D-26



 


ゴーマニズム宣言事件:
東京地裁平成9年(ワ)27869号平成11年8月31日判決(棄却)<民47部>、
東京高裁平成11年(ネ)4783号平成12年4月25日判決(原判決変更・一部認容)<6民>、
最高裁三小平成14年4月26日決定(上告棄却)

 


〔キーワード〕 


漫画カットの引用、採録、やむを得ない改変、同一性保持権、精神的苦痛

〔事  実〕

この著作権事件は、漫画家であるKY(原告)が、原告の創作した漫画のカットを採録した書籍の著者US、発行者KN及び発行所T出版(株)を被告に、@漫画カットの採録は複製権の侵害である、A採録された漫画カットの一部は原告の意に反して改変されているから、同一性保持権を侵害している、B被告書籍の表題等は原告漫画のそれと類似しているから、被告書籍の出版等は不正競争行為に該当すると主張して、被告書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め及び損害賠償を求めた事案である。
原告は「小林よしのり」のペンネームで活躍する漫画家であり、「ゴーマニズム宣言」(双葉社)、「新ゴーマニズム宣言」(小学館)、「新・ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」(幻冬社)の著者である。
被告らは共同して、平成9年11月1日、被告USを著者とする「脱ゴーマニズム宣言―小林よしのりの“慰安婦”問題」の初版第1刷を出版発行し、以後、被告書籍を販売頒布した。
被告書籍には、原告書籍の一部である漫画のカット(コマ割り)が、49コマ、収録されていた。原告カットのうち、5つについては、原告の著作物に対し、人物に目線を施し、手書き文字を書き加え(カット27)又はカットを配置し直す(カット37)という変更をして、被告書籍に採録された。
争点は、原告が請求した前記の3点であった。
(1) 被告書籍中の原告カットの採録が、適法な引用といえるかどうかの複製権侵害の成否。
(2) 被告書籍における原告カットの改変が、原告が有する同一性保持権を侵害するかどうかの同一性保持権侵害の成否。
(3) 原告書籍と同一又は類似の題号を使用しているから、被告書籍の出版等は不競法2条1項1号又は2号に違反する不正競争行為となるかどうか。

 

〔地裁の判断〕

 

