許出願当時の従来技術から当業者が容易に想到することができたとすることを理由に、本件発明に対して被告製品の保持手段を置換容易であると主張したが、原告はここで二重の誤りを犯していると思う。その一は均等の主張の正当性を裏付けるために出願前の従来技術を持ち出したこと、その二は均等論に特許発明の同一性のみならず進歩性の考え方を導入したことである。
 即ち、原告は、外筒の一部(突堤)と保持器によって長溝を形成してボールを保持する従来技術として、特公昭45-31202号、独国特許1525196号、米国特許3356424号、同3398999号 に係る4つの公知発明を自ら挙げることによって、本件発明の取付手段の被告製品の取付手段への置換が、本件発明の出願時に当業者が容易に想到することができるものであることを認めさせようとした。しかし、これが後に問題になるのである。けだし、原告が、被告製品の置換容易性を、本件発明の特許出願時における技術水準を自ら開示することによって均等性を証明しようと試みたことは、逆に本件発明のボール保持手段の新規性ないし進歩性の欠如を証明する結果にならざるを得なかったのである。
 また、すでに述べたように、特許権侵害事件において主張する均等論が通用するのは、被告製品の当該構成が本件発明の「特許請求の範囲」に記載されている構成要件と、あくまでも置換可能(置換容易)なものであることを、両構成が達成する作用及び効果の同一性によって証明される場合に限られる。したがって、本件発明及び公知発明との比較において被告製品の構成は、当業者が容易に推考することができたものという進歩性の欠如を含むような考え方は、均等論にはない。
 原告の基本的な考え方からすれば、本事件において主張して効果があったのは、置換可能による均等論の主張よりも、設計変更による均等論の主張であるし、その方が説得力があったであろう。けだし、作用及び効果が同一であることが証明されるならば、ボール保持手段をどちら側に設けるかは設計上の問題であると考えることができるからである。設計変更の問題から考えることは、置換可能や置換容易という抽象用語によって均等論を主張するよりも、当業界の機械設計技術者に対してはより説得力があり、理解が得られ易いであろう。
 即ち、原告は、出願時を基準に新規かつ進歩性の認められた本件発明が含む技術の範囲を評価し、この評価に基いて被告製品の当該構成の設計変更による本件発明の構成との均等性を論理的に推論することができただろうし、又は第三者である大学や公的研究機関の設計技術者による鑑定書を入手する方法もあっただろう。

3.東京地裁の判断
 東京地裁は、争点1の被告製品は本件発明の技術的範囲に属するか否かの問題に対し、属さないと判示した後、争点2の均等論について検討した。その際には、原告が均等性について立証しようとして提出した前記4件の公知刊行物に開示された技術的思想を精査した後、「ボール保持の手段に関する従来技術があったからといって、このことから直ちに、本件発明の取付手段への被告製品の取付手段への置換が、本件発明の特許出願当時、当業者において容易に想到することができたものであって、両者は置換容易であると認めることはできない、といわざるをえない。」と判示した。
 さらに、「そのほかに、本件発明の取付手段の被告製品の取付手段への置換が、本件発明の特許出願当時、当業者において容易に想到することができたものであって、両者は置換容易であると認めるに足りる証拠は存しない。なお、具体的妥当性ないし衡平の理念の見地に立って考察しても、本件において、被告製品が本件発明と均等であると認めるのを相当とするに足りる事情は何らうかがえない。」と判示し、最後に、「仮に均等の理論が特許権侵害訴訟においてしようすることができる理論であるとしても、原告の右均等の主張は、採用するに由ないものというほかはない。」と結び、均等の主張に対しては最後まで消極的であった。
 東京地裁は、取付手段の置換容易の基準点を「本件発明の特許出願当時」としたが、これは原告の主張であるとともに通説でもあった。 (2)そして、均等論を認容した後記東京高裁判 決にあっても、置換容易の基準点を東京地裁判決のとおりとした。ところが、後記最高裁判決にあっては置換の基準点を「対象製品等の製造の時点」と判示し、侵害行為時とする新しい見解を示したのである。

二.東京高裁判決の考え方
1.控訴審における当事者の主張
1.1 控訴人(原告)の主張
 控訴人は、本件発明の構成要件A〜Eの5つのうち、「構成要件B」について均等論を主張した。
 即ち、これに対応する被告製品は、「3枚のプレート状部材(11)」、「その両端に嵌着した一対のリング状部材(31)」、「突堤(25)(27) (29)」から成る保持器具であり、控訴人は一審時と同様に置換可能性と置換容易性の用語を使い分け、本件発明の「U字溝と薄肉部」は被告イ号製品の「対をなす半円溝と両溝間の突堤」と置換可能であり、かつ、置換容易であるから、被告製品の保持器具は本件発明の保持器と実質同一あるいは均等であると主張した。

