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「キャンディ・キャンディ」控訴審事件:東京高裁平成11年(ネ) 1602号平成12年3月30日判決(棄却)

 

〔判示・認定事項〕 

  1. 被告の「本件コマ絵」は、漫画ストーリーを表わしている絵であるから、原著作物に依拠した二次的著作物であると考えるのが合理的である。
  2. 被告の「本件表紙絵」と「本件原画」については、本件連載漫画の複製又は翻案であると評価できるから、それを複製又は翻案したものでないというためには、主人公のキャン ディを描いたものではないという必要がある。
  3. 漫画の物語作者と絵画作者とは互いに協力し合う同士として事前に契約によって定めることができるし、契約できない場合でも共有著作権者として処理できる。
  4. 絵画作者は、新たなキャラクター絵画を描くに当たって は、二次的著作物の翻案にならないように創作的工夫をすべきであり、別人物の設定で描くならば、原著作物の翻案とならない。
〔理 由〕
                                      本件コマ絵について
 控訴人は、漫画のコマ絵には、漫画のストーリーを表しているコマ絵と、ストーリーを表していないコマ絵とがあり、漫画の物語作者と絵画作者とが異なる場合、後者のコマ絵は、物語原稿に依拠しておらずその翻案とはいえないから、物語原稿の二次的著作物には当たらず、原著作者の権利は及ばないと主張する。
 しかし、著作権法28条は、「二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。」と規定しており、この規定によれば、原著作物の著作権者は、結果として、二次的著作物の利用に関して、二次的著作物の著作者と同じ内容の権利を有することになることが明らかであり、他方、控訴人が、二次的著作物である本件連載漫画(本件連載漫画自体が被控訴人作成の物語原稿の二次的著作物であることは、原判決の認定するとおりであり、控訴人も、当審においてはこれを争っていない。)の著作者として、本件連載漫画の利用の一態様としての本件コマ絵の利用に関する権利を有することも明らかである以上、本件コマ絵につき、それがストーリーを表しているか否かにかかわりなく、被控訴人が控訴人と同一の権利を有することも、明らかというべきである。
 控訴人は、本件コマ絵につき被控訴人が権利を有するか否かを、それが物語原稿のストーリーを表しているか否かを基準として判定すべき旨を、物語原稿への依拠の有無と結び付けて強調するが、採用できない。二次的著作物は、その性質上、ある面からみれば、原著作物の創作性に依拠しそれを引き継ぐ要素(部分)と、二次的著作物の著作者の独自の創作性のみが発揮されている要素(部分)との双方を常に有するものであることは、当然のことというべきであるにもかかわらず、著作権法が上記のように上記両要素(部分)を区別することなく規定しているのは、一つには、上記両者を区別することが現実には困難又は不可能なことが多く、この区別を要求することになれば権利関係が著しく不安定にならざるを得ないこと、一つには、二次的著作物である以上、厳格にいえば、それを形成する要素(部分)で原著作物の創作性に依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性に依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的であるからである。
 念のため付言すれば、本件コマ絵にはキャンディが初めて「アードレー家の本宅」を見た場面のコマ絵であることを示す吹出しが記載されており、これが控訴人のいう「漫画のストーリーを表しているコマ絵」に該当することに疑問の余地はない。

                               本件表紙絵と本件原画について
1. 控訴人は、キャンディのキャラクター原画(キャンディ原画)は、それが生まれるいきさつに照らし、控訴人が物語原稿に依拠することなく独自に創作したものというべきであり、本件表紙絵及び本件原画は、いずれもこのキャラクター原画を複製(あるいは翻案)したものとみるべきである旨主張する。
 しかし、本件連載漫画が絵画のみならずストーリー展開、人物の台詞(せりふ)等が不可分一体となった一つの著作物であることは原判決が正当に認定判断しているとおりであり、また、本件表紙絵及び本件原画がいずれも本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものであることは、控訴人も認めるところである以上、仮に、控訴人主張のいきさつが認められるとしても、本件表紙絵及び本件原画が本件連載漫画を複製(あるいは翻案)したものと評価されなければならないことは当然であって、このことは、控訴人主張のラフスケッチあるいは新連載予告用の絵をキャンディのキャラクター原画とみることができるとしても、それにより変わるところはないものというべきである。
 換言すれば、控訴人主張のいきさつが認められ、かつ、本件表紙絵及び本件原画の中に、控訴人主張のラフスケッチあるいは新連載予告用の絵を複製(あるいは翻案)したものとする要素があるとしても、それらは、本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものである限り、本件連載漫画の複製(あるいは翻案)としての性質を失うことはあり得ないものというべきである。すなわち、仮に、本件表紙絵及び本件原画がキャンディ原画の複製(あるいは翻案)であるということが許されるとしても、そのことは、それらが本件連載漫画の複製(あるいは翻案)であることを排斥し得ないものというべきであり、本件表紙絵及び本件原画が本件連載漫画を複製(あるいは翻案)したものではないというためには、それらが本件連載漫画の主人公であるキャンディを描いたものではないという必要があるというべきである。控訴人の主張は、結局のところ、仮に、控訴人主張のいきさつで控訴人主張のラフスケッチあるいは新連載予告用の絵が創作されたにせよ、現実には、その後に、絵画とストーリーとが不可分一体となった一つの著作物としての本件連載漫画が成立し、これが広く公表されているにもかかわらず、他の者との関係においてではなく、本件連載漫画の物語作者との関係において、この事実を全く無視しようとするものであって、原著作物の著作者の二次的著作物の利用に対する権利を律する著作権法28条の解釈として、これを合理的なものすることはできない。
2. この点について、控訴人は、漫画の物語作者と絵画作者とが異なる場合、キャラクター絵画の利用に関して物語作者に原著作者の権利を認めると、結果として、絵画作者は、以後、物語作者の許諾がない限り、当該キャラクター絵画を一切作成することができなくなるのみならず、類似するキャラクター絵画までも作成できないことになりかねないという不当な結果を招くと主張する。しかし、そのようにはいえない。
 まず、漫画の物語作者と絵画作者とは、互いに協力し合う者同士として、当該漫画の利用につきそれそれが単独でなし得るところを、事前に契約によって定めることが可能である。明示の契約が成立していない場合であっても、当該漫画の利用の中には、その性質上、一方が単独で行い得ることが、両者間で黙示的に合意されていると解することの許されるものも存在するであろう。
 次に、契約によって解決することができない場合であっても、著作権法65条は、共有著作権の行使につき、共有者全員の合意によらなければ行使できないとしつつ(2項)、各共有者は、正当な理由 がない限り、合意の成立を妨げることができない(3項)とも定め ており、この法意は、漫画の物語作者と絵画作者との関係についても当てはまるものというべきであるから、その活用により妥当な解決を求めることも可能であろう。
 また、確かに、同一の絵画作者が描く複数のキャラクター絵画が類似することは容易に考えられるところであるが、あるキャラク ター絵画が、他の物語作者の作成に係るストーリーの二次的著作物と評価されるに至った以上、絵画作者は、新たなキャラクター絵画を描くに当たっては、右二次的著作物の翻案にならないように創作的工夫をするのが当然であり、それが不可能であるとする理由を 見出すことはできない(例えば、二次的著作物の登場人物と目鼻立ちや髪型などがほとんど同じでも、別の人物という設定で描くことは可能であり、その時には、右人物の絵の翻案とはならないであろう。)。