一 争点1について(複製権の侵害)
1 適法な引用の要件
著作権法32条1項は、「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」と規定している。この規定は、著作権の保護を図りつつ、文化的所産としての著作物の公正な利用を可能ならしめるための規定である。このような規定の趣旨に鑑みると、同項にいう引用とは、報道、批評、研究等の目的で他人の著作物の全部又は一部を自己の著作物中に採録するものであって、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する著作物(以下「引用著作物」という。)と、引用されて利用される著作物(被引用著作物」という。)を明瞭に区別して認識することができ(明瞭区別性)、かつ、両著作物の間に前者が主、後者が従の関係にあるもの(付従性)をいうと解するのが相当である。
2 原告書籍及び被告書籍
(一) 原告書籍
原告書籍は、原告の創作した漫画を中心として、原告が漫画で取り上げている主題に関連するインタビュー記事、対談録、鼎談録、論説その他によって構成されている。
被告書籍に採録されている原告カットは、いずれも原告書籍の漫画の部分(以下「原告漫画」という。)に含まれている。
原告漫画は、1話単位で章が構成され、その中で絵を連ねて会話の文を書き加えるなどして、各章ごとに又は複数の章をひとまとまりとして完結する物語形式がとられている。原告書籍(1)に収められた序章、第1章ないし第48章並びに「おこっちゃまくん・ヤング編」及び「おこっちゃまくん・こども編」の各話は、6頁で構成される第20章を除き、いずれも見開き2頁で構成されているが、原告書籍(2)ないし(14)に収められた各話は原則として8頁で構成されている(ただし、原告書籍(14)には80頁を超える書き下ろし作品が収録されている。)。
また、原告漫画においては、著者である原告がその時々において関心を有している社会問題が主題として取り上げられ、右主題についての著者の主張が漫画の絵と文を通して示されている。
(二) 被告書籍
被告書籍は、「はじめに────【D】へのレクイエム」、本文部分及び「あとがき」によって構成され、本文部分は11頁から100頁までの「脱ゴーマニズム宣言」と101頁から144頁までの「『慰安婦』攻撃の裏舞台」からなる。
被告書籍における原告カットの採録は、右本文部分の「脱ゴーマニズム宣言」においてのみ行われている。
被告書籍中、右「脱ゴーマニズム宣言」の部分は、1頁18行の上下2段構成であり、「1 ひん死の『ゴーマニズム宣言』」から「22 おわりに───【D】は復活できるか」までのいずれも、原告漫画を題材とした論説(以下、被告書籍中の論説部分を「被告論説」という。)であるが、「1 ひん死の『ゴーマニズム宣言』」から「4 【D】マンガが教科書に?」までの各章が、漫画家としての原告の活動姿勢全般を対象としているのに対して、「5 『強制連行あった』『なかった』は、順序が逆」から「22 おわりに───【D】は復活できるか」までの各章は、主として原告漫画のうち、いわゆる慰安婦問題を取り上げた箇所について批判を加え、反論を行っているものである。
3 被告書籍中の原告カットに関する記述内容
原告カットに関する被告書籍中の記述内容は、以下のとおりである。
被告書籍中の原告カットと関連記述の位置関係については、原告カットの採録されている頁(以下「採録頁」という。)を基準として関連記述の登載頁を括弧内に示すとともに、関連記述中又は関連記述の前後に隣接して原告カットが存在する場合には【原告カット】として採録箇所を示した。
カット1(採録頁)
新・旧『ゴーマニズム宣言』の各章の最後には、次のように読者に問いかけるコマがあり、直後にキメの言葉が描かれる。
カット2(採録前頁)
芥川賞作家の【G】氏は、【D】との応酬の中で、「私は、もう『ゴーマニズム宣言』の手法が無効になっているのではないかと気の毒にさえ思うのである。それに余計なお世話だが、あなたの絵は、戦争中、中国人が配布した日本軍の非道さを宣伝するビラのイラストそっくりになってきている、気をつけたほうがいい。・・・(略)・・・」(「攻撃すべきは、あの者たちの神だ」『新潮45』1997年6月)と書いた。
私も「ゴーマニズム宣言」は彼の社会活動とともに危機にひんしていると思う。それは何よりも、【D】の思想的な問題が原因なのだが、とりあえず漫画の手法に則していえば、【G】氏がいうように、「ビラのイラストそっくり」という点は重要だ。
【G】氏が「ビラ」と書いたのは中国の「抗日壁画」の勘違いで、次のイラストのことだろう。【D】氏の漫画が一種のプロパガンダ(扇情的宣伝)の様相を呈していることを指摘しているのだ。
カット3(採録頁及び次頁)
【D】は、この点をよく承知しているし、なんとその上で、あえて彼の作り上げたイメージを読者にすり込むことを始めた。その意図的な始まりは、「ゴーマニズム宣言」第159章で、薬害【カット3】エイズ問題の【H】・帝京大学副学長(当時)を、「名誉毀損覚悟で・・・薬害魔王」(『新ゴーマニズム宣言スペシャル・脱正義論』18頁)に仕立てる絵を描き始めたことだ。
カット4(採録頁及び次頁)
HIV訴訟の原告である【F】君の顔を醜く【カット4】描いたこの絵も、【D】と彼の関係が悪くなって以来、何度も繰り返して漫画に掲載された(肖像権保護のための目隠しは引用者による。以下の目隠しも同じ)。
カット5(採録頁)
「いつの日かこの世を弱者の楽園にするまでわしは闘い続けてやる!」と叫んだ【D】、毒は持っていても心優しい【D】はどこへ行ってし【カット5】まったのか?なぜそこまで変心してしまったのか?多くの読者が嘆く。
カット6(採録頁)
「わしはこの薬害エイズ問題で決定的に『運動』が嫌いになった!」と、一人叫ぶシーンは印象的だ。
カット7(採録頁)
彼への批判者とやり合うためには、やはりもともと知識が不足していると痛感していた。【I】氏の「あんたはこの問題(薬害エイズ問題)から手を引きなさい」「ぼくが学生たちを引き受けてもいいから」という申し出を受け容れる。
カット8(採録前頁及び採録頁)
「ゴー宣」をこれまで読んできた者なら、かつて次のように応えた【D】をこよなく「大チュキ」と愛した筈だ。相手は民族派で一水会の代表・【J】氏である。
【カット8】
カット9(採録前頁)
「ゴー宣」第113章になると【D】は、「教育だな、やっぱり!」「最近、教科書にしたい漫画、というアンケートで、この『ゴー宣』を上げるものが多くなってきたらしい」とほくそ笑んで、次のような宣伝で章を終えている。
【カット9】
カット10(採録頁)
【D】が「慰安婦」問題を初めて取り上げた「新ゴー宣」第24章のメインは、【D】が元「慰安婦」のインタビューをテレビで観るところから始まる。
カット11(採録頁)
このように金さんは、【K】氏の本をネタにして「強制連行されたとき、木剣で殴られた傷が今も痛む」とか、「首に縄を付けて連行された時の擦り【カット11】傷が痛い」などと被害を訴えているのではない。
なのに【D】は、「官憲による強制連行があったかどうかだけが問題だ」という。
カット12(採録頁)
【カット12】とも描くが、被害者の訴えを聞いた警察官がすぐ加害者に「あんたやったの?」と尋ねにいって、「やってない」と答えられたら「これでお互い相殺だ」と、上のように言うのかい?
カット13(採録前頁及び採録頁)
次の漫画は、「朝まで生テレビ」直後の【D】の顔だが、きれいに描かれすぎている。本当は目の下にクマができていて、写真のような顔をしている。少しタレ目でもある。ただ、【D】が自分の顔を、上のように考えている、あるいはそのように見せたい思いがあることもまた事実なのだ。
カット14(採録頁及び次頁)
次の漫画は、新しい歴史教科書をつくる会の記者会見のシーンだ。右から2人目と3人目の間にはマイクが置かれている。だが、そこには、下の写真で見ると、【L】氏と【M】氏のネームプレートが置かれていて、2人(【N】氏を加えると3人)が欠席した格好の悪さを隠し、「つく【カット14】る会」がすごいのだと誇張している漫画であることがわかる。
カット15(採録頁)
【カット15】
このコマには、欄外に虫眼鏡で見ないと分からないくらい小さく、「つくる会」の呼びかけ人会が解散したことを伝えている。【L】・【N】両氏が呼びかけ人から降りたいと強く要求し、しかし、やめられると格好悪いので、解散という形にしてその事実を隠そうとしたもので、これなどは、2のケースの例だ。
カット16(採録頁)
