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書「雪月花」等控訴事件:東京高裁平成11年(ネ)5641号.平成14年2月18日判決(控訴棄却,拡張請求棄却)〔13民〕

〔事  実〕
 この控訴審は、東京地裁平成11年10月27日判決(D−6参照)に対する事件であり、控訴人は原告(亡時光太郎.平成13年10月13日死亡)の法定相続人の姉(恵ほなみ)であり、本件訴訟を承継した。
 本件は、当該書に係る原告の著作権(複製権又は翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害に当たると主張した原告の損害賠償請求を棄却した原判決に対し、原告が控訴後に、翻案権侵害の主張を予備的に追加し、また請求の拡張をした事案である。

 

〔判  断〕

 

1.争点1(複製又は翻案の成否)について
(1) 前記前提となる事実及び証拠並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
ア.亡時は、時光華との雅号を称し、昭和58年日本書道美術館展推薦賞、昭和59年汲五書展朝日新聞社賞、昭和61年墨東書展日本美術協会賞等の各賞を受賞し、平成3年ころから錦糸町西武百貨店において個展を開催するなどして活動していた書家である。
イ.本件各カタログは、被控訴人オーデリックの販売に係る照明器具の宣 伝、広告用に作成されたものであり、8年カタログ及び9年カタログは、縦約31センチメートル、横約25.5センチメートルの大きさで、500〜600頁の大部のカタログであり、写真写りの良い上質紙が使用されている。
本件各カタログ中の本件各作品が写されている写真は別紙目録1〜8のとおりであり、いずれも、座卓、掛け軸、生け花等の配された和室が被写体とされており、天井には被控訴人オーデリックの室内照明器具が設置され、後方の床の間に掛けられた掛け軸として本件各作品が写されている。写真の印刷は美麗で、本件各作品部分を含め、ピントのぼけもなく比較的鮮明に写されている。
? なお、この掛け軸は、カタログ写真の撮影現場とされた住宅会社のモデルハウスにもともと配置されていたものである。
ウ.本件各作品の文字構成、書体及び現物の紙面の大きさは、おおむね以下のとおりである。(略)
(2) 複製の成否について
ア.本件各作品の複製の成否を判断する前提として、まず、書の著作物としての特性について検討する。
 書は、一般に、文字及び書体の選択、文字の形、太細、方向、大きさ、全体の配置と構成、墨の濃淡と潤渇(にじみ、かすれを含む。以下、同じ。)などの表現形式を通じて、文字の形の独創性、線の美しさと微妙さ、文字群と余白の構成美、運筆の緩急と抑揚、墨色の冴えと変化、筆の勢い、ひいては作者の精神性までをも見る者に感得させる造形芸術であるとされている。他方、書は、本来的には情報伝達という実用的機能を担うものとして特定人の独占が許されない文字を素材として成り立っているという性格上、文字の基本的な形(字体、書体)による表現上の制約を伴うことは否定することができず、書として表現されているとしても、その字体や書体そのものに著作物性を見いだすことは一般的には困難であるから、書の著作物としての本質的な特徴、すなわち思想、感情の創作的な表現部分は、字体や書体のほか、これに付け加えられた書に特有の上記の美的要素に求めざるを得ない。そして、著作物の複製とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することであって、写真は再製の一手段ではあるが(著2条1項15号)、書を写真により再製した場合に、その行為が美術の著作物としての書の複製に当たるといえるためには、一般人の通常の注意力を基準とした上、当該書の写真において、上記表現形式を通じ、単に字体や書体が再現されているにとどまらず、文字の形の独創性、線の美しさと微妙さ、文字群と余白の構成美、運筆の緩急と抑揚、墨色の冴えと変化、筆の勢いといった上記の美的要素を直接感得することができる程度に再現がされていることを要するものというべきである。
イ.このような観点から検討すると、本件各カタログ中の本件各作品部分は、上質紙に美麗な印刷でピントのぼけもなく比較的鮮明に写されているとはいえ、前記(1)ウ、エの紙面の大きさの対比から、本件各作品の現物のおおむね50分の1程度の大きさに縮小されていると推察されるものであって、「雪月花」、「吉祥」、「遊」の各文字は、縦が約5〜8o、横が約3〜5o程度の大きさで再現されているにすぎず、字体、書体や全体の構成は明確に認識することができるものの、墨の濃淡と潤渇等の表現形式までが再現されていると断定することは困難である。