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舞台用造形美術品事件:東京地裁(ワ)24693号(第1事件)他.平成11年3月29日判決(民29)〔棄却〕、東京高裁平成11年(ネ)2937号・4828号.平成12年9月19日判決(6民)〔変更・棄却〕、最高裁三小平成14年9月24日決定(上告棄却)

〔キーワード〕 
依拠性、直接感得性、類似性、アイディア、公益性、成立の必要条件・十分条件、複製、翻案
〔事  実〕
 本件は、まず東京地裁において、第1事件原告戸村(第2事件被告)の舞台用造形美術作品は、第1事件被告金(第2事件原告)の創作にかかる一連の造形美術作品の一部の衝立状造形美術作品25点についての著作権及び著作者人格権の侵害である、と記者発表した行為が、不法行為に該当するかについて判断されたものである。その争点は、次のとおり。
(1) 戸村作品の制作行為は著作権侵害行為に当たるか。→ここでは、依拠性と類似性が問題となった。
(2) 本件舞台装置の制作行為は著作権侵害に当たるか。
(3) 戸村作品及び本件舞台装置の制作等による金の損害
(4) 本件記者会見についての不法行為の成否

 

〔東京地裁の判断〕

 

 争点1、2(戸村作品の制作行為及び本件舞台装置の制作行為は著作権侵害に当たるか否か。)について、戸村が戸村作品を制作するに当たり、本件著作物に依拠したか否かの点から判断する。
 以下のとおり、戸村の戸村作品の制作経緯及びその他の事情を総合すると、戸村は本件著作物に依拠して戸村作品を制作したと認めることはできないので、戸村作品の制作行為は著作権侵害に当たらないし、また、本件舞台装置の制作行為も著作権侵害に当たらない。(中略)
1 戸村作品の制作経緯
(三) 戸村作品の制作経緯は、以下のとおりである。
 戸村は、平成7年の個展用の作品として、仏教的思想における煩悩の浄化の過程及び祈りという人間の行動をテーマに、創作を開始した。戸村は、平成2年以来、何回か、埼玉県都幾川村を訪れ、板碑群を見て、感銘を受けたことがあり、自己の立体的作品に、板碑群の形態を取り入れることを考えた。そして、右のテーマを表現するため、乱立している卒塔婆の様をイメージし、卒塔婆に模した形状の板を、多数、天に向けて配置するとともに、内部には、円形凸型を模様を描くこととし、藍色及び金色の色彩を選択した。平成6年夏ころ、デッサンと試行を重ねた末、同年秋ころ、経師屋、アクリル板、鉄工所の手配を行いアトリエでの作業を始め、個展の前日である平成7年1月8日に戸村作品を完成させ、その題号を「祈り」とした。
(四) 戸村は、戸村作品を完成させるまでの過程で、クロッキーブックや図画用紙等に数多くの習作を繰り返し行った。個々の板状作品の形状については、卒塔婆、教会、神社、家屋、仏塔等から、複雑に影響を受けたこと、全体の大きさ、縦横の寸法比等については、様々な工夫を重ねていたこと、徐々に洗練された形態に発展させたこと等が窺え、板状作品の内側に∩状先端を有する円柱様形態を配した点については、教会正面、山脈の稜線等の形状等に影響を受けたこと、様々な工夫を重ねていることが窺える。さらに、色彩の選択については、制作のかなり初期の段階から、黒、藍、紫の混合色を考えていたことが窺える。
 以上の認定事実を基礎にすると、戸村は、戸村作品を制作するに当たり、本件著作物に依拠したのではなく、専ら、独自の創作的表現を発揮して制作したことは明らかであるから、本件著作物を複製したものではない。(中略)
2 金らは、金が、本件著作物を、戸村作品の発表に先行して、個展、団体展で発表したこと、本件著作物が、カタログ、広報記事等で紹介されたことに照らすならば、戸村は、戸村作品を制作するに当たり、本件著作物に依拠したものと解するのが合理的である旨主張する。この点について検討する。
(三) また、戸村は、戸村作品を制作した時点で、本件著作物が紹介された個展等のカタログ・パンフレット、新聞雑誌の記事等については、全く知らなかった旨供述する。
 先ず、個展等のカタログ・パンフレットについては、本件著作物が写真等で掲載されたものは、横浜美術館における個展のカタログ、及び韓国文化院ギャラリーにおける展示のパンフレットの2点みであるが、前記のとおり、戸村が個展等に赴いたことが認められない以上、戸村がこれらのカタログ等に接して、本件著作物の詳細を知ったことを推認することは到底できない。なお、横浜美術館での個展のカタログが水戸美術館を含む国内の美術館等に約800部送付されたこと、長谷川が水戸美術館に所属していることは認められるが、右事実をもって、戸村が右カタログに接したと推認することはできない。
 次に、その他の出版物については、本件著作物が写真等で掲載されているのは、3点のみである。このうち、@平成2年7月号に「にっけい あーと」については、本件著作物(六)に類似した作品が、「会場風景」と題して写真で紹介されているが、縦横とも約8センチメートルの極く小さい写真であること、戸村は、「にっけいあーと」を購読したことがないこと、A平成3年10月20日発行の季刊誌「KAWASHIMA」については、本件著作物(六)が、5センチメートル及び3.5センチメートルの極く小さい写真で紹介されていること、B平成7年1月1日発行の月刊誌「なごみ」については、右雑誌が美術専門雑誌ではなく、茶道の雑誌であること等の事情に照らすならば、戸村が右出版物に接し、本件著作物の詳細を知ったと推認することは到底できない。なお、平成3年5月20日発行の日本経済新聞の「芽吹く多国籍文化」と題する記事及び平成3年1月1日発行「月刊ギャラリー」1991年1月号に掲載された写真は不鮮明なものであり、本件著作物の特徴を認識することはできない。
 以上の事実に照らして、戸村がカタログ・パンフレット、出版物等における本件著作物の紹介記事等のいずれも知らなかったとする戸村の前記供述内容に、不合理ないし不自然な点はないので、右供述は採用でき、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
3 さらに、金らは、戸村作品は本件著作物と極めて類似しているので、右類似性が本件著作物に依拠した根拠となる旨主張する。
 確かに、戸村作品と本件著作物とを対比すると、全体の形状が、偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長の衝立板を群立させている点、内側に∩状先端を有する円柱様形態を配している点、濃い藍染の地色に金色で彩色している点、比較的プリミティブな紋様を選択している点において共通しているといえる。
 しかし、数多くの板を群立させたこと、各板の偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ全体形状及び∩状先端内側の形状の組合せについては、卒塔婆など既に存在するものであって、配置、形状の選択及び組合せが特異なものとまではいえず、本件著作物に接することなく、およそ独自に戸村作品を創作することが不可能であるとはいえない。また、濃い藍色と金色の色彩の選択及び組合せについても、黒と金色の組合せは、仏壇や位牌において既に存在し、特異なものとまではいえず、やはり、本件著作物に接することなく、独自に創作することが不可能であるとはいえない。 
 戸村作品を構成する個々の板状作品及び本件著作物を構成する各板状作品を対比すると、細部に至るまで、共通の特徴を有するものが存在する。
 しかし、戸村作品及び本件著作物ともに、形状等を微妙に変えた個々の板状作品群から構成されているため、相互に最も類似する個々の作品を選び出して対比した場合には、共通の特徴を有することは十分に考えられるので、このような共通の特徴があることをもって、戸村が戸村作品の制作に当たり、本件著作物に接したものと根拠づけることはできない。
 結局、相互の個々の作品が類似している点をとらえて、依拠したと推認することはできず、この点における金らの主張は採用できない。
4 以上のとおり、本件全証拠によっても戸村が本件著作物に依拠して戸村作品を制作したことを認めることはできないから、戸村作品の制作及び本件舞台装置の制作について著作権侵害は認められない。
二 争点4について
 以下に述べるとおり、金、新崎及び武田が本件記者会見を開催したことは、その態様に照らして、戸村及びスコットに対する不法行為であると解することができる。(中略)
2 以上認定した事実を基礎として、前記記者会見で発表した金ら三名の行為が不法行為を構成するか否かについて判断する。
 他人の創作活動が著作権侵害行為に当たる旨を記者会見等において公表するに際しては、当該作品を制作した者などから事実を確認するなどして、真実著作権を侵害する行為があったか否かを十分に調査し、他人の名誉を損なわないようにすべき注意義務があるというべきである。