 【D】は「広義の強制連行説」を、最近のことだとして、【カット16】と描いているが、すくなくともまともな研究者にとっては、「とっくの昔」の話なのだ。
カット17(採録頁)
 【D】は、強制連行があったかどうか「だけ」が問題だ、として次のように描く。
【カット17】
カット18(採録頁)
だが、本当は自信がなくて、強制連行はあった、ただし、民間業者によるものだ、とする。
【カット18】
カット19(採録頁)
【D】は、そのものズバリの資料がないからと、次のように描く。【カット19】
カット20(採録頁)
にもかかわらず、【D】は──【カット20】と言う。
カット21(採録前頁及び採録頁)
ところが、「慰安婦」問題についてだけは、証拠がなければ事実は「なかっとしか思えない」と描く。
【カット21】
カット22ないしカット24(採録頁及び次頁)
【D】の漫画には、VXガスを注射器に入れて、【D】を待ち構えるオウム信者がたびたび登場する。ところが、初期は、その先に注射針を付けているが、後期になるとゴムホースのような管を付けている。さらにホースの先が曲がってい【カット22ないし24】るのもある。
カット25(採録頁)
証言、ちがった、証漫がくるくる変わって信用【カット25】できない──と言っていいのかい? 【D】!
カット26(採録頁)
ところで、警察発表によると、【D】暗殺指令は「オウム自治省大臣」の【E】が【O】という元自衛官に命じたとなっているが、【D】は──【カット26】と、【P】が命じたように証漫されている。
カット27(採録前頁及び採録頁)
【D】は、「慰安婦」問題で、「業者による強制連行はあったが、軍が行ったのではない」と描くが、これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。
【カット27】
「【E】が殺人未遂を勝手にやったのであって、【P】は無罪なのだ」と言ってもいいのかい? 【D】!
カット28(採録頁)
さて、女性たちが慰安所にどのように暴力的に閉じこめられていたかを見てみよう。【D】は、次のようなマンガを描いて、女性たちがまったく【カット28】自由に働いていたかのように見せる。
カット29(採録頁)
【D】は、次のようにソ連兵に強姦された女性が自決するシーンを描いて後、「日本の女は凄い! わしはこのような日本の女を誇りに思う」(「新ゴー宣」第24章)と言う。
【カット29】
カット30(採録頁)
家でつづきを読んで驚いた。これまで見た新・旧「ゴー宣」の絵の中で最悪、サイテーだ。理屈で精一杯、読者へのサービス精神は枯渇し、ただ暗ーいだけの絵じゃないか(下)。面白くも何ともない! 人を楽しませないで、何が漫画か! 「わしは漫画か(家)」などと、ふざけたごまかしは許さんぞ!
【カット30】
カット31(採録前頁及び採録頁)
昔、【D】は、自分自身を奴隷状態に順応して進化(退化?)した人間ならぬ「漫間」として描いてみせたことがある(次頁)。これなどはまだ笑わせたぞ。とても右と同一人物が描いた絵とは思えないほどだ。こんなの見ると、「たしかに、漫画家も、くろーしてますなー」と同情したくなる。
【カット31】
カット32(採録次頁)
慰安所がどうしてこんなに過酷だったかという理由を考えるとき、もういちど、彼女たちを縛っていた拘束力の強さを見ないといけない。【D】は、前頁のようにソープ女性や公娼と慰安婦を同じものと考えている。
カット33(採録頁)
あるいは、次のように女性たちをプロと讃える。
カット34(採録頁)
【D】は、慰安所のなりたちを、極限状態で軍が犯すレイプを防止するためだったとして、次のように説明する。
【カット34】
カット35(採録頁及び次頁)
慰安所の効用について、【D】は、【カット35】とも描く。
カット36(採録頁及び次頁)
【D】は、【カット36】と描くが、実態は、内部でしっかりとつながっていたのだ。
カット37(採録頁)
ここで、元「慰安婦」の人たちが、漫奴隷と較べてどうだったか、もういちど検討してみよう。
【カット37】
このように【D】は、「新ゴー宣」第30章で、軍の慰安係長・【Q】が書いた『武漢兵站』(1978年)をとりあげた。
カット38(採録頁)
そして、次のように、慰安所を作ったのは「民間の業者だ」と、一方的に言うのだ。
【カット38】
カット39(採録頁)
【カット39】
【D】が右のように描いたのは、読者が動けば、自分で資料に当たって調べるなどして、漫画の嘘がバレるからなのか?
カット40(採録頁)
【D】はまた、【R】という軍医がまとめた『漢口慰安所』という本もマンガで紹介してい【カット40】る。
3万円もの貯金をした【S】と源氏名で呼ばれた朝鮮女性がいたという。
カット41(採録頁)
また【D】は、一時にたくさんの軍人が押し寄せたので、女性たちの陰部が「摩擦のため充血し、腫れていた」ことを知った軍医が(右の著者ではない)、3日間の休業を命じたところ・・・・・・【カット41】という話を紹介し、「これのどこがレイプで性奴隷なんだろう?」と疑問を投げかける。
カット42(採録頁)
昨年(1996年)の12月2日、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足した時の記者会見のこと、【D】は、居並ぶ記者たちの前で、わざわざパネルまで用意して、「慰安婦」問題の資料解説をやった。
【カット42】
紹介した資料の核心は、なんといっても、日本軍の「慰安婦」問題への関与を決定づけた、【T】教授が発見した有名な資料で、通称「副官通牒」と呼ばれるもの。
カット43(採録頁)
【D】は、これを、女性たちを強制連行させないよう軍が「よい関与」をした証拠と、自信たっぷりに解説した。
【カット43】
カット44(採録頁)
そして、「実際には『よい関与』というものがあるのではないか?」と【T】氏を批判して、次のように言う(画面右が【T】氏)。
【カット44】
カット45(採録頁)
【D】は、1944年2月のマニラ地区兵站が、慰安婦の衛生管理に注意すべきだ、としている報告書を紹介して、【カット45】と主張する。
カット46(採録頁)
だが、【D】は、これを吹き出しの中に書かれているように解釈する。
【カット46】
カット47(採録頁)
【D】は、これに対して次のように反論した。
【カット47】
カット48(採録頁及び次頁)
また、【D】は、右のやりとりの中で、【カット48】と描いているが、録画でよく確かめたところ、この「はい」というのは、【D】への返答の言葉ではない。
カット49(採録頁)
ついでに、この尋問報告書に「慰安婦」と兵隊の結婚の話が紹介されているので、これにも少し触れておこう。【D】は、これをつかまえて、【カット49】と描く。
カット50(採録頁)
私たちが「慰安婦」問題を取り上げると、【D】は、【カット50】と、「じーさんたちこそ被害者」と反論する。
カット51(採録頁及び次頁)
「どうして50年も経って今ごろ?」という疑問が、ときどき聞かれるが、50年経ってようやく、アジアの女性たちは声を上げる条件を手に入れたのだ。【D】は、【カット51】と描くが、見当違いもはなはだしい。
カット52(採録頁)
「慰安婦」問題を取り上げることは、じっちゃんたちの世代を辱めることだと、【D】は言う。
【カット52】
カット53(採録頁及び次頁)
何を隠そう、私は、今年(1997年)の2月1日、【D】たち「新しい歴史教科書をつくる会」の面々と「朝まで生テレビ」で対決し、あんたも次のように描いた1人だ(左端が著者)。
【カット53】
このテレビ番組の様子を、あんたは「新ゴー宣」第37章で、かなり強引に、歪めて描いた。テレビを観た人ならば、その一方的な描き方にびっくりしたことだろう。
カット54(採録頁)
ところが、第37章を読んでびっくりした。【U】氏が、【カット54】と言ったと描かれているのだ。「・・・・・・と考えるとしたら大間違いだぞ!」の箇所が抜けている。これでは、もはや「重要箇所の省略」などでなく、全くの嘘、デマというものだ(しかも顔は醜く歪んで、ひどい中傷だ)。
カット55(採録頁)
【G】さんのサイン会の中止についても、サイン会は言論でなく、催し物だから、言論弾圧でない、と詭弁をふるう。
カット56(採録頁)
「新しい教科書」(本当はフルーイ教科書の焼き直し?)に【D】の漫画を載せることについて、【カット56】と、断っている。
カット57(採録前頁)
【D】は、次のように描いた。
【カット57】
4 原告カットの採録が被告書籍の読者に対して与える効果