すなわち、この点については、本件各作品の現物が本件訴訟で証拠として提出されていないため、直接の厳密な比較は困難であるが、亡時自身が本件各作品を再現したという検甲1〜4を参考に検討してみると、例えば、本件作品A(雪月花)を再現したという検甲4の「雪」の1画目のわずかににじんだ濃い墨色での表現、同3画目の横線が右側でわずかにかすれ、切り返し部でいったん筆が止まって、左側に大きく筆を流している柔らかな崩し字の表現、「月」の1画目の起筆部分の繊細な筆の入り方、同2画目の力強い縦線の濃く太い線とその右に沿って看取できるわずかなかすれによる表現、「花」の草冠の2本の縦線のうち右側の「ノ」とその下の「一」の間にある微細な空げきによる筆の流れを示す表現等が、墨色の濃淡と潤渇といった表現形式から感得することができるのに対し、本件各カタログ中の本件各作品部分においても、また、検甲4を本件各カタログ中の本件各作品部分とほぼ同一の大きさに縮小したもの(甲19の比較図面)においても、こうした微妙な表現までは再現されていない。同様に、本件作品B(吉祥)を再現したという検甲3の「吉」の4画目に入る筆の勢い、「祥」の2本の縦線の肉太で直線的な筆の止め方の妙、本件作品C(遊)を再現したという検甲2及び本件作品D(遊)を再現したという検甲1の「遊」の字画中の「子」からしんにょうの起筆部分に至るまで一気に運筆して形成される流麗な崩し字の表現、かすれ痕を伴ったしんにょうの左から右に弧を描くような伸びやかな筆使いといった表現が、墨色の濃淡と潤渇等の表現形式から感得することができるのに対し、本件各カタログ中の本件各作品部分においても、また、検甲1〜3を本件各カタログ中の本件各作品部分とほぼ同一の大きさに縮小したもの(甲19の比較図面)においても、こうした微妙な表現までが再現されているとはいえない。
 そうすると、以上のような限定された範囲での再現しかされていない本件各カタログ中の本件各作品部分を一般人が通常の注意力をもって見た場合に、これを通じて、本件各作品が本来有していると考えられる線の美しさと微妙さ、運筆の緩急と抑揚、墨色の冴えと変化、筆の勢いといった美的要素を直接感得することは困難であるといわざるを得ない。なお、控訴人は、書に詳しくない控訴人が本件カタログ中に本件各作品が写されているのを偶然発見し、これが本件各作品であると認識した旨主張するが、ある書が特定の作者の特定の書であることを認識し得るかどうかということと、美術の著作物としての書の本質的な特徴を直接感得することができるかどうかということは、次元が異なるというべきであるから、上記の認定判断を左右するものではない。
 したがって、本件各カタログ中の本件各作品部分において、本件各作品の書の著作物としての本質的な特徴、すなわち思想、感情の創作的な表現部分が再現されているということはできず、本件各カタログに本件各作品が写された写真を掲載した被控訴人らの行為が、本件各作品の複製に当たるとはいえないというべきである。
ウ.控訴人は、書の最も重要な要素は形、すなわち造形性であり、書の複製の成否の判断においても、本質的な要素は形であるところ、本件各カタログ中の本件各作品部分でも本件各作品の書の造形性が再現されている旨主張する。しかし、上記のとおり書が文字を素材とする造形芸術である以上、その著作物としての本質的な特徴としては、字体や書体に付加される美的要素を軽視することはできず、単に書の形が再現されていれば複製が成立すると解した場合には、字体や書体そのものに著作物性を肯定する結果にもなりかねない。そうすると、書の著作物としての本質的な特徴、すなわち思想、感情の創作的な表現部分については、上記のとおり解さざるを得ないというべきであり、控訴人の上記主張は採用することができない。
 また、控訴人は、墨の濃淡は拓本や篆書、隷書においては問題にならない旨主張するが、拓本による再製や篆書、隷書の複製一般の問題は、これらの複製が問題となっていない本件においては、上記判断に何ら消長を来すものではない。
(3) 翻案の成否について
 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができる別の著作物を創作する行為をいう(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁)ところ、美術の著作物においても、この理を異にするものではないというべきであり、また、美術の著作物としての書の翻案の成否の判断に当たっても、書の著作物としての本質的特徴、すなわち思想、感情の創作的な表現部分のとらえ方については、上記(2)アに述べたところが妥当すると解すべきであるから、本件各カタログ中の本件各作品部分が、本件各作品の表現上の本質的な特徴の同一性を維持するものではなく、また、これに接する者がその表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、前示(2)の判断に照らして明らかというべきである。
 そうすると、本件各カタログに本件各作品が写された写真を掲載した被控訴人らの行為は、本件各作品の翻案にも当たらないというべきである。
(4) したがって、本件各作品に係る亡時の著作権(複製権又は翻案権)の侵害に基づく控訴人の請求は理由がない。