 ところで、斉藤及び戸村は、再三にわたり、戸村からの事情説明などを含めた話合いの機会を設けようとしていたこと、それにもかかわらず、金は、話合いを拒否し、戸村から事情の説明を聴取するなどして、著作権侵害行為に当たるか否かの確認行為をしようとしなかったこと、新崎及び武田らは、本件舞台装置を撮影した写真を見たのみで、戸村作品ないし本件舞台装置の詳細及び制作経緯について確認行為をしようとしなかったこと、また、戸村作品及び本件舞台装置の各制作行為が本件著作物に係る金の著作権を侵害するものでないことは、いずれも前記認定のとおりである。
 しかるに、金、新崎及び武田は、確認行為をすべき注意義務を怠り、報道機関各社を招いて、スコット及び戸村が著作権侵害を行った旨の事実をマスコミ各社に対する記者会見で発表したものであるから、金、新崎、武田の三名には、この点において、過失があるというべきである。そして、右会見を伝える記事が各新聞に掲載され、スコット及び戸村の名誉を毀損されたものというべきであるから、金ら3名は、スコット及び戸村について生じた損害を賠償する義務がある。
〔東京高裁の判断〕
   当裁判所は、本件第1事件についての被控訴人スコット及び同戸村の請求は、控訴人金、同新崎及び同武田が、それぞれ、控訴人スコット及び同戸村に対して、連帯して、慰藉料100万円と弁護士費用40万円の合計140万円及びこれに対する平成7年11月21日(不法行為の日)から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金を支払い、その主張の謝罪広告を1回するよう求める限度で理由があり、その余は理由がなく、本件第2事件についての控訴人金の請求は、当審における新請求も含め、いずれも理由がないと判断する。その理由は、次のとおりである。
1.著作権侵害について
1 著作権法は、その21条で「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。」と規定し、その27条で「著作者は、その著作物を若しくは変形し、その他翻案する権利を専有する。」と規定して、著作者に「著作物」を「複製する権利」(複製権)や変形などの方法で「翻案する権利」(翻案権)を与えている。
 著作権者にこれらの権利が与えられる「著作物」とは何かについて、著作権法2条1項1号が、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と規定していることからすれば、著作権法によって保護されるのは、直接には、「表現したもの」(「表現されたもの」といっても同じである。)自体であり、思想又は感情自体に保護が及ぶことがあり得ないのはもちろん、思想又は感情を創作的に表現するに当たって採用された手法や表現を生み出す本(もと)になったアイデア(着想)も、それ自体としては保護の対象とはなり得ないものというべきである。
 このような立場を採った場合、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体に創作性がなくても、表現されたものに創作性があれば、著作権法上の保護を受け得ることの反面として、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデアに創作性があって、その結果、外観上、表現されたものに創作性があるようにみえても、表現されたもの自体に、右アイデア等の創作性とは区別されるものとしての創作性がなければ、著作権法上の保護を受けることができないことになる。そうでなければ、表現されたものの保護の名の下に思想又は感情、あるいはこれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体を保護することにならざるを得ないからである。
 右に述べたところを前提に、著作権法によって著作権者に専有権の与えられている複製あるいは翻案(以下、これらをまとめて「複製・翻案」という。)とはどういうものであるかを具体的にいうと、既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性のあるものを作製することであり、ここに類似性のあるものとは、「既存の著作物の、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分」についての表現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものであるということになる(最高裁判所昭和55年3月28日第3小法廷判決・民集34巻3号244頁参照)。
 なお、ここで注意すべきことは、複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要件として取り上げる「当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に」との要件(直接感得性)は、類似性を認めるために必要ではあり得ても、それがあれば類似性を認めるに十分なものというわけではないことである。すなわち、ある作品に接した者が当該作品から既存の著作物を直接感得できるか否かは、表現されたもの同士を比較した場合の共通性以外の要素によっても大きく左右され得るものであり(例えば、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体が目新しいものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が一人である状態が生まれると、表現されたものよりも、目新しい思想又は感情あるいは手法やアイデアの方が往々にして注目され易いから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品は、既存の作品を直接感得させ易くなるであろうし、逆に、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体がありふれたものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が多数いる状態の下では、思想又は感情あるいはアイデアが注目されることはないから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品が現われても、そのことだけから直ちに既存の作品を直接感得させることは少ないであろう。)、必ずしも常に、類似性の判断基準として有効に機能することにはならないからである。
 著作権法による保護を、このようなものとして把握する場合、特許法、実用新案法が思想(技術的思想)までを保護する(特2条、実2条参照)のとは異なり、思想や感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出すアイデアが保護されることはなく、その結果、著作権法による保護の範囲が、見方によれば狭いものとなることがあることは事実であろう。
 しかしながら、それは、著作権法の趣旨から当然のことというべきである。すなわち、著作権法においては、手続的要件としても、特許法、実用新案法におけるような権利取得のための厳密な手続も権利範囲を公示する制度もなく、実体的な権利取得の要件についても、新規性、進歩性といったものは要求されておらず、さらには、第三者が異議を申し立てる手続も保障されておらず、表現されたものに創作性がありさえすれば、極めてと表現することの許されるほどに長い期間にわたって存続する権利を、容易に取得することができるのであり、しかもこの権利には、対世的効果が与えられるのであるから、不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から、おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ないからである。換言すれば、著作権という権利が右のようなものである以上、これによる保護は、それにふさわしいものに対してそれにふさわしい範囲においてのみ認められるべきことになるのである。それゆえにこそ、著作権法は、「表現したもの」のみを保護することにしたものと解すべきであり、前述のとおり、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものと同一のものを作製すること、あるいは、これと類似性のあるもの、すなわち、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分についての表現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものを作製することのみが複製・翻案となり得るのである。