右3で認定した事実に前記第ニの一3の事実と証拠を総合すると、原告カットの採録は、いずれも被告書籍の関連記述中又はその前後で行われていること、右採録が被告書籍の読者に対して与える効果は、それぞれ次のとおりであること、以上の事実が認められる。
(一) 原告カット中の絵部分を批評している採録箇所
カット3、同4、同13、同14、同22ないし同24、同30、同31及び同53は、被告論説中において、右各原告カットの絵そのものが批評の対象とされている。
したがって、右各原告カットの採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説の批評対象である原告カット(絵)を明示しているということができる。
(二) 原告カット中に示される主張を批評している採録箇所
カット8、同9、同12、同16、同17、同19、同20、同26、同28、同29、同33ないし同36、同38、同39、同41、同44ないし同51、同54、同56及び同57は、被告論説中において、「次のように」、「・・・と描いている」などの表現を伴って採録され、右各原告カット中に示される原告の主張に対して批評が加えられている。
したがって、右各原告カットの採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説の批評対象である原告カット(主張)を明示しているということができる。
(三) 原告カット中に示される主張を要約し又は一部引用して批評を加えている部分に対応する採録箇所
カット5ないし同7、同10、同11、同18、同21、同27、同32、同37、同40、同43、同52及び同55は、被告論説中で、原告漫画の主張を要約して示した上で、又は、その一部を引用した上で、批評を加えている部分に対応するカットとして採録されているものである。
したがって、右各原告カットの採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説の批評対象に対応する原告カットを示しているということができる。
(四) その他の採録箇所
(1) カット1
カット1は、原告漫画中において多数使用されている同旨のカットの中の一つである。
被告論説中では、その冒頭の原告漫画の特徴を紹介する部分において「読者に問いかけるコマ」として採録されている。
したがって、カット1の採録は、被告書籍の読者に対して、「読者に問いかけるコマ」の例証を提示し、原告漫画の特徴に関する記述の理解を助けるものであるということができる。
(2) カット2
カット2は、【G】が、原告漫画の絵について「戦争中、中国人が配布した日本軍の非道さを宣伝するビラのイラストそっくりになってきている」と評したことを受けて、右に賛同しつつ、「ビラのイラスト」とされたものが中国の「抗日壁画のイラスト」のことであろうとの推論を示した部分において採録されている。
カット2は、原告漫画中に右「抗日壁画のイラスト」が描かれているから、カット2の採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説中の原告漫画に対する評価のもととなる資料を提供するものであるということができる。
(3) カット15
カット15は、原告カットの欄外に記載された内容及び右内容が小さい文字で表示されていることを述べている部分に採録されているから、カット15の採録は、右論説の批評対象を示し、被告書籍の読者をして、被告論説指摘の欄外文字が、カットと比較してどの程度小さいかを認識させるためのものであるということができる。
(4) カット25
カット25は、原告漫画中で、元慰安婦が複数の場面で行った各陳述中にそれぞれ異なる部分が存在することから、そのいずれかは嘘である旨主張している部分のカットである。
被告論説中では、原告が原告漫画において「オウム信者からVXガスで殺されかけたことがある」旨述べていること、VXガスを注射器に入れて原告を待ち構えるオウム信者の絵を描いたカットが原告漫画中に複数存在すること(カット22ないし24)及び右各カット中の絵が微妙に異なっていることを取り上げ、これを慰安婦問題についての右原告の主張と対比し、原告漫画の論法を攻撃している部分に、カット25は採録されている。
したがって、カット25の採録は、カット22ないし24の採録と相俟って、被告論説中の主張を原告カット自体に仮託させることによって、被告書籍の読者に対して、原告漫画の論法に対する批判を強調するものであるということができる。
(5) カット42
カット42は、被告論説の前提事実として、原告が参加した記者会見の模様を紹介する部分で採録されている。
したがって、カット42の採録は、右前提事実が原告漫画中に述べられていることを示すものであり、被告書籍の読者に対して、右前提事実の真実性を担保するための資料を提示するものであるということができる。
5 被告書籍における原告カット採録の目的
被告書籍の「あとがき」に「最後に、【D】氏の漫画を、本人の了解なく大量に引用したことをお断りしておきたい。相手の表現をまず正確に引用してからでないと、批判を厳密に行えないため、漫画そのものを掲載しなければならなかったからだ。これは普通の文章を批判する場合と同じで、他人の文章を歪曲して批判するなどしてはいけないのは当然だ。正確に相手の表現を引用した上で批判するのが礼儀であり、その際、本人の了解が必要ないのと同じだ。漫画を批判するとなると、文字だけではどうしても正確を期したことにならない。画面そのものに含まれた多様な情報も引用する必然性がある。」との記載があることに右3、4で認定した事実を総合すると、被告書籍における原告カットの採録は、原告漫画に対する批評を目的としていると認められ、各原告カットのうち、右と異なる目的で採録されているものが存在するとは認められない。
6 明瞭区別性
右2(一)及び(ニ)で認定したとおり、原告カットと被告論説は、漫画と論説という性質の異なる著作物であること、前記第ニの一3のとおりカット1を除いては全て採録カットの欄外に出典が表示されていること及び右4(四)(1)のとおり出典表示のないカット1は原告漫画中に同旨のカットが多数使用されているものであるという事情があることを総合すると、引用を含む著作物である被告書籍の表現形式上、引用著作物である被告論説と、被引用著作物である原告カットを、明瞭に区別して認識することができるものというべきである。
7 付従性
(一)
右2(一)で認定した事実及び前記第ニの一3の事実によると、原告カットは、最低でも見開き2頁の1話単位で、通常は8頁の1話単位で完結する原告漫画のごく一部に過ぎず、原告カットはいずれもそれ自体が独立の漫画として読み物になるものではない。
(二)
右(一)で述べたところに、右4の原告カットの採録が被告書籍の読者に対して与える効果を総合すると、被告書籍中における原告カットの採録は、いずれも被告論説の対象を明示し、その例証、資料を提示するなどして、被告論説の理解を助けるものであり、他方、各原告カットがそれ自体完結した独立の読み物となるといった事情も存しないから、引用著作物である被告論説と被引用著作物である原告カットの間には、被告論説が主、原告カットが従という関係が成立しているものと認められる。
8 原告の主張について
原告は、適法な引用であるためには、引用について客観的な必要性又は必然性がなければならないところ、被告書籍の内容は、原告の意見に対する批評であり、原告の絵に対する批評ではないから、絵を含めた作品全体を引用する必要性又は必然性はない旨主張する。
しかし、一般に著作物の引用は、右1で示した引用の要件を充たす限りにおいて、引用著作物の著者が必要と考える範囲で行うことができるものであり、前記1の要件に加えて引用が必要最小限度のものであることまで要求されるものではない。
また、漫画は、絵と文が不可分一体となった著作物であるところ、原告は、そのような漫画によって自己の主張を展開しているのであるから、絵自体を批評の対象とする場合はもとより、原告の主張を批評の対象とする場合であっても、批評の対象を正確に示すには、文のみならず、絵についても引用する必要があるというべきであり、絵自体を批評の対象としていないから、絵について引用の必要がないということはできない。
さらに、証拠によると、漫画の内容を批評する場合に、絵を引用することなく批評している例があることが認められるが、他方、絵を引用している例も多数存することが認められるのであるから、漫画によって示された主張を批評する場合に、絵を引用することなく批評するのが一般的であるとか、そのような慣行が成立していると認めることもできない。