2.争点3(氏名表示権及び同一性保持権の侵害)について
本件各カタログ中の本件各作品部分が本件各作品の著作物としての本質的
な特徴、すなわち思想、感情の創作的な表現部分を有するものではなく、
本件各カタログが本件各作品の複製物であるとも、その翻案に係る二次的
著作物であるともいえないことは上記1のとおりであるから、亡時の氏名
表示権及び同一性保持権は本件各カタログに及ばないというべきである。
 したがって、本件各作品に係る亡時の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害に基づく控訴人の請求も理由がない。
〔研  究〕
1.この判決の趣旨は、書の著作物の特徴的な表現形式の再現の程度が問題となるというのであり、カタログ上の写真による背景的利用を一般的に許容するというものではない。この判決は、一審判決と同様に、あくまでも複製の要件としての再製性を問題としている。しかし、本件の場合は、一写真の中の背景として、「書」らしき物や「絵」らしき物が見られる場合ではなく、部屋の然るべき所に「書」が明確に存在しているのが判別できるのだから、十分に注意して考えるべき問題である。

2.カタログに採録されている部屋の写真には、床の間に著名な書家の色紙が掲示されているのだから、「書」の筆使いによる文字の末端部分の細かい微妙な挿子は判別することはできないかも知れないが、何人の書であるかは明確に判別できるし、商業的利益を上げるために、他人の著作物を使用した宣伝カタログを作成し頒布した事実は否定できない。そして、本件は、カタログという著作物における他人の著作物の無断引用(複製)という、著作権侵害の典型例と考えるべきではないだろうか。
 引用の態様は異なるが、想起される事案は、東京高裁昭和60年10月17日判決の「藤田嗣治絵画複製」事件である。この事件は、美術全集の一巻に掲載された画家の絵が、執筆者の論文における引用といえるか否かが争われた事案で、主従の関係が認められるならば、引用物は從  として適法であるところ、この絵自体は独立した鑑賞性を有するものといえるから、著作権法32条1項の規定する適法引用の要件を具備していないと認定された。(別冊ジュリスト157著作権判例百選<第三版>162頁)
 これに対し、本件は、宣伝カタログの写真からはその「書」自体の美的鑑賞性を感得することが可能か否かの疑問はあろうが、それに準ずる考え方として、端的に他人の著作物の「引用」利用に対する複製権と著作者人権侵害を追及することは十分可能なのではないか。
 判決は、字体や書体そのものの著作物性を肯定する結果になることをおそれているが、本件書は本来そのようなものではなく、書家独自の一品制作にかかる作品であるから、そのような作品を他人が無断で引用してよいのか、という著作権法の本質的な問題が裁判所に問われているのである。

3.この控訴審判決に対しては、上告されたが、最高裁の判決が注目されるところである。

[牛木理一]