2 本件第一著作物について
(一) 証拠によれば、本件第一著作物は、控訴人金が制作した「復活を待つ群」と題する一群の造形美術作品の中の一部(25点)であること、控訴人金は、韓国に伝わる古代巨石墓のうちで、3枚以上の支石墓の上に天井石を乗せた構造物(ドルメン)を素材とし、天井石の外された個々の支石墓に、抑圧から解放され、復活を待つ死者を観念し、この個々の支石墓の形態を、衝立状の麻布貼りパネルの上に、金泥と藍染めの技法を用いて、主題である「復活を待つ死者」を象徴する円柱様の形状のもの(以下「円柱様の造形物」ということがある。)を描いたものであることが認められる。そして、控訴人らは、右のとおり、控訴人金が制作した「復活を待つ群」と題する一群の造形美術作品の中の一部である25点のそれぞれに依拠し、類似したものが戸村作品に存在するので、同作品は右25点につき控訴人金の有する著作権を侵害していると主張しているものである。
(二) 本件第一著作物の創作性の内容について検討する。
(1) パネル
 別紙第一著作物目録(一)ないし(六)(枝番は省略する。以下同じ)別紙写真表示の造形美術作品によれば、本件第一著作物のパネルの形状は、頂部が扁平の縦長の四角形か、頂部が右上がりに扁平とされた縦長の四角形か、頂部が等辺の山形の縦長の五角形か、頂部が不等辺の山形の縦長の五角形の形状かのいずれかであることが認められる。
 頂部が扁平の縦長の四角形は、極めてありふれた形状であること、また、右上がりに扁平とされた縦長の四角形、頂部が等辺の山形又は不等辺の山形とされた縦長の五角形の形状も、ありふれた形状であること、さらに、パネルを衝立状に配置するということに、格別の創作性が認められないことも、当裁判所に顕著である。したがって、本件第一著作物のパネルの形状は、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとして独自の創作性の認められるものとはいえないことが明らかである。
 また、本件第一著作物は、いずれも、金色と濃い藍色(ここに濃い藍色は、実際には、黒色に近いものである。)で彩色されていることが認められる。甲第18号証によれば、我が国において広く知られている位牌の大半は、金色と黒色の配色であることが認められ、濃い藍色自体もありふれた色であることは当裁判所に顕著である。これらのことからすると、本件第一著作物のパネルの色彩の選択も配色も、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとして独自の創作性の認められるものとはいえないというべきである。
(2) 円柱様の造形物
 ドルメンを素材として、支石墓を抽象化し、抑圧から解放され、復活を待つ死者を象徴するという発想自体は、著作者の思想又は感情そのものであるから、たといそこに創作性が認められるとしても、著作権法上の保護の対象とはなり得ない。
 別紙第一著作物目録(一)ないし(六)別紙写真表示の造形美術作品によれば、本件第一著作物のパネルに描かれた円柱様の造形物は、円柱様の形状を基本的な形状とし、これの大きさ、高さ、幅、外形線、先端の形状、下端の形状等に種々の変化を与え、また、金色と黒色に近い濃い藍色による種々の配色、ときには幻想的な紋様の付与などによって、多様なバリエーション(変形、変種)の円柱様の形状とし、これによって控訴人金の思想又は感情を表現しているものと認められる。
 証拠及び弁論の全趣旨によれば、我が国には、古来、全国的に、石や板を素材とした、おびただしい数の墓石、墓碑、石碑、塔婆が存在し、これらの造形物の多くは、円柱様あるいは角柱様の形状を基本的な形状とし、大きさ、高さ、幅、外形線、先端の形状、下端の形状、表面形状(これらのものの多くには、表面に、文字、絵、模様などが示されている。)等に種々の変化を与えて、多様なバリエーション(変形、変種)を有する円柱様あるいは角柱様の形状のものであることが認められる。また、甲第18号証によれば、位牌は、そのほとんどが、控訴人ら主張の後記「∩状先端を有する円柱様の形態」をしていることが認められる。さらに、人が大きな布を頭から被って立っている状態は、図案化すれば、円柱様の形状となることが明らかである(甲第12号証参照)。
 そうすると、本件第一著作物のパネルに描かれた円柱様の形状自体は、ありふれた形状であり、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとして格別の創作性の認められるものとはいえないことが明らかであり、また、これをパネルに描くことにも格別の創作性が認められないことも明らかである。要するに、本件第一著作物においては、前記多様なバリエーションにこそ控訴人金の思想又は感情を表現したものとしての独自の創作性が表われているのであり、このようなバリエーションを捨象した円柱様の形状自体には、右創作性は現われていないといわざるを得ないのである。
(3) 本件第一著作物に共通する、頂部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物が描かれており、その彩色が濃い藍色と金色であるという点は、「表現された」本件第一著作物の表現手法あるいは表現を生み出す本になったアイデアであり、「表現された」本件第一著作物自体ではないことが明らかである。したがって、たといそこに創作性が認められるとしても、著作権法上の保護の対象とはなり得ないことは前述のとおりである。
(4) 以上によれば、本件第一著作物において著作権法上の保護の対象として考慮すべき創作性は、円柱様の形状における多様なバリエーション、これとパネル、色彩、紋様との具体的な組合せにあるものというべきである。そして、本件の作品のように、単純な形状、構図、色彩によって思想又は感情を表現しようとする場合には、具体的な形状、構図、色彩の差によって、表現全体のイメージ(心象)が大きく変わり得ることは、当裁判所に顕著な事実である。
(三) 控訴人らは、本件第一著作物の特徴であるとして、@内側に∩状先端を有する円柱様形態を配した独創的な構図、A藍染の地色に金泥で着彩した大胆な配色、Bプリミティブな紋様、C偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長の群立させた衝立状の全体的形状、という新鮮で洗練された特徴を備える造形美術作品であることを掲げている。しかし、前述したところに照らせば、「内側に∩状先端を有する円柱様形態」は、形状における多様なバリエーションに作者独自の創作性が認められる限りにおいて創作性が認められるにすぎないのであり、「藍染の地色に金泥で着彩」すること自体に創作性を認めることはできず、「プリミティブな紋様」は、具体的な紋様が独創的である限りにおいて創作性が認められるにすぎないのであり、「偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長」のパネル自体には創作性を認めることはできず、群立させた点については、そもそも、本件で、本件第一著作物の個別的な著作物性を主張しているのであるから、これを根拠にすることができないことは明らかである。
3 戸村作品と本件第一著作物との対比
 控訴人らは、戸村作品一と本件第一著作物(一)1ないし3、戸村作品二、三と本件第一著作物(二)1ないし4、戸村作品四ないし一〇と本件第一著作物(三)1ないし13、戸村作品一一、一二と本件第一著作物(四)、戸村作品一三と本件第一著作物(五)、戸村作品一四と本件第一著作物(六)1ないし3とが、それぞれ類似する旨主張するので、その当否について検討する。
(一) 本件第一著作物(一)1ないし3と戸村作品一
(1) 本件第一著作物(一)1ないし3(別紙第一著作物目録(一)1ないし3)
 本件第一著作物(一)1は、頂部が扁平とされた縦長の四角形で金色に彩色されたパネルの中央に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、宙に浮いた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩型で、下方に向かってわずかに幅広となった円柱形状であることが認められる。
 本件第一著作物(一)2は、頂部が扁平とされた縦長の四角形で金色に彩色されたパネルの中央に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が∩型で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であることが認められる。