 

〔問 題 点〕

 

1. この判決は、前提として、五十嵐の描いた連載漫画は、水木が書いた原作原稿に依拠した翻案であり、連載漫画全体は、原作原稿全体を翻案した二次的著作物と認定した。ということは、原著作物の著作権者の水木は、二次的著作物の著作権者の五十嵐と同等の権利を有する(著作権法28条)ことが認められたことになる。
 裁判の部外者に依然として不明な点は、原著作物である物語作者のストーリーの特定と、このストーリーに登場する「キャンディ」というキャラクターの特定が、いずれの判決でもなされていないことである。裁判所が被告らは原著作物の何を複製したり、翻案したりしたと断定できるのかを明らかにしないかぎり、被告は納得することができないのではないか。
 被告を納得させるためには、原稿によるストーリーとキャラク ターの絵との関係を立証することであるから、前者と後者とを具体的に対比することである。後者については、被告作成の「本件コマ絵」と「本件表紙絵」と「本件原画」の三者が問題になっているのだから、これらと前者との対比をすることは可能なはずである。問題は、その対比の結果が客観的に納得できるものかどうかである。
2. ところで、連載漫画の場合、漫画家自身が、自分の描いたキャラクターが登場する絵とともに各キャラクターのセリフを吹き出しの中で言葉で表現するのが普通である。そこから、漫画とは美術の著作物と言語の著作物との合作品であるといわれる。
 ところが、近年、漫画を描く者と、吹き出しでセリフを作る者とが別人であるのみならず、漫画のストーリーを書く者を原作者という立場におき、このストーリーに基いて動くキャラクターやその周囲の状況を絵によって描く漫画家を、それぞれ独立した別人扱いする創作システムが出てきている。つまり、1つのストーリー漫画を発表するに当たり、ストーリーを書く作家と漫画を描く作家とを分業化している。
 さらに、このような漫画のためのストーリーの進行は、単に前記原作者と漫画家との2人だけでなされるのではなく、第三の者として雑誌の編集担当者が介在するのが普通である。つまり、編集者がディレクターの役割を演じて2人が作るストーリーの展開をリードしていくのである。しかし、編集者は当該ストーリー漫画についての著作権を主張することはない。
 しかし、このような場合、原作なるものが漫画家に対し、明確な作品として与えらえたり説明されたりしているのかどうかは、第三者には全くわからないけれども、意外とあいまいなものであるといわれている。つまり、漫画の原作なるものは、公に発表される小説や物語とは違って、当事者にしかわからないものであるから、原作の存在を認めるか否かは、専ら漫画家自身の思いにかかっているといえよう。したがって、もし漫画家が原作品の筋のみならず登場人物を正確に写すような絵を描いているのであれば、その絵は原作品に対して翻案による二次的著作物となるといえる場合もあるかも知れないが、そうではなく、原作品は漫画制作上の手懸かりとなるアイディアであって、漫画家が独自の漫画によるストーリー展開をしているような場合は、原作者の影響がどこまでその漫画展開に及んでいるのかを原作者側が立証しなければ、原作品の著作権侵害という結論を出すことは困難であろう。
3. 裁判の部外者に依然として不明な点は、原著作物である物語作者のストーリーの特定と、このストーリーに登場する「キャンディ」というキャラクターの特定が、いずれの判決でもなされていないことである。裁判所が被告らは原著作物の何を複製したり、翻案したりしたと断定できるのかを明らかにしないかぎり、被告は納得することができないのではないか。
 被告を納得させるためには、原稿によるストーリーとキャラク ターの絵との関係を立証することであるから、前者と後者とを具体的に対比することである。後者については、被告作成の「本件コマ絵」と「本件表紙絵」と「本件原画」の三者が問題になっているのだから、これらと前者との対比をすることは可能なはずである。問題は、その対比の結果が客観的に納得できるものかどうかである。
 この控訴審判決に対しては上告された。

[牛木理一]