1.2 被控訴人(被告)の主張
 控訴人が、被告製品は本件発明の本質的特徴部分であるアンギュラコンタクト構造をそのまま利用していると主張することは、本件発明が従来周知の技術の寄せ集めにすぎないものである以上、本件発明の侵害はあり得ないことである、と被控訴人は反論した。そして、置換可能性については、ボールスプラインにおけるボールの保持機能に着目するかぎり、両者が置換可能であることは自明であると認めたが、重要なのは置換容易性であると主張した。
 被控訴人は、「子供乗物用タイヤーの製造方法」の特許権侵害をめぐる大阪地裁昭和55年10月31日判決(無体集12巻2号632頁)を引用し、均等の要件としての置換容易性とは、「当該他の特許発明をみれば特段の実験追試を試みるまでもなく、当業者であれば当然に推測できる程度の推考容易性がなければならないと解するのが相当である。」から、きわめて限られた要件下でしか認められないと主張し、控訴人が援用する4つの技術を見ても、置換容易性ないし自明性を証明することはできないし、被告製品の保持器とリターンキャップの組合せは、断面半円状の溝と両端の円筒状部分を具えた外筒と相まって、本件発明の作用効果とは違うから、均等ではないと反論した。

2.東京高裁の判断
 控訴審判決は、本件発明の構成要件Bとイ号製品の当該構成との関係について、「本件発明の保持器は一体構造であり、保持器自体によってボールの無限循環案内、スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有するのに対し、イ号製品は、外筒の負荷ボール案内溝間にある突堤上端部とプレート状部材(11)及びリ ターンキャップ(31)の三つの部材の協働によって本件発明の保持器の前記各機能を実現しているものであるから、両者がその構成を異にすることは明らかというべきである。」と認定した。そして、「特許発明の技術的範囲に属するか否かは、法的安定性の見地から、原則として、発明の構成に欠くことのできない事項のみが記載された特許請求の範囲に記載された構成により決めるべきものであって、例えば物に係る特許発明と侵害を主張される物品がその一部の構成を異にする場合においては、当該物品は当該発明の技術的範囲に属さないものというべきである。」と判示した。(傍線は筆者)
 ところが、「その場合であっても、解決すべき技術的課題及びその基礎となる技術的思想が特許発明と侵害を主張される物品において変わるところがなく、したがって、侵害を主張される物品が特許発明の奏する中核的な作用効果を全て奏することとなる反面、これに関連する一部の異なる構成について、これに基づいて顕著な効果を奏する等の格別の技術的意義が認められず、かつ、当該特許発明の出願当時の技術水準に基づくとき、右一部の異なる構成に置換することが可能であるとともに、容易に右置換が可能である場合には、例外として、侵害を主張される物品は特許発明の技術的範囲に属するものとして侵害を構成するものと解するのが相当というべきである。けだし、このように解さないと、新たな技術を社会に開示した代償として特許権を付与されたことを容易に無意味ならしめることに帰し、特許制度の趣旨にもとる結果を招来するからである。」と、裁判所の考え方を示した。(傍線は筆者)
 このような考え方を前提にまず本件発明について、従来の無限摺動用ボールスプライン軸受が有した3つの欠点を一挙に解決することを課 題とし、その手段として「特許請求の範囲」記載の構成を選択したもので、「その中心的構成が構成要件AないしC(外筒、保持器、スプラインシャフト)の組み合わせにある」と認定した。そして、本件発明とイ号製品とを比較したところ、結局、「イ号製品は本件発明の中核的な作用効果を全て奏するというべきであり、このことからすると、その基本とする技術的課題及びその基礎となる技術的思想において本件発明と変わるところはないものということができる。」と認定したのである。
 次に、本件発明の構成要件Bの保持器における薄肉部をイ号製品の外筒の突堤に置換することが容易であるかについて検討した。(置換可能性については、被控訴人も自認していた。)
 そこで、証拠(米国特許第3398999号明細書 等)によれば、「右軌道負荷ボール案内溝に、また突出部が突堤に相当することは明らかであるから、右開示事項に基づいて当業者が本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換することはきわめて容易というべきであり」と認定した。
 また、プレート状部材とリターンキャップについての置換容易性について検討したところ、証拠(米国特許第3360308号明細書)には、「無限摺動用ボールスプライン軸受において、スプラインシャフト引き抜き時にボールの保持機能を有する保持器に関して、スロット(40)を有する一体構造の円筒状ボール保持スリーブ (38)、一体構造の終端キャップ(22)及び三分割された終端キャプからなる保持器が構成される例(実施例第1図ないし第4図)、三分割された円筒状ボール保持スリーブ(46)(その端面であるエッジ(64)(68)によりスロット(67)を形成する。)一体構造の終端キャップ(72)(73)からなる保持器が構成される例がそれぞれ開示されている事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。そうすると、右の円筒状ボール保持スリーブがイ号製品のプレート状部材(11)に、終端キャップがリターンキャップ(31)に相当することは、当業者が見ればその機能から見て明らかなところであるから、右に開示されたボールスプライン軸受の保持器の構成に基づいて、本件発明の保持器の構成をイ号製品のプレート状部材(11)とリターンキャップ(31)の構成に置換することは容易というべきであり、他にこれを困難ならしめる証拠はない。」と認定した。
 その結果、判決は「解決すべき技術的課題、その基礎となる技術的思想及びこれに基づく各構成により奏せられる効果が、本件発明においてもイ号製品においても変わるところがなく、構成要件Bについて、これとイ号製品との間に置換可能性及び置換容易性が認められ、他方、一見相違するがごとき他の構成、すなわち構成要件Aについて断面U字状の溝と断面半円状の溝(突堤の有無)、円周方向溝と円筒状部分に関する各構成も、イ号製品について特段の技術的意義も見いだし難い以上、イ号製品は本件発明の技術的範囲に属すると認めるのが相当である。」と判示したのである。(3)
この控訴審判決は、特許権の専有的効力の及 ぶ技術的範囲は、原則として「特許請求の範囲」に記載(特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載)された構成によって決めるべきであり、これは法的安定性の要求であるとし、物の発明に係る特許発明に対してイ号物品の構成の一部が異なる場合は技術的範囲に属さない、と判示した後、例外として、特許発明の出願当時の技術水準に基づいてイ号物品の構成の一部に異なる構成に置換することが可能かつ容易である場合は、イ号物品は当該特許発明の技術的範囲に属するのが相当であると判示した。
 東京高裁をして、特許発明の有する技術的範囲をこのように解釈し、特許権侵害の成立を認めさせたものは、「新たな技術を社会に開示した代償として特許権を付与されたことを容易に無意味ならしめることに帰し、特許制度の趣旨にもとる結果を招来する」という考え方にあった。これを筆者はあえて「均等の哲学」と名付けたいが、この哲学こそ特許発明の技術的範囲の解釈において合目的性をもった法的妥当性ないし社会的正義に適う考え方であるといえよう。
 したがって、均等の哲学を特許権侵害事件において適用することは、決して例外といわれるべきではなく、特許発明の「技術的範囲」の妥当な解釈のためには不可欠な考え方であるというべきである。(4)東京高裁があえて原則と例 外と分けて説示したのは、法的安定性を重視する思想が支配的だった従来の裁判所の考え方を打破するために考え出した使い分けであったにすぎないと思われる。