 本件第一著作物(一)3は、頂部が扁平とされた縦長の四角形で金色に彩色されたパネルの中央に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、宙に浮いた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右に傾いた∩型で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であることが認められる。
 本件第一著作物(一)1ないし3の右表現全体をみると、ありふれたものではないことが明らかであるから、このような表現全体について創作性を認めることができる。
(2) 戸村作品一(別紙第二物件目録一)
 戸村作品一は、頂部が右上がりに扁平となった縦長の四角形で、金色と濃い藍色との斑に彩色されたパネルのほぼ全面に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で中央部のやや膨らんだ円錐形に近い形状であることが認められる。
(3) 右(1)、(2)によれば、戸村作品一は、本件第一著作物(一)1ないし3の表現全体と、それぞれ対比して、パネルの形状、円柱様の造形物の形状、彩色において大きく相違しており、表現全体として別異のイメージ(心象)を与えるものであり、また、戸村作品一は、本件第一著作物(一)1及び3のように、円柱様の造形物が宙に浮いた状態ではない。これらの相違がある以上、戸村作品一を本件第一著作物(一)1ないし3と類似しているものとすることはできないというべきである。
(二) 本件第一著作物(二)1ないし4と戸村作品二、三
(1) 本件第一著作物(二)1ないし4(別紙第一著作物目録(二)1ないし4
 本件第一著作物(二)1ないし4は、頂部が扁平とされた縦長の四角形で濃い藍色に彩色されたパネルの中央よりやや左側又は中央に、縦長の円柱様の造形物が描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右に傾いた略∧型で、下方に向かって幅が変化しないか、あるいは、わずかに幅広となるかした円柱形状であり、円柱様の造形物の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(二)1ないし4の右表現全体をみると、ありふれたものではないことが明らかであるから、このような表現全体について創作性を認めることができ、特に、帯状の部分は、特異な印象を与えるものであるから、表現されたものとしての創作性がみられるということができる。
(2) 戸村作品二、三(別紙第二物件目録二、三
 戸村作品二は、頂部が右上がりに扁平となった縦長の四角形で、濃い藍色に彩色されたパネルのほぼ全面に、金色に変化を持たせて彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で中央部のやや膨らんだ円錐形に近い形状であることが認められる。
(3) 右(1)、(2)によれば、戸村作品二、三は、本件第一著作物(二)1ないし4の表現全体と、それぞれ対比して、いずれも、パネルの形状、円柱様の造形物の形状、彩色において相違しており、表現全体として別異のイメージ(心象)を与えるものであり、また、戸村作品二、三は、本件第一著作物(二)1ないし4のような帯状の部分を有していない。これらの相違がある以上、戸村作品二、三を本件第一著作物(二)1ないし4と類似しているものとすることはできないというべきである。
(三) 本件第一著作物(三)1ないし13と戸村作品四ないし一〇
(1) 本件第一著作物(三)1ないし13(別紙第一著作物目録(三)1ないし13
 本件第一著作物(三)1は、頂部が不等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が∩型で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、上方の約3分の1及び下方の約3分の1が金色の地に薄く藍色を塗ったように彩色され、中間は金色に彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)2、9は、頂部が不等辺あるいは等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの中央に、ずんぐりした円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右に傾いた略∧型で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、円柱様の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)3、8は、頂部が不等辺あるいは等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの右寄りに、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩型で、下方に向かってやや幅広となった円柱形状であり、円柱様の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)4、5は、頂部が不等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルのほぼ中央に、ずんぐりした円柱様の造形物が、宙に浮いた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右に傾いた略∩型で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、円柱様の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)6は、頂部が等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右に傾いた略∧型で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、金色に彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)7は、頂部が等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルのほぼ中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右に傾いた略∧型で、下方に向かってわずかに幅広となった円柱形状であり、筋を伴って金色に彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)10は、頂部が等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの右寄りに、縦長の円柱様の造形物が、宙に浮いた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩型で、下方に向かってやや幅広となった円柱形状であり、円柱様の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)11は、頂部が等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの中央に、ずんぐりした円柱様の造形物が、宙に浮いた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部がやや右に傾いた略∩型で、下方に向かってやや幅広となった円柱形状であり、円柱様の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)12、13は、頂部が等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩型あるいはやや右に傾いた略∩状で、下方に向かってわずかに幅広となった円柱形状であり、円柱様の左側の辺には、上から下まで造形物の厚みを表わすかのような帯状の部分があり、円柱様の造形物の内側は金色に、帯状の部分は金色に濃い藍色の網掛けをしているように彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(三)1ないし13のそれぞれ表現全体をみると、ありふれたものではないことが明らかであるから、このような表現全体について創作性を認めることができ、特に、帯状の部分は、特異な印象を与えるものであるから、ここにも表現されたものとしての創作性がみられるということができる。