以上述べたところを総合すると、被告書籍中の原告カットの採録は、いずれも著作権法32条1項にいう引用の要件を充たすものであるから、原告の複製権侵害の主張は理由がない。

二 争点2について(同一性保持権の侵害)
1 原告漫画の変更
右一3で認定した事実に前記第2の一4の事実と証拠を総合すると、次の事実が認められる。
(一) カット4について
カット4は、原カット(イ)(原告書籍(14)78頁上段の1カット)を縮小し、描かれている人物の両目部分に黒い目隠しを施した上、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(1)参照)。
被告書籍中、カット4が採録された頁及び次頁において、同カットに関する記述がされるとともに、「(肖像権保護のための目隠しは引用者による。以下の目隠しも同じ)」と記載されている(別紙採録状況(4)参照)。
(二) カット27について
カット27は、原カット(ロ)(原告書籍(12)111頁上段中程の2カット)を縮小し、「業者」、「強制連行」(2個所)及び「軍」の各語を丸で囲んで欄外に向かってそれぞれ線を引いた先にそれぞれ「【E】」、「殺人未遂」(2個所)及び「【P】」と記入したものである(別紙対比表(2)参照)。
被告書籍中、カット27が採録された頁の前頁において、同カットに関し、「これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。」との記述が存在する(別紙採録状況(21)参照)。
(三) カット37について
カット37は、原カット(ハ)(原告書籍(12)80頁上段の3カット)を縮小し、左の1カットを中のカットの下に配置し直した状態で、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(3)参照)。
(四) カット53について
カット53は、原カット(2)(原告書籍(13)5頁中程の1カット)を、ほぼ等倍のまま、当該カットの下から5分の3程度の部分について、描かれている3人の人物のうち右2人の両目部分に目隠しを施した上、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(4)参照)。
被告書籍中、右目隠しに関する記述は、カット4の部分に存在する右(一)の記述が当てはまる。
(五) カット54について
カット54は、原カット(ホ)(原告書籍(13)13頁右上の1カット)を、ほぼ等倍のまま、描かれている人物の両目部分に目隠しを施した上、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(5)参照)。
被告書籍中、右目隠しに関する記述は、カット4の部分に存在する右(一)の記述が当てはまる。
2 同一性保持権の侵害
右1を前提として、同一性保持権侵害の有無について検討する。
(一)
著作権法20条1項は、著作者人格権の一つとして同一性保持権を定め、著作者の意に反する著作物の変更、切除その他の改変を許さないことにより、その保護を図っている。
著作権法20条2項4号は、「前3号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」について、同条1項が適用されないとしている。
そこで、右1(一)ないし(五)について、まず、著作権法20条1項にいう「改変」に当たるかどうかについて判断し、「改変」に当たるものについては、次に、著作権法20条2項4号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるかどうかについて判断する。
(二) カット4について
(1) カット4における原カット(イ)に対する目隠しは、著作権法20条1項にいう「改変」に当たるものである。
(2)
原カット(イ)で漫画に描かれた人物は、原告漫画中でHIV訴訟原告団のうちの特定の人物であると明示されているところ、原カット(イ)中の右人物は、同人がこれを見れば不快に感じる程度に醜く描写されているものと認められるから、同人の人格的利益たる名誉感情を侵害するおそれが高いと考えられる。
このような場合、原著作物に相当な改変を施すことを許容しなければ、当該著作物を引用する際に、引用者において右第3者の人格的利益を侵害するという危険を強いることとなり、さもなければ、当該著作物の引用を断念せざるをえない。
著作物の適正な利用の確保を目的とする著作権法20条2項の趣旨に鑑みると、右のような場合に相当な方法で改変をすることは、著作権法20条2項4号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たると解するのが相当である。
しかるところ、描写された人物の両目部分に目隠しを施すという改変方法は、描写された人物の権利を保護するために一般に広く行われている方法であり、原カット(イ)に目隠しをすることによって目の部分が隠されたため名誉感情を侵害するおそれが低くなったものということができる。また、右1(一)のとおり、被告書籍において目隠しは引用者によることが明示されている。したがって、原カット(イ)に対する目隠しは、著作権法20条2項4号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるということができる。
(三) カット27について
カット27における原カット(ロ)に対する加筆のうち、原カット(ロ)内に位置するのは、文字の一部を丸で囲んだ線とこの丸を欄外に導く線の一部であり、右線があるとしても、原カット(ロ)のもとの内容は完全に認識することができる。
また、右1(二)の被告書籍中の記述とともにカット27を見ると、右加筆が被告【B】によるものであることは明らかであり、被告書籍の読者が、カット27の加筆部分を原告著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない。
そうすると、カット27における原カット(ロ)への右加筆は、著作権法20条1項にいう「改変」ということはできない。
(四) カット37について
(1) カット37が原カット(ハ)の配置を変更したことは、著作権法20条1項にいう「改変」に当たるものである。
(2) カット37において原カット(ハ)の配置が変更されたとしても、各コマを読む順序に変更が生じる可能性はないものと認められる。
他方、前記第二の一3の事実に弁論の全趣旨を総合すると、被告書籍の本文部分「脱ゴーマニズム宣言」中の「14 慰安所を作ったのはダーレダp」の章の冒頭は、見出しの表示の後の「ここで、元『慰安婦』の人たちが、漫奴隷と較べてどうだったか、もういちど検討してみよう。」という導入部で始められており(別紙採録状況(30)参照)、右見出しの表示及び導入部の後に、原カット(ハ)をそのままのコマ割りで引用するために縮小すると、小さな文字で書かれた台詞部分が判読しにくくなるものと認められる。
以上の事実によると、右改変は著作権法20条2項4号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるというべきである。
(五) カット53について
(1) カット53における原カット(ニ)に対する目隠しは、著作権法20条1項にいう「改変」に当たるものである。
  なお、カット53について、原カット(ニ)の下から5分の3程度の部分が採録されている点は、原告著作物の一部を引用したに過ぎず、「改変」に当たるものではない。
(2)
原カット(ニ)を含む原告書籍(13)中の原告漫画「新ゴーマニズム宣言第37章」は、特定のテレビ番組を題材に取り上げたものであり、カット53において目隠しを施された原カット(ニ)中の人物も原告漫画中で特定され得るものである上、同人らが原カット(ニ)を見れば不快に感じる程度に醜く描写されており、原カット(イ)と同様に、原カット(ニ)も第3者の名誉感情を侵害するおそれが高いものであるということができる。また、カット4の場合と同様に、目隠しという改変方法も相当なものであるということができる上、右1(四)のとおり被告書籍において目隠しは引用者によることが明示されている。したがって、カット53による原カット(ニ)の改変は、著作権法20条2項4号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるということができる。
(六) カット54について
(1) カット54における原カット(ホ)に対する目隠しは、著作権法20条1項にいう「改変」に当たるものである。
(2)
原カット(ホ)は、原カット(ニ)と同様に、特定のテレビ番組を題材に取り上げた原告漫画中のものであり、カット54において目隠しを施された原カット(ホ)中の人物も原告漫画中で特定され得るものである上、同人が原カット(ホ)を見れば不快に感じる程度に醜く描写されており、原カット(イ)及び同(ニ)と同様に、原カット(ホ)も第3者の名誉感情を侵害するおそれが高いものであるということができる。また、カット4及び53の場合と同様に、目隠しという改変方法も相当なものであるということができる上、右1(五)のとおり被告書籍において目隠しは引用者によることが明示されている。したがって、カット54による原カット(ホ)の改変のうち目隠しは、著作権法20条2項4号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるということができる。