三.最高裁判決の考え方(5)
 最高裁の判決を読んで最初の感想は、最高裁は特許権侵害問題の本質の究明を忘れていないということである。

1.最高裁の姿勢
 最高裁は、特許権侵害訴訟において、対象製品や方法が特許発明の技術的範囲に属するかどうかを判断するに当たっては、明細書の「特許請求の範囲」の記載に基づいて確定しなければならない(特70条1項)から、「特許請求の範 囲」に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合は、対象製品等は特許発明の技術的範囲に属するとすることはできない、とまず当然の原則を判示した。
 しかし、出願時に将来のあらゆる侵害態様を予想して「特許請求の範囲」を記載することは極めて困難なことであり、相手方が「特許請求の範囲」に記載された構成の一部を、「特許出願後に明らかになった物質・技術等に置き換えることによって、特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとするならば、社会一般の発明への意欲を減殺し、発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反することになるばかりか、社会正義に反し、衡平の理念にもとる結果となる」、と、特許権侵害に対処する基本理念を示した。
 この基本理念に基いて同判決は、「特許発明の実質的価値は第三者が特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして容易に想到することのできる技術に及び、第三者はこれを予期すべきものと解するのが相当であり」と言及し、最高裁は東京高裁判決の均等論をそのまま肯定するやに思われた。ところが、次の瞬間、特許発明をその表面だけではなく、その内面からも見なければならないと開き直ったのである。それが、次のような判示と なって表われた。
 他方、「特許発明の特許出願時において公知であった技術及び当業者がこれから右出願時に容易に推考することができた技術については、そもそも何人も特許を受けることができなかったはずのものであるから(特29条)、特許発 明の技術的範囲に属するものということができず」、また、「特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど、 特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて、特許権者が後にこれと反する主張をすることは、禁反言の法理に照らし許されない」。
 以上3つの判示事項には、特許権侵害事件において当事者が考えなければならない3つの法理が示されている。
 第1の法理はすでに控訴審判決で認められた原告に有利な均等論、第2の法理は被告に有利な自由技術の抗弁論(引いては権利濫用論)、第3の法理は被告に有利な禁反言則である。
 そこで、最高裁はこの3つの法理のうち、特に具体的には問題としなかった第3の法理を除いて、前二者の法理を本事件に適用して考えた。すると、控訴審判決は、専ら第1の法理を適用し、被告製品は本件発明の技術的範囲に属すると判断して終わり、第2の法理(実は第1の法理となるべきもの)の適用については考えなかったのである。(6)