(2) 戸村作品四ないし一〇(別紙第二物件目録四ないし一〇
 戸村作品四は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形で、やや藍色の混じった金色に彩色されたパネルの全面に、金色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で、長楕円を縦割りにしたような形状であることが認められる。
 戸村作品五は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形で、藍色に彩色されたパネルのほぼ全面に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で中央部のやや膨らんだ円錐形に近い形状であることが認められる。
 戸村作品六は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、金色と濃い藍色との斑に彩色されたパネルのほぼ全面に、金色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で中央部の外形線に左右非対称の凹凸のある円錐形に近い形状であることが認められる。
 戸村作品七は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、藍色に彩色されたパネルの全面に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で、長楕円を縦割りにしたような形状であり、金色の地色をわずかに残して藍色に彩色されていることが認められる。
 戸村作品八は、頂部が等辺の山形とされた縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルの中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右にやや傾いた略∧状で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、藍色の地色を所々に残して金色に彩色されていることが認められる。
 戸村作品九は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルのほぼ全面に、金色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長で中央部の外形線に左右非対称の凹凸のある円錐形に近い形状であることが認められる。
 戸村作品一〇は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルのほぼ全面に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩状で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、上方が金色に、下方が金色と藍色との斑に彩色されていることが認められる。
(3) 右(1)、(2)によれば、戸村作品四ないし一〇は、それぞれ、本件第一著作物(三)1ないし13の各々の表現全体と対比したときに、いずれも、円柱様の造形物の形状、その配置、ときにはパネルの形状、彩色において大きく相違しており、表現全体として別異のイメージ(心象)を与えるものであり、また、戸村作品四ないし一〇は、本件第一著作物(三)2ないし5、8ないし13のような帯状の部分を有しておらず、本件第一著作物(三)4、5のように円柱様の造形物が宙に浮いた構図ともなっていない。これらの相違がある以上、戸村作品四ないし一〇を本件第一著作物(三)1ないし13と類似しているものとすることはできないというべきである。
(四) 本件第一著作物(四)と戸村作品一一、一二
(1) 本件第一著作物(四)(別紙第一著作物目録(四))
 本件第一著作物(四)は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形で、金色に彩色されたパネルの中央に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩状で、下方に向かってわずかに幅広となった円柱形状であることが認められる。
 本件第一著作物(四)の表現全体をみると、ありふれたものではないことが明らかであるから、このような表現全体について創作性を認めることができる。
(2) 戸村作品一一、一二(別紙第二物件目録一一、一二)
 戸村作品一一は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、金色に彩色されたパネルの全面に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長の円錐形に近い形状であることが認められる。
 戸村作品一二は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、金色に彩色されたパネルのほぼ全面に、濃い藍色に彩色された縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長の円錐形で、中間付近がやや歪んであるという形状であることが認められる。
(3) 右(1)、(2)によれば、戸村作品一一、一二は、本件第一著作物(四)の表現全体と対比して、パネルの形状、円柱様の造形物の形状、その配置において大きく相違しており、表現全体として別異のイメージ(心象)を与えるものである。これらの相違がある以上、戸村作品一一、一二を本件第一著作物(四)と類似しているものとすることはできないというべきである。
(五) 本件第一著作物(五)と戸村作品一三
(1) 本件第一著作物(五)(別紙第一著作物目録(五))
 本件第一著作物(五)は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、金色に彩色されたパネルの中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部がわずかに左に傾いた略∧状で、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、金色と濃い藍色の斑に彩色されていることが認められる。
 本件第一著作物(五)の表現全体をみると、ありふれたものではないことが明らかであるから、このような表現全体について創作性を認めることができる。
(2) 戸村作品一三(別紙第二物件目録一三)
 戸村作品一三は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形で、濃い藍色に彩色されたパネルのほぼ全面に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、縦長の円錐形に近い形状であり、金色がわずかに混じった濃い藍色に彩色されていることが認められる。
(3) 右(1)、(2)によれば、戸村作品一三は、本件第一著作物(五)の表現全体と対比して、パネル及び円柱様の造形物の彩色、パネルの形状、円柱様の造形物の面積がパネル全体の面積に占める割合において大きく相違しており、表現全体として別異のイメージ(心象)を与えるものである。これらの相違がある以上、戸村作品一三を本件第一著作物(五)と類似しているものとすることはできないというべきである。
(六) 本件第一著作物(六)1ないし3と戸村作品一四
(1) 本件第一著作物(六)1ないし3(別紙第一著作物目録(六)1ないし3)
 本件第一著作物(六)1は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形のパネルの右寄りに、金色に彩色され、ずんぐりした円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が略∩状で、下方に向かってかなり幅広となった形状であり、パネルには、濃い藍色の地色の上に、浮遊する多数の幻想的な金色の模様(唐草模様)が描かれていることが認められる。
 本件第一著作物(六)2は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、金色に彩色されたパネルの中央に、ずんぐりした円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が右側に傾いた略∧状で、下方に向かってかなり幅広となった形状であり、円柱様の造形物には、濃い藍色の地色の上に、浮遊する多数の幻想的な金色の模様(唐草模様)が描かれており、また、右パネルの背後には、ほぼ同形で濃い藍色に彩色されたパネルが、前方のパネルに少しずらして重ねて配置されていることが認められる。