以上のとおり、原告カットにおける原カットに対する各改変は、著作権法20条2項4号の「やむを得ないと認められる改変」に当たり、又は、同条1項の「改変」に当たらず、原告主張の同一性保持権侵害は認められない。

三 争点3について(不競法)
1 原告の主張について
原告の主張は、被告書籍は、周知かつ著名な原告の商品等表示である原告書籍名(「ゴーマニズム宣言」、「新・ゴーマニズム宣言」及び「新・ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」)及び原告名(【D】)と同一又は類似の商品表示である「脱ゴーマニズム宣言」及び「【D】」を使用しているから、被告書籍を出版、発行、販売、頒布する行為は、不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の不正競争行為に該当するというものであると解される。
2 両書籍の題号
(一)
原告書籍の題号は、「ゴーマニズム宣言」、「新・ゴーマニズム宣言」及び「新・ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」であるのに対して、被告書籍の題号は、表題が「脱ゴーマニズム宣言」であり、副題が「【D】の『慰安婦』問題」である。
(二)
「脱」は「@ぬぐこと。Aぬけること。とりのぞくこと。Bぬかすこと。Cぬけ出すこと。のがれること。Dはずれること。E自由になること。」(広辞苑第4版1594頁)という意味であり、「新」や「続」など、その文字が付加されたことによって、同一性を維持することが示されるものではなく、むしろ別異の性質を備えていることを示すものであるということができる。
3 被告書籍の体裁
被告書籍の表紙には、上部に「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」と大書されるとともに、右文章の両側に赤の罫線が引かれており、その下に著者名として「【B】著」、題号として表題及び副題である「脱ゴーマニズム宣言」及び「【D】の『慰安婦』問題」の表示がされている。右のうち表題「脱ゴーマニズム宣言」の「脱」の字には赤字が用いられているほか、文字は全て黒字である。また表題を除き、ペン字による手書き風の字体が用いられている。
背表紙には、上部に表題及び副題が、下部に「【B】著」及び「東方出版」の文字がそれぞれ表示されており、表題のうち「脱」の部分及び副題のうち「【D】」の部分にそれぞれ赤字が用いられているほかは全て黒字であり、表題を除きペン字による手書き文字風の字体が用いられている。
4 右2、3で述べたところに基づき、右1の不正競争防止法違反の主張について判断する。
(一)
「脱ゴーマニズム宣言」は、被告書籍の表題であるので、被告書籍についての商品表示であるということができるところ、「脱ゴーマニズム宣言」という表示は、原告書籍の表題である「ゴーマニズム宣言」を含んでいる。
 