2.最高裁の判断
 最高裁判決の指摘によれば、控訴審判決が、本件発明の構成要件Bのボール保持器の構成は、被告製品との間に置換可能性及び置換容易性が認められると認定したことは、とりもなおさず、被告製品における分割構造の保持器及び外筒の負荷ボール案内溝間に突堤を設けることは、本件発明の出願前公知のボールスプライン軸受にすでに開示されていたことを暗に認定したことを意味し、また構成要件A,Cについてもすでに公知刊行物に記載されていたことを暗に認定していることは、これらの技術を本件発明の無限摺動用ボールスプライン軸受に用いることは、本件発明の出願前公知の事実であったことを暗に認定したことを意味する。
 その結果、控訴審判決に対し次のように批判したのである。
 「そうすると、無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造を備えたボールスプライン軸受の技術が本件発明の特許出願前に公知であったとすれば、原審の認定では、保持器の構成はボールの技術構造によって根本的に異なるものではないというのであるから、上告人製品は、公知の無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造を備えたボールスプライン軸受に、公知の分割構造の保持器を組み合わせたものにすぎないということになる。そして、この組合せに想到することが本件発明の開示を待たずに当業者において容易にできたものであれば、上告人製品は、本件発明の特許出願前における公知技術から右出願時に容易に推考できたということになるから、本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成と均等ということはできず、本件発明の技術的範囲に属するものとはいえないことになる。」
 そして、次のように結論したのである。
 「本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成中に上告人製品と異なる部分が存するところ、原審は、専ら右部分と上告人製品の構成との間に置換可能性及び置換容易性が認められるかどうかという点について検討するのみであって、上告人製品と本件発明の特許出願時における公知技術との間の関係について何ら検討することなく、直ちに上告人製品が本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成と均等であり、本件発明の技術的範囲に属すると判断したものである。原審の右判断は、置換可能性、置換容易性等の均等その余の要件についての判断の当否を検討するまでもなく、特許法の解釈適用を誤ったものというほかはない。」(傍線は筆者)
 この最高裁の判断は全く正当であり、均等の哲学は、被告製品自体についての自由技術の抗弁、引いては本件発明の特許性の疑義の前には、そのままでは通用しないものであることを判示している。
 なお、均等論に限っていうならば、最高裁判決は、「特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である」と明確に判断するための要件として、次の3つを挙げている。
(1) 右部分が特許発明の本質的部分ではないこと。
(2) 右部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであること。
(3) 右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであること。
 以上の全要件が具備された場合には、対象製品は「特許請求の範囲」に記載された構成と均等なものとして、特許発明の「技術的範囲」に属するものと解するのが相当であると判示した。
 この中で、(1)の場合とは、対象製品の相違 部分が本件発明の構成要件中の主要部についての相違ではないことから、その作用効果に両者の相違がない場合である。(7)
 (2)の場合は通説どおりである。(8)
 (3)の場合は2つの要素を含み、その一は当 業者による容易想到であり、その二は対象製品等の製造等の時点(侵害行為時)を容易想到の時期とする。したがって、この容易想到は、次の(4)の場合の本件発明の特許性(進歩性)に からむ容易性又は自明性とは意味の違う要件である。
 最高裁判決は、このほかに、(4) 対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではないこと、及び(5) 対象製品等が、特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないこと、を挙げているが、これらの要件はすでに述べたように均等を実質的に成立させるための要件ではなく、均等を考える以前に検討しなければならない特許権の存立にかかる重要事項である。
 このうち(4)は、被告に対しては自由技術の 抗弁、引いては権利濫用の主張を、原告に対してできることを示唆しているのであり、これが前記したように、控訴審判決が破棄され差戻された要因となったのである。(9)
 上記5つの要件について、解説者(判例時報1630号34頁)によっては、(1)(2)(3)を均等成立の積極的要件、(4)(5)を消極的要件と考える者もいる。この考え方は、米国Hilton Davis Chemical Co. v Warner Jenkinson Co., Inc. 事件で、このような分け方をしてテストしていることを参考にしたのかも知れない(10)。「このような消極的要件の他に「先行技術を含むような均等範囲の主張は許されない(11)。」と考えることは、出願前公知(米国では発明前公知)の技術との関係を明らかにすることは、当然の事理であるということである。したがって、均等の成立要件は前記(1)(2)(3)のみを挙げることで十分であり、これをあえて積極的要件という必要はないと筆者は考える。

四.研 究
1.控訴審判決に対する上告審判決は、きわめて妥当であると筆者は考える。最高裁は、特許権侵害事件に臨む関係者に対し、前記した3つの法理を常に念頭におくことを示唆した。
 このうち、最も重要な法理は、特許権それ自体の有効性にかかわる自由技術の抗弁論や権利濫用論に連がる第2(実は第1)の法理である。(12)特許権は、特許庁の審査によって特許要件を具備した発明だけに認められる専有権であるから、その特許権が行使されたときに被告側が考えるべき対抗策は、「特許請求の範囲」に記載されている発明を各構成要件に分析し、その発明が特許要件(特許性)を具備しているかどうかを、公知例との関係において考察することである。
 ところが、本事件の場合、特許権者である原告が、第一審において、均等を主張する置換容易性を立証するための証拠として自から出願前公知の刊行物を提出し、主張の妥当性を裏付けようとしたことにつまづきがあったといえる。
 最高裁判決が示した均等成立のための3つの要件は、均等を主張する原告側で立証すべき要件である。しかし、原告は要件(3)の置換容易 性を立証する基準時を、従来の通説にしたがって本件発明の出願時とした。ところが、最高裁は、この基準時を最近の有力説(13)にしたがって侵害行為時とした。新しい基準時 を明示したことは注目すべきである。けだし、もし置換容易性の判断基準時を従来の通説にしたがうならば、原告自らが正に矛盾を犯しているように、本来被告側が主張立証すべき要件(4)にある 本件発明の特許性自体を、揺がすことに自然に陥ることになるからである。最高裁の判断は、原告に対しそのような矛盾に気付くことを教えているといえる。