 本件第一著作物(六)3は、頂部が不等辺の山形となった縦長の五角形で、金色に彩色されたパネルの中央に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が左側に傾いた略∩状で、下方に向かってかなり幅広となった形状であり、円柱様の造形物には、濃い藍色の地色の上に、浮遊する多数の幻想的な金色の模様(唐草模様)が描かれており、また、右パネルの背後には、頂部の勾配を異にする縦長の五角形で濃い藍色に彩色されたパネルが重ねて配置されていることが認められる。
 本件第一著作物(六)1ないし3のそれぞれの表現全体をみると、ありふれたものではないことが明らかであるから、このような表現全体について創作性を認めることができる。
(2) 戸村作品一四(別紙第二物件目録一四)
 戸村作品一四は、頂部が等辺の山形となった縦長の五角形のパネルのほぼ全面に、縦長の円柱様の造形物が、据え置かれた状態で描かれているという構図であり、その円柱様の造形物は、頂部が丸く、下方に向かってかなり幅広となった円柱形状であり、濃い藍色の地色の上に、浮遊する大小多数の不定形の金色の紋様が描かれており、パネルは、上方が金色で、下方が金色と藍色の斑に彩色されていることが認められる。
(3) 右(1)、(2)によれば、戸村作品一四は、本件第一著作物(六)1ないし3の表現全体とそれぞれ対比して、円柱様の造形物の形状、その配置、彩色、紋様の形状のいくつかにおいて大きく相違しており、表現全体として別異のイメージ(心象)を与えるものである。これらの相違がある以上、戸村作品一四を本件第一著作物(六)1ないし3と類似しているものとすることはできないというべきである。
(七) その他、本件第一著作物及び戸村作品のその余の組合せで対比しても、戸村作品のうちのいずれにもせよ、本件第一著作物のうちのいずれかと類似しているものとすることはできない。
(八) 本件第一著作物と戸村作品とを対比した場合、一見、後者から前者が直接感得できるように感じられるのは事実である。しかし、これは、本件第一著作物における、頂部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法あるいはアイデアについて、戸村作品も共通しており、しかも、右表現手法あるいはアイデアが本件第一著作物において目新しいものであったことによるものと考えられる。しかし、たとい右表現手法あるいはアイデアに創作性が認められるとしても、それ自体としては著作権法上の保護の対象となり得ないことは、前述のとおりである。
(九) 一般論としては、著作物の保護範囲を決する際に行われる類似性の判断に当たって、表現手法あるいはアイデアにおける創作性が何らかの影響を与える可能性があることは、当然に予想されるところである。しかし、本件において、この点を検討してみても、右表現手法あるいはアイデアにおける創作性が、前記(一)ないし(七)の類似性の判断を左右するような事情は、見出すことができない。
(一〇) 仮に、前記表現手法やアイデアについて、著作権法上の保護を与えるならば、以後極めて長い期間にわたって、著作権者以外の何人も、頂部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法やアイデアと同一あるいはこれと類似の表現手法やアイデアを含む創作活動を行うことができないこととなる。これが著作権という権利としてふさわしい範囲の保護といえないことは自明であり、著作権法1条にいう文化的所産の公正な利用に反し、文化の発展に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである。
4 依拠性について
 右認定のとおり、戸村作品は、表現手法あるいはアイデアにおいて本件第一著作物と共通している部分があり、そのために、原審以来、右共通点の生じたいきさつをめぐって、依拠性が激しく争われてきたものである。しかし、前述のとおり、表現手法あるいはアイデアは著作権法上の保護の対象となり得ず、両者の「表現したもの」を対比すると、いずれも類似しているとはいえないのであるから、依拠の点は論ずるまでもなく、本件第一著作物を複製・翻案したものとはいえないことが明らかである。
二 名誉毀損について
1 証拠(各項目ごとに括弧内に摘示する。)によれば、次の事実が認められる。
(一) 平成7年11月3日から21日までの間、東京で、第2回BeSeTo演劇祭が開催され、被控訴人スコットは、その参加作品として、同被控訴人の制作で、被控訴人長谷川作・演出に係る舞台演劇「赤穂浪士」(以下「本件演劇」という。)を、同月10日から12日までの間、新宿区<以下略>のパナソニック・グローブ座において上演した。その際、戸村作品を組み込んだ本件舞台装置が使用された。
(二) 控訴人金は、本件演劇の初日である平成7年11月10日、右演劇を見た際、本件舞台装置に組み込んだ戸村作品を見て、本件第一著作物を含む控訴人金の作品と酷似していると考え、演劇終演後、被控訴人スコットの事務局長である斉藤及び被控訴人長谷川に面会を求め、同人らに対して、本件舞台装置に組み込んだ戸村作品が控訴人金の作品と似ており、自分の作品が本件舞台装置に使用されている旨抗議し、これに対して、斉藤は、確認してみる旨伝えた。
(三) 斉藤は、翌11日、被控訴人戸村に電話連絡をして、金からの抗議の内容を伝えたのに対し、被控訴人戸村は、控訴人金という者は知らないし、戸村作品が控訴人金の作品を盗作したものでもない旨返答した。その際に、斉藤と被控訴人戸村は、相談のうえ、被控訴人戸村と控訴人金とが話し合う場を設けることにし、斉藤が、これを設定することになった。
(四) 控訴人金は、11月10日、前記演劇を見た後、斉藤の了承を得て、舞台装置の写真を撮影した。控訴人金は、同日、旧知の控訴人新崎に、翌11日、同じく旧知の控訴人武田に電話をかけて、被控訴人スコットと同戸村が控訴人金の作品を盗作していると告げ、控訴人新崎、同武田は、控訴人金を支援することにした。控訴人金及び同新崎は、13日、仁平弁護士事務所に赴き、法的手段を講ずることを依頼した。両名は、被控訴人スコットの態度が不誠実であるとし、同人及び控訴人戸村を糾弾すべく記者会見を行うことに決し、控訴人武田とも連絡を取って、承諾を得、3名で、記者会見を催すことにした。
(五) 斉藤は、同日から13日にかけて、被控訴人戸村と控訴人金とが話し合う場を設けるべく、控訴人金と電話やファックスで連絡を取った。斉藤が13日に控訴人金に電話連絡をした際、控訴人金が、一方的に、被控訴人スコットと同戸村が控訴人金の作品を盗作しているという態度であったので、斉藤は、被控訴人戸村は、自分のオリジナルの作品で盗作していないといっていると告げ、スコットとは関係ない問題なので作家同士で話し合ってもらいたいといった。控訴人金は、被控訴人スコットと同戸村が控訴人金の作品を盗作していると考えていたため、被控訴人スコットを抜きにして、被控訴人戸村と盗作かどうかという問題で話し合う意思はなかったので、それならば会う必要がない旨を伝え、電話を切った。
(六) 控訴人新崎及び同武田は、控訴人金から示された本件第一著作物の写っている写真と、戸村作品の写っている写真を見て、これらの比較だけで、類似しており、著作権侵害に当たると考え、それ以上の検討はしなかった。控訴人らは、17日、新宿の喫茶店で、記者会見についての打ち合わせをし、控訴人新崎が記者会見の文案を作成した。控訴人金は、控訴人新崎、同武田と打ち合わせたとおり、控訴人新崎が作成した文案に従って、18日、控訴人金、同新崎、同武田連名で、「劇団SCOTによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」と題する記者会見の案内をワープロで清書し、これを5大全国紙を含む新聞社、通信社、雑誌社合計10数社宛てにファックス送信した。右文書には、「BeSeTo演劇祭において、作品の剽窃が発覚いたしました」、「この演劇を見た金本人が気づき、終演後、演劇祭事務局と同劇団に抗議と釈明要求を申し入れました。しかし、同祭事務局と劇団はいまだ、誠意ある回答をしていません。」、「法的手続きは既に準備しております」等と記載されていた。