ところで、自己の商品表示に他人の商品等表示が含まれるとしても、それが、専ら商品の内容、特徴等を表現するために用いられた場合は、他人の商品等表示と同一又は類似のものを使用したとは認められないところ、「脱ゴーマニズム宣言」の「脱」は右2(二)のような意味であること、右3で認定した被告書籍の体裁及び右一2(二)で認定した被告書籍の内容を総合すると、「脱ゴーマニズム宣言」のうち「ゴーマニズム宣言」の部分は、被告書籍の内容を説明するために用いられたものであると認められるから、「脱ゴーマニズム宣言」が「ゴーマニズム宣言」を含むからといって、原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用したとは認められない。
また、「脱ゴーマニズム宣言」の表示は、原告書籍の表題の一部である「脱正義論」とは同一でもなければ類似でもない。
   そして、他に「脱ゴーマニズム宣言」の表示が原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用したというべき事実は認められない。
(二)
被告書籍の表紙及び背表紙には、右3認定のとおり、「【D】」という表示のあることが認められるが、これは、副題である「【D】の『慰安婦』問題」の一部として又は表紙上部の「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」との記載の一部としてそれぞれ表示されているものである。
表紙上部の「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」との記載は、被告書籍には別に表題及び副題が付されていることや右3で認定した被告書籍の体裁からすると、被告書籍の商品表示ということはできない。
これに対し、副題である「【D】の『慰安婦』問題」は、被告書籍の商品表示ということができるが、被告書籍には別に表題が付されていること、右3で認定した被告書籍の体裁及び右一2(二)で認定した被告書籍の内容を総合すると、右副題のうち「【D】」の部分は、被告書籍の内容を説明するために用いられたものであると認められるから、右副題が「【D】」を含むからといって、原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用したとは認められない。