2.しかしながら、上告事件の上告理由を読むかぎり、最高裁が判示したような上記事項の主張(自由技術の抗弁)は見当たらず、殆んど事実関係についての誤認を争っている。
 これに対し、最高裁は独自の観点から控訴審判決を批判し、その理非を明らかにした功績は大きい。特許法の適切な運用のために、特許権侵害事件における重要問題に対し合理的な解釈を与えておこうという姿勢に徹したのであろう。
 判決は最後に、「均等のその余の要件についての判断の当否を検討するまでもなく」、本件発明の特許性(ないし有効性)の有無について控訴審が判断していないことは、特許権侵害事件においては特許法の解釈適用を誤った違法なものであると断じたことは、上告人(被告)としても意外と思っているに違いない。
 破棄差戻しされた本事件は、上告審判決の判示事項が原審を拘束することから、原告が均等成立のための前提要件(4)をクリアすることは 、困難かも知れない。けだし、原告が置換容易の立証ために提出した刊行物は、被告の侵害行為時前に公知になったものではなく、本件発明の特許出願前に公知になったものであり、それらの証拠はもはや撤回することができないからである。
 したがって、東京高裁はもはや均等論に基く判断はできなくなり、上告審判決に基いて被告から主張されるであろう自由技術の抗弁の成否や引いては特許無効がらみの権利濫用論が争点となるであろう。そして、そのような場合、均等論が特許発明の技術的範囲をどこまで拡げて解釈するかが問題になったのに対し、こんどは逆に特許発明の技術的範囲をどこまで狭めて解釈するかという伝統的な議論が展開されることになるであろう。(14)

3.最高裁判決が、被控訴人(被告)が上告理由として、自由技術の抗弁や特許発明の有効性についての主張を特にしていないにもかかわらず、均等問題とは別次元の問題を取り上げて原審破棄をしたことには不思議感がある。しかし、「特許請求の範囲」にはもちろん、「発明の詳細な説明」にも記載されていない具体的構成の置換可能や置換容易による均等性を本件発明と被告製品との間に認めようとするためには、本件発明の特許性(有効性)をまず精査し、それを確実に前提とした上で判断するのでなければ、技術的範囲に属するか否かの客観的に妥当な判断はできないことを考えると、当事者主義をとる民事訴訟であっても、法令の解釈適用を審査し、審理不尽や理由不備の違法性を審査する最高裁の立場としては、当然のことといえるであろう。
 ちなみに、本件特許権の特許原簿を調査すると、昭和59年9月14日に特許無効審判(昭59-17353号)は請求されたが、不成立となり、平成3年4月10日審決は確定した。この間、審決取消訴訟(東京高裁昭62(行ケ)206号)が提起されたが、平成3年3月27日に請求棄却の判決が あった。また、本件特許権は平成3年4月26日(出願日から20年間)に存続期間満了によって消滅しているから、現在係属している侵害訴訟事件は損害賠償請求のみである。
 いずれにせよ、1983年12月の東京地裁への提訴から東京高裁を経て最高裁に上告された均等論をめぐる特許権侵害事件は、1998年2月再び 東京高裁に戻されて審理されることになった。

4.特許庁の対応
4.1 特許庁のホームページの最近の「特許審 査」を開くと、「均等論について」と題して ボールスプライン軸受事件の最高裁判決についてのコメントが載っている。そして、「特許権の範囲をより幅広く認めようとするものであるといえます。」とだけあり、同判決が原審に差戻された理由については何にも触れていない。しかし、これでは判決の真の教訓が国民には伝えられず、誤解を生むことになる。
 また、特許審査の運用への影響については、平成6年の特許法改正で、特許請求の範囲の記 載に機能的な表現も認められるなど幅広い表現方法が認められたが、この考え方は今回の最高裁判決の考え方と同じくするものと考えられているという。しかし、これは全く正反対の誤解であり、認識不足である。けだし、均等論とは、文言で書かれていない別異の構成を、解釈によってそれも技術的範囲に属するものと判断する形式の不備を補う実質論を肯定する考え方であるからである。その意味で、均等論は専ら侵害裁判所における議論であり、特許庁の審査官が考える問題ではない。審査官が明細書やクレームについて、出願人に対し、将来起るであろう侵害を予想して、置換可能や容易な構成を実施例として記載せよなどと、積極的にアクションをかけるようなことはしない。
 それは、専ら出願人や代理人側で考える問題であり、弁理士の立場では明細書の作成の度毎に常に念頭にある問題である。そのためには、専門技術の知識や理解力をもっているだけでは不十分である。将来の権利侵害を予想してクレームを含む明細書をまとめることになる。これが、「特許とは技術を法律的に考えるもの」といわれる所以である。