(七) 控訴人らは、21日3時から、財団法人国際文化会館において、記者会見を開催し、控訴人武田の司会で、控訴人新崎及び同金が記者への発表及び応答を行い、記者に対し、本件第一著作物の写っている写真及び戸村作品の写っている写真を記者に提供し、戸村作品は控訴人金の作品を盗作したものであるとし、被控訴人スコット代表者の鈴木、被控訴人戸村らに責任があること、謝罪広告や損害賠償を求める意図があることなどを告げた。翌22日、朝日新聞は、「私の作品と酷似」との見出しで、産経新聞は、「酷似!?」、「韓国の美術家が「剽窃」と抗議」との見出しで、讀賣新聞は、「「舞台装置、盗作だ」」、「「赤穂浪士」(劇団SCOT)に抗議」との見出しで、東京新聞は、「「舞台装置は盗作」韓国人美術家抗議」との見出しで、統一日報は、「舞台装置は盗用=H」「造形美術家金さん日本の劇団に抗議」との見出しで、それぞれ、記者会見において控訴人らが発表した内容を要約した記事を掲載し、合わせて、被控訴人戸村又は被控訴人スコットの若干の反論ないし言い分をも併記して掲載した。
2 右認定のとおり、控訴人らは、記者会見の席を設けて、戸村作品は控訴人金の作品を盗作したものであり、被控訴人らに責任があるなどの事実を告知し、これが、朝日新聞、産経新聞、讀賣新聞、東京新聞、統一日報によって、全国に広く報道されるところとなった。また、その結果、被控訴人戸村及び同スコットが控訴人金の作品を「盗作」をしたのではないかとの疑いの目、好奇の目にさらされることになったことは容易に推測し得るところであり、被控訴人らの名誉、声望が著しく毀損されたことは明らかというべきである。
 本件第一著作物と戸村作品とは、一見しても、いわゆるデッドコピーでないことは明白であり、直ちに著作権法上の「複製」や「翻案」に該当することにはならないのであるから、著作権法上の「複製」や「翻案」に該当するかどうか慎重に検討する必要があるのであり、控訴人らが、敢えて、被控訴人らが著作権を侵害していると公に発表しようというのであれば、十分な裏付けを基に慎重のうえにも慎重になすべきことであったというべきである。
 ところが、控訴人らは、本件第一著作物を含む控訴人金制作の「復活を待つ群れ」と題する一群の造形美術作品と本件舞台装置との比較で、基本的な構図、色彩等が共通しているところにのみ着目して、短絡的に、戸村作品が本件第一著作物を複製・翻案したものに当たると即断し、右共通性が真に著作権法にいう「複製」や「翻案」に当たるかどうかについての検討を一切せず、被控訴人戸村から、作者同士で話し合おうとの提案がされていたにもかかわらず、これを拒否し、一方的に、被控訴人らを糾弾すべく記者会見を催したのであるから、これが、不法行為の要件としての違法性のある行為を故意によって行った場合に該当することは明らかである。
 右のとおり、控訴人らの行為は、不法行為を構成するものであるから、控訴人らは、右行為によって被控訴人スコット及び同戸村に生じた損害を賠償する義務がある。
3 控訴人らは、被控訴人スコットや被控訴人長谷川らが責任逃れに終始し何らの誠意ある対応をなさなかったため、控訴人らは、このままでは被控訴人らの責任がうやむやになってしまうことを憂慮し、このような事態について学術的問題を提起することによって、金の芸術家としての名誉を擁護するとともに被控訴人らに対し文化活動に携わるものとしての自覚を喚起すべく、新聞人に広報し記者会見を開くとともに、一方、法的手続について弁護士に依頼し裁判所の判断を仰ぐべく本訴提起に至ったのであり、控訴人らのこれらの行為は、何ら責められるべきものではない旨主張する。
 しかしながら、被控訴人スコットや被控訴人長谷川らが責任逃れに終始し何らの誠意ある対応をなさなかったとはいえないことは、前記認定のとおりであり、また、控訴人らが、記者会見の前に、「BeSeTo演劇祭において、作品の剽窃が発覚いたしました」、「この演劇を見た金本人が気づき、終演後、演劇祭事務局と同劇団に抗議と釈明要求を申し入れました。しかし、同祭事務局と劇団はいまだ、誠意ある回答をしていません。」、「法的手続きは既に準備しております」等と記載された文書をファックスで送信すること、記者会見において、控訴人らが、戸村作品は控訴人金の作品を盗作したものであるとし、被控訴人スコット、同戸村らに責任があるとし、謝罪広告や損害賠償を求める意図があるなどと発表することが、学術的問題の提起でないことは、それ自体で明らかである。
 控訴人らの主張は、失当である。
4 また、控訴人らは、本件のような作家の著作権侵害の事案においては、「当該作品を制作した者などから事実を確認するなどして、真実著作権を侵害する行為があったか否かを十分に調査」することは事実上不可能であるとし、著作権を侵害して作品を作成した作家が、自分がその作品を作成することの必然的な経緯を創作し、オリジナルな作品であることを主張したからといって、「真実著作権を侵害する行為」がなかったことにならないことは当然であるとし、戸村作品が本件第一著作物とよく似ていることは、原判決も認めているとおりであるから、このような事実がある以上、「当該作品を制作した者などから事実を確認するなどして、真実著作権を侵害する行為があったか否かを十分に調査」する義務は緩やかに解されるべきである旨主張する。
 しかしながら、控訴人らの主張によれば、結局、自己の作品と似ている作品については、相手方が何と弁解しようが、著作権を侵害するものとしてよく、この点について十分に調査、検討すべき義務はないということになる。当裁判所は、このような結果となる見解を採用することができない。
5 さらに、控訴人らは、記者会見において、問題となっている作品について、双方の作品の写真を記者に提供して、記者らの検証を可能ならしめたうえで会見を行ったものであり、記者らは、これらの写真により、剽窃の疑いを確認して記事とすることが可能であり、事実、確認のうえ記事としているのだから、本件記者会見と記事の内容との間には、参加記者の判断が介在しており、直接的な因果関係はない旨主張する。
 しかしながら、前記認定のとおり、朝日新聞、産経新聞、讀賣新聞、東京新聞、統一日報は、控訴人らが記者会見で発表したことを事実として報道したわけではなく、控訴人らが、記者会見の席で発表した事実を、被控訴人戸村又は被控訴人スコットの若干の反論ないし言い分も合わせて報道しただけである。そして、このような報道によっても、全国に広く報道されることによって、被控訴人戸村及び同スコットが控訴人金の作品を「盗作」をしたのではないかとの疑いの目、好奇の目にさらされることになったため、被控訴人らの名誉、声望が著しく毀損されたのであるから、因果関係の有無を論ずる控訴人らの主張は、失当であることが明らかである。
三 附帯控訴について
1 損害額
 被控訴人スコット及び同戸村が、戸村作品及びこれを組み込んだ本件舞台装置が、控訴人金の作品を「盗作」をしたのではないかとの疑いの目、好奇の目にさらされることになり、名誉、声望を著しく毀損されたことは、前記認定のとおりである。
 証拠(甲第一一号証、甲第三一号証)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人スコットの代表者である鈴木は、世界的にも高い評価を受けている演出家であり、同被控訴人の主宰する劇団スコットは、昭和41年に創設されて以来、我が国のみならず海外でも数多く公演を行ってきた我が国でも屈指の現代劇団であること、被控訴人戸村は、昭和57年以来、数多くの絵画作品を手がけて毎年のように個展を開き、平成2年からは、「マクベス」、「イワーノフ」などの演劇の衣装や舞台美術をも担当し、美術家として活動してきていたことが認められる。このような被控訴人スコット、同戸村の社会的地位に、前記認定のとおりの控訴人らの不法行為の態様、結果の重大さ、後述のとおり謝罪広告の請求が認容されること、表現手法やアイデアが共通していたため著作権法上の複製・翻案に当たると誤解しやすい状況があったこと、その他諸般の事情を総合して、被控訴人らが、控訴人らの不法行為により被った精神的損害の金銭的評価は、戸村について100万円、スコットについて100万円とするのが相当であると認める。
2 弁護士費用
 本件事案の内容、請求額、認容された額、訴訟遂行の難易さなど一切の事情を総合して、右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用に係る損害は、戸村及びスコットそれぞれにつき、40万円とするのが相当であると認める。
 被控訴人らは、本件のような事案において、一律に認容額から割合的に弁護士費用額を考えることは実態に即しておらず、不法行為の被害者に対して実損害を賠償するという面からみて妥当ではない旨主張する。しかし、右主張は、民事訴訟費用の負担に関する現行制度(民事訴訟法155条2項、人事訴訟手続法3条2項ないし4項、民事訴訟費用等に関する法律2条11号、最高裁判所昭和44年2月27日第一小法廷判決民集23巻2号441頁参照)と相容れないものであることが明らかであり、法解釈論としては採用できない。
3 謝罪広告