4.2 ところで、今回の最高裁判決に対する特 許庁審判部の対応は違う。審判部は今年5月、「判定制度の改善(新判定制度)について」と題したメッセージを発表した。
 これによれば、イ号製品が特許発明の均等の範囲に属するとしても、その前に同判決は、「イ号が特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者が公知技術から出願時に容易に推考できたかどうかを判断する必要等があることを判示している」から、特許庁の判定事件にあっても、同様の判断、即ちイ号製品が自由技術に属するものといえるほどに、当該特許発明には進歩性(特許性)がないことを判断した上で、属するか否かを判断するということである。そして、審判部としては、このような判定書を侵害裁判所に証拠として提出すれば、「非常に有効である」と考えている。そして、このようなサービスを判定によって行うならば、今迄殆んど機能せず、請求件数も僅かであった判定制度が見直されることになるということである。
 しかし、ここに制度上の大きな壁がある。それは、特許発明の特許性まで判断が及ぶ(形式的には自由技術を認めるか否かの判断となろうが)となれば、判定制度と無効審判制度との境界が実質的になくなることである。利害関係人は、無効審判を請求しなくても、判定を請求するだけで、実質的に当該特許発明の特許性について判定もしてもらえるという一石二鳥の結果を得ることになるようである。
 しかし、このような判定制度の運用は妥当であろうか。しかも、現行の判定制度の最大の欠陥は、不服の道が開かれていないことである。判定請求が、自由技術や特許性の判断にまで及ぶことになるならば、立法理由であった単なる公知鑑定という役割を超えてしまうから、東京高裁への不服の道を開いておかなければ不公平というものであろう。しかも、最短3か月という超短期間で判定書の送達までしようというのであるから、現在考えられている審判部の政策の実行は、現行制度下では無理である。した がって、もう少し時間をかけてよく検討すべきであろう。

む す び
 我が国には、特許権侵害事件の場合に「特許請求の範囲」の記載についての解釈問題で、長年、中心限定主義か周辺限定主義かという争いがある。(15)
 前者は、クレームの記載は、技術的思想としての特許発明の技術的範囲を文言で正確に表現することは不可能に近いから、その記載は抽象的な技術的思想を典型的な一例示として具体化した一応の基準にすぎないし、クレームの記載に拘泥することなく、その具体的表現を中心に一定の広がりをもって均等として特許権の技術的範囲を認めようとする解釈方法であり、ドイツを中心として大陸法系の国々で採られてきた。
 後者は、クレームの記載は、発明の技術的範囲の最大限の限界を示したものとして、厳格に文言による記載どおりに特許権の技術的範囲を定めようとする解釈方法であり、英米法系の国々で採られてきた。
 しかし、すでにHilton Device事件の連邦最 高裁判決に見られるように、米国においても均等論は最高裁で認容され、現在、CAFCから第一審裁判所に差戻されているという。(16)
 我が国にはこれまで多くの法律家が、下級審における多くの裁判例を手懸りに、特許権の技術的範囲の解釈における均等物や迂回方法に関する論文を発表しており、それらを全部挙げるとすれば、本誌の1頁を優に超えるほどになる 。
 これからも我が国においては、多くの法律家が今回の最高裁判決を研究した論文を発表するであろうし、おそらく1年以内にはなされるであろう東京高裁判決が注目されるところである。
 このように、新規かつ進歩性を具備した発明を保護する特許権の技術的範囲を実質的に解釈し、特許発明の構成要件の一部を他の構成に置換することによって技術的範囲から逃れようとする侵害行為に対し、これを「均等」として特許権侵害の成立を認めようとした今回の最高裁判決の意義は大きい。これは、もし最高裁が、特許発明の保護については国際的視野に立ち、我が国の司法にあっても特許権の解釈について世界共通の認識に立った判断をして行かねばならないことを裁判所の内外に向って宣言しているのであるとしたら、今後の工業所有権侵害事件への弁理士に課された責任は益々重くなったといえる。
 即ち、明細書の作成においては、最高裁判決が出した「均等」という名の救いの手に甘んずることなく、将来起り得るであろう侵害態様をできるだけ意識して、「特許請求の範囲」の記載をいかに表現するかに全神経を集中しなければならないことになる。

注 (1) 意匠の類似の意味を考えるときに、巷間では創作説と混同説があるといわれているが、特許の出願実務と共に意匠の出願実務をしている者はごく自然に創作説をとる。それは説などというものではなく、意匠法の本質に由来する自然な考え方である。詳細は、牛木理一:意匠法の研究(四訂版)127頁、同:判例意匠権侵害3頁を参照。
 裁判例の上でも、「自動車ホィール」の意匠権侵害をめぐる横浜地裁平成4年12月24日判決(請求棄却)と東京高裁平成6年11月30日判決(控訴棄却)との理由づけの対立は際立っている。即ち、二審判決は、一審判決中の本件意匠に関する公知意匠を含む要部認定箇所を訂正し、公知意匠の基本的態様を基礎として発展させたいわゆる合弁花状スポークを形成した点に本件意匠の真の創作部分があると客観的に評価しこれを要部と把握したのに対し、イ号意匠は公知意匠の基本的形態を基礎として発展させたいわゆる離弁花状スポークを形成した点に要部があるから、本件意匠とは別個の意匠的創作があると客観的に評価できるとし、イ号意匠は本件意匠の要部を具備せず、全体として別異の美感を呈する意匠であるから、類似しないと判断した。

(2) 吉藤幸朔:特許法概説(第10版)430頁。豊崎光衛:工業所有権法(新版)222頁は「狭義の均等物とか均等方法とは、ある物又は方法が、特許発明と技術的思想を同じくし、相違する技術的要素はこれを取換えてみても同一の作用・効果が生じ、その置換えが出願当時の平均のいわゆる専門家にとって容易にできるものをいう。」と述べられる。このような通説に対し、牧野利秋判事は、この基準は権利者を保護すべき実質的根拠とはなり得ないといわれ、その理由を、もしこのような置換が出願時に容易にできるならば、自らも専門家(当業者)である出願人は当然に特許出願の際この技術をも含めるように特許請求の範囲を記載できたはずであるから、前記基準で侵害を認めることは、「当然なしうることをしなかった権利者側の怠慢を理由に権利の保護の拡張を認めるという一般の私法理論の下ではおよそ容認されない論とならざるをえない」と述べられる(牧野利秋:「特許発明の技術的範囲の確定についての基本的な考え方」裁判実務大系9巻工業所有権訴訟法 105頁)。そこで、考え出されたのは、均等 の判断時期を被告の侵害行為時とすることである(牧野利秋:「特許発明の技術的範囲確定の問題点」裁判実務大系27巻446頁)。牧 野判事と同旨の大橋寛明判事は、「特許権者を保護すべき範囲は、右の目的の下における立法政策に属する。」とされた上で、特許法70条の「解釈の限界を超えて、記載されていない事項にまで保護の範囲を拡張することには、くれぐれも慎重な態度で臨むべきであろう。」と述べられる(大橋寛明:「侵害訴訟における均等論」裁判実務大系9巻工業所有 権法171頁)。

(3) 米国のHilton Devis Chemical事件における第6巡回控訴裁判所判決の賛否は7対5に分れたといわれているが、この中で均等論の有効性を認めたNies判事は、その判断基準を発明全体に適用する均等論ではなく、クレームの各要素毎に適用する均等論の採用を説き、これによって発明の保護を求めた特許権者と法的安定性を求めた第三者との調和を図れると説き、最高裁判所ではこのNies判事の意見が採用されたという(松本司:「最近の米国特許侵害判決について」富岡健一先生追悼記念論文集109頁)。

(4) 大瀬戸豪志:「特許侵害訴訟における等 価理論」紋谷暢男先生還暦記念論文集11頁は、等価理論の理論的根拠を「報償説」に求め、かつ法的安定性の要請への考慮を前提とする限り、等価理論をもって特許発明の技術的範囲の確定における「原則として」取り扱わなければ、理論としては一貫しないと述べられる。「t-PA」事件の大阪高裁平成8年3月29日判決(知的裁集28巻1号77頁)が、「特許 請求の範囲の構成要件をそのままのものとして充足するものでなくても、その技術を、特許発明と均等のものと認めるべきものであることは、特許発明の技術的範囲の認定の手法として、特許法も予定しているものというべきである。」と判示したことは、均等論を特許権侵害事件において例外としていないことを意味する。

(5) 最高裁判決に関する論文は、知財協会特 許委員会第2小委員会のものが最も早い。「ボールスプライン最高裁判決に関する一考察」知財管理Vol.48 No.4 p.515 (1998)。また、同委員会の「均等論に関する一考察(そ の1)(その2)」知財管理Vol.47 No.2 p.169, No.3 p.347 (1997)がある。

(6) 禁反言の原則についての主張は、控訴審において被控訴人からなされていた。それは、審査段階の特許異議申立事件において控訴人が、公知刊行物記載の各公知技術との関係から、答弁書記載の中には、構成要件Aについて「『断面U字状』に限定し、これこそが本件発明の特徴であるとして、『断面半円状』の溝形状を意識的に排除したとまで認めるに足りる記載を見いだすことは困難であ」ると認定された。

(7) 判例時報1630号34頁は本事件の解説において、本判決は、「特許発明中に占める相違部分の役割の点をも考慮して均等の成否を判断すべきことを明らかにしたものと解される。」と述べる。

(8) 大瀬戸前掲13頁によれば、わが国には、 等価理論の等価の要件について、1.置換可能性(作用効果の同一性)と2.置換容易性(容易推考性)の二要件で足りるものとする説と、これに技術的思想の共通性(同一性)の要件を加える説とが対立しているという。本事件においては、東京高裁判決も最高裁判決もいずれも後者の見解に立つものである。

(9) 特許発明が公知技術ではなく、公知技術 から容易に推考できる事項である場合も均等を主張することはできないとすることについて、大橋前掲177頁参照。竹田稔判事は、特 許発明の全部が公知技術の寄せ集めであって、進歩性を欠く場合の技術的範囲の確定について、発明の同一性と進歩性とで決定的な差異があるとすることはできないと述べられながらも、「進歩性の判断、特に各公知技術の結合による技術的思想の創作の容易推考性は専門的な技術問題であり、侵害訴訟における審理の結果進歩性のないことが明白になる場合は極めて例外的であろう。」と述べられる(「知的財産権侵害要論(改訂版)」83頁)。