 民法は、他人の名誉を毀損した者に対して、裁判所が被害者の請求により損害賠償に代え又は損害賠償とともに名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができると規定している(723条)。本件の場合、被控訴人スコットは、我が国でも屈指の劇団であり、被控訴人戸村も、美術家としての活動を続けてきていたものである。ところが、控訴人らは、前示のとおり、被控訴人らの名誉、声望を毀損することによって故意に被控訴人らの人格権を侵害したのである。また、本件紛争は、前記のとおり、多数の全国紙に取り上げられ、被控訴人らは、舞台装置に、本件第一著作物を複製・翻案した戸村作品を使用したとの疑いをもたれたままの状態になっている。これらの点を考慮して、被控訴人らが本件第一著作物を盗作したものではないとの事実を確保し、その名誉を回復するための適当な措置として、控訴人らが、被控訴人スコット及び同戸村のために、別紙謝罪広告目録一記載の謝罪広告を、見出し及び記名宛名は各14ポイント活字をもって、本文その他の部分は8ポイント活字をもって、朝日新聞社発行の朝日新聞、産業経済新聞社発行の産経新聞、及び讀賣新聞社発行の讀賣新聞の各全国版朝刊社会面、中日新聞社発行の東京新聞の朝刊社会面、並びに統一日報社発行の統一日報にそれぞれ1回掲載することを認めるのが相当であると認める。
四 新請求について
 本件第一著作物及び戸村作品を「表現されたもの」について対比すれば類似するものとはいえない、表現手法やアイデアは著作権法上の保護の対象となり得ない、とする前記認定判断を前提とするとき、控訴人らの新請求は、これを理由あらしめるに足りる主張も立証もないものといわざるを得ない。
五 以上によれば、本件第一事件についての被控訴人らの請求は、被控訴人スコット及び同戸村が、それぞれ、控訴人らに対して、慰謝料として、連帯して100万円と弁護士費用40万円の合計140万円及びこれに対する平成7年11月21日(不法行為の日)から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払をするよう求め、あわせて、その主張の謝罪広告を1回するよう求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきものであり、本件第二事件についての控訴人金の請求は、当審における新請求も含め、いずれも理由がないから棄却すべきものであると判断する。そこで、これと異なる原判決を右のとおりに変更することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法67条2項、61条、64条、65条1項を、仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
  〔研  究〕
1.依拠性を否定した東京地裁判決では、専ら独自の創作的表現を発揮して制作したことは明らかであり、本件著作物を複製したものではないと判示したところ、東京高裁では、依拠性については、両作品を対比しての非類似の認定から、それを論ずることはしなかったが、微妙な説示である。しかし、控訴請求は認めなかったものの、判決主文と理由を変更した。即ち、既存著作物―依拠―直接感得―類似―複製・翻案の関係について、次のように説示しているが、直接感得性は類似性を認めるための“必要条件”ではあっても、“十分条件”ではないと説示し、類似性判断のためのハードルをさらに高く上げたのである。
 「著作権法によって保護されるものは、直接には、『表現したもの』(『表現されたもの』といっても同じ。)自体であり、思想又は感情自体に保護が及ぶことがあり得ないのはもちろん、思想又は感情を創作的に表現するに当たって採用された手法や表現を生み出す本(もと)になったアイディア(着想)も、それ自体としては保護の対象とはなり得ない。」
 著作権者に専有権の与えられている「複製」・「翻案」とは具体的に、被告作品が「既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性のあるものを作製することであり、ここに類似性のあるものとは、『既存の著作物の、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分』についての表現が共通し、この結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものである(最高昭和55年3月28日三小判・民集34巻3号244頁参照)。」
 ところが、注意すべきこととして東京高裁は、複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要件である「直接感得性」は、類似性を認めるための“必要条件”であっても“十分条件”ではない。即ち、直接感得性は、表現されたものどおしを比較したときの共通性以外の要素によっても大いに左右される場合があるから、必ずしも常に類似性の判断基準として有効に機能することにはならない、と説示している。
 そこで、新しく打ち出されたハードルは「公益性」であり、表現の共通性や直接感得性があったとしても、公益性や第三者利益との調整を重視する立場から、著作権法による保護は、「それにふさわしいものに対してそれにふさわしい範囲においてのみ認められるべきことになる」から、「表現したもの」のみを保護することにしたものと解すべきであるとした。そして、この条件をクリアすることが、前記した十分条件を果たしたことになるというが、著作権侵害問題に、新しい異質の基準を打ち出した判決であるといえる。(1)
 しかしながら、このような著作物の複製・翻案の有無を判断する要素として、直接感得性のほかに、さらに公益性や第三者利益との関係を調整しなければならないとすれば、これは正に特許権や意匠権の保護範囲を考えるときに要求される客観的評価と同一レベルの要件となってしまうが、ここまで至ってよいのだろうか。
 東京高裁判決はこの点について、「著作権法による保護を、このようなものとして把握する場合、特許法、実用新案法が思想(技術的思想)までを保護する(特許法2条、実用新案法2条参照)のとは異なり、思想や感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出すアイデアが保護されることはなく、その結果、著作権法による保護の範囲が、見方によれば狭いものとなることがあることは事実であろう。しかし、それは、著作権法の趣旨から当然のことというべきである。」と説示する。しかし、特許権にはクレームがあり、均等論はあってもその適用には限界があるし、意匠権には類似の範囲はあってもそれ以上の保護はないことと比較すれば、一つの表現形式の周辺を類似のものとして保護する両者の間に、知的財産権の保護範囲の考え方について、本質的な違いは認められないことになるが、これでいいのだろうか。(2)
 なお、この東京高裁判決に対する上告事件について、最高裁三小は、平成14年9月25日までに上告棄却の決定をしたとの報道があった(朝日新聞平成14年9月26日)。
 本事件についての研究は未完であり、著作物の成立の本質に関する問題が提起されているから、今後も継続して研究したい。

[牛木理一]

  (注)
(1) 「公益性」とは似て非なる「公有性」(パブリック・ドメン)に属する部分が著作物の中にも存在することを認識させた哲学者として、半田正夫先生はフィヒテの功績は大きいと言われ、「たしかに著作物が創作物であるとはいえ、いかなる著作者といえども完全なる無から有を創り出すことはできず、必ずやなんらかの形で素材(それは先人の文化的遺産の場合もあろうし、また自然の事物あるいは日常生起せる事件の場合もあろう)を利用しているはずであるから、この部分については公有と認めざるをえないであろう。」(半田正夫「著作権法概説」10版93頁)と述べられる。そして、「当初、フィヒテが外面的「形式」だけを保護すべきであると主張したのは、「形式」の中心にのみ著作者のいわゆる創作的な個性が現れていると考えたからにほかならない。とすれば、著作物の本質を論ずるにあたって重要なのは、「形式」か否かの区別の問題ではなく、創作的個性が現れているか否かの問題であろう。・・・・結局は著作物ごとに、著作者の個性が認められ、したがって著作権によって保護を受ける部分とは何か、また万人の自由利用が認められ公有の部分とは何か、を検討しなければならないであろう。このような著作物の本質的なとらえ方は、従来ともすれば見失いがちであったことがらの本質を再認識させた点で意義があるように思われる。」(半田前掲96頁)と述べられる。しかし、公有性と公益性とは別異の概念であり、創作された著作物の中に公有性が存在することは理解できても、高裁判決のいう公益性なるものは理解できない。
(2) 牛木理一「著作権の成立と保護範囲」知財管理Vol.51,No.10,1547頁〔第1−11参照〕