(10) 松本前掲115頁

(11) 松本前掲118頁

(12) 大阪地裁平成6年(ワ)60号平成7年10月31日判決は、「金属板」の意匠権侵害事件において、被告は原告の本件登録意匠と同一の意匠を実施していた事実が立証されたことから、そのような意匠権に基づく請求は権利の濫用となると判示した。
 この考え方について、清永利亮判事は、「実施例に限られるという議論を取るよりも、自由技術の抗弁などという方がまだわかりやすいし、寧ろ権利濫用の法理で原告の請求を棄却する方がもっともわかりやすい、我々の常識に合致する様な感じがするのです。」と賛成される。
 また、竹田稔判事は、「特許発明が全部公知の場合、対象物件(方法)について侵害行為であるとして、差止あるいは損害賠償を請求することは、権利の濫用として許されない場合があるとするのが民事法秩序に支配される特許権の行使の問題として最も適切であると考える。」とされる。
 大瀬戸教授は、前記名古屋地裁昭和49年(ワ)1941号昭和51年11月26日判決が、原告の差止請求権の行使は不当であり権利の濫用というべきことを理由に請求を棄却したことに対し、「権利濫用の法理は、権利自体に瑕疵はないがその行使方法に問題がある場合に適用されるものであるのに対し、ここで問題となっているのは、権利の本体に瑕疵があるが、権利の行使態様は通常であるというケースであり、行為態様に関わりなく権利濫用の法理を用いることはできないとしてこれに反対する説もある(中山信弘『工業所有権法(上)』356 頁、遠藤浩「権利濫用の抗弁」特許判例百選〈第2版〉184 頁)。いずれに しても、注意しなければならないのは、右の名古屋地裁判決が、単に特許発明が全部公知であるということだけでなく、その特許権の取得の過程に権利濫用としての要素を見ている点である。」(ジュリスト平成8年度重要 判例解説255頁)と述べられる。
 そして、大瀬戸教授は前記意匠権侵害事件の大阪地裁判決について、権利濫用の法理によって差止請求権の行使を制限した名古屋地裁判決を援用し、「本件判決もまた、自らの実施によりすでに公知となっており、本来意匠登録を受けられないものであることを十二分に知りながらその意匠について意匠権を取得したという過程に注目して権利濫用としたものであり、その点で両者は共通する。このことは、全部公知の登録意匠の意匠権に基づく差止請求権等の行使に対して権利濫用法理を適用するためには、たんなる公知という事実のみでは足りないということを意味する。」(同255頁)と述べられる。これについて 渋谷達紀教授は、同誌において、「本件の事案は、権利者が無効原因の存在につき悪意があったと言えるものであり、権利濫用説によるには適切な事例であった。」(同244頁) とフォローされている。

(13) 置換容易による均等の判断時期を侵害行為時とする説として、中山信弘:工業所有権法(上)350頁がある。牧野利秋:「特許発明の技術的範囲確定の問題点」裁判実務大系27巻446頁は、前記注(2)に示した前著では特許出願時を判断基準とした均等論には反対されていたが、侵害行為時とすることによって均等論を妥当とされたのだろう。しかし、この場合でも、特許発明の実質的価値の評価は侵害行為時を基準とするということではない。それは、やはり出願時を基準としてされなければならず、侵害態様が公知技術の応用範囲を出ないものかどうかの評価も出願時が基準となると述べられる。このような評価は、侵害裁判所による「特許庁のした特許付与という行政処分の再審査」であると牧野判事は考え、「特許発明が開示した技術手段とその構成を異にする侵害態様が具備する技術手段とが公知技術からの発展形態として、どのように位置づけされ評価されるべきものであるかの検討を忘れた均等論は、もはや採用すべきではない」(447頁)と述べられ、ボールスプライン軸受事件の東京高裁判決を批判されている(451頁)。今回の最高裁判決は、 この牧野理論に基いてなされているものといっても過言ではないだろう。大瀬戸前掲論文では、特許調和条約案(WIPO, PLT/DC/3, December 21, 1990)の21条(2)には、クレームは、(a)クレームに表現された要素だけでなく、その均等物をもカバーするものとし、(b)その等価は、侵害の時点において一定の 条件(1)又は(2)が満たされるならば、クレームに表現された要素と等価とみなされることが規定されていることが紹介されている。なお、米国では先発明主義から均等の判断時期については侵害時を基準とし、日本のように出願時説は考えられない(松本前掲117頁) 。

(14) 権利侵害訴訟と無効審判との関係を論じた文献として、次のものがある。(1)羽柴隆 :「特許侵害事件における裁判所の特許無効についての判断権限」特許管理Vol.44 No.11 p.1504, No.12 p.1689、(2)田倉整:「歪められた権利範囲論」パテントVol.47 No.5 p.44、(3)牛木理一:「意匠権侵害訴訟にお ける登録無効の判断」パテントVol.48 No.5 p.43、(4)牛木理一:「公知意匠等との関係における意匠権侵害訴訟事件」知的財産法の実務と研究・富岡健一先生追悼記念論文集p.19。その他の関係文献については、上記文献(3)(4)に詳しく紹介されている。

(15) 舟本信光・井上繁規:特許訴訟の実務189頁、吉藤前掲440頁

(16) 松本前掲116頁。Hilton Davice事件判決 決の全訳については、田倉保:「均等論を肯定した米国ヒルトン事件最高裁判決」AIPPI Vol.42 No.7 p.2を参照。この事件のように 、「0.6〜0.9」の範囲の数値に限定した記載であっても、最高裁は「0.5」もまたこの範 囲に属する均等値と認めたことは、その事実が客観的に証明されたからであろう。

[牛木理一]