四 以上のとおり、原告の複製権侵害の主張、同一性保持権侵害の主張及び不正競争防止法違反の主張はいずれも認められず、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これらを棄却する。
 
〔高裁の判断〕
 
当裁判所は、控訴人の本訴請求は、カット37に関する同一性保持権侵害を理由とする、被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め、並びに、慰謝料及びこれに対する遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」一ないし三と同じであるから、これを引用する。
(当審における控訴人の主張に対する判断)

一 引用における附従性について
1 引用の目的について 
控訴人は、被控訴人書籍では、32のカットに関して、カットを取り去ると文章としてはつながらず、本文が独自主体的な存在たり得ていないことを理由として、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとし、これを前提に、本文とカットとの主従関係は認められないと主張する。
しかし、カットを取り去った場合に文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、直ちに、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとみる根拠とすることはできない。カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなる原因としては、様々なものがあるからである。例えば、同じく他人の詩の一部を引用するとしても、自分の言いたいことについて文章を書く代わりに、他人の詩の一部を引用して代替するという場合もあれば、他人の詩を批評するためにその一部を引用し、それについて批評の文章を書く場合もある。前者の場合、詩の部分を取り去れば文章がつながらなくなるのは当然であり、この場合には、本文そのものの重要な部分を書く代わりに「他人の詩の一部をして語らしめた」ということができよう。後者の場合でも、その引用部分を取り去れば、批評の対象がなくなってしまい、やはり文章がつながらなくなる。しかし、こちらの方では、批評の対象を引用によって明示しているために(引用しなければ、批評の対象を示せないことも多いであろう。)、それがなくなれば、批評の対象がなくなってしまって、文章がつながらなくなってしまうにすぎないのである。そして、このような場合に、本文そのもの(批評)を書く代わりに引用された詩に「語らしめ」ているということができないことは明らかというべきである。
控訴人主張の32のカットについて、控訴人カットを取り去った場合に文章がつながらなくなる理由は、後者の例に対応するものである。すなわち、右32のカットは、被控訴人論説の批評対象そのものを引用によって明示し(カット8、9、12、16、17、18、19、20、26、33、34、35、36、38、39、41、44、45、46、47、48、49、50、51、54、56、57)、被控訴人論説の批評対象に対応する控訴人カットを示し(カット27、32、37、40)、あるいは、「次のように読者に問いかけるコマがあり」との記述に続いて批評の対象としている「読者に問いかけるコマ」の例証を提示している(カット1)ため、控訴人カットを取り去ると何を批評しているのか分からなくなることが原因となって、文章としてはつながらなくなるにすぎない。このように、控訴人カットは、批評の対象を示すために採録されているものであって、本文そのものの重要な部分(すなわち、批評)を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているものではない。したがって、右32のカットについて、本文とカットとの主従関係は認められないとする控訴人の主張は、前提を欠くものであって、失当である。
2 両著作物のそれぞれの性質・内容について
控訴人は、@漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力があり、それはすなわち、商品力・商品価値があり、1コマであっても独自に極めて大きな商品価値と情報量と訴求力を持つ、A漫画カットを「従」として「引用」するためには、そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければならない、B被控訴人が書いた批評文は、1行であったり、抽象的で陳腐な「感想」を一言述べているだけであったりで、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」となり、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い、と主張する。
しかし、文章が、商品価値や情報量において、漫画カットに劣るとしても、そのことをもって、文章が漫画カットに対して、主従関係に立てないというものではない。甲第1号証によれば、被控訴人書籍においては、批評を加えている部分である本文の方が、控訴人カットよりも、被控訴人書籍における主題(すなわち、漫画家としての控訴人の活動姿勢全般を対象とした論説(批評)、及び控訴人漫画のうち慰安婦問題を取り上げた箇所についての批判、反論)に関して重要な位置を占め、高い存在価値を持っていることは明らかである(原判決の事実及び理由の「第三 当裁判所の判断」一4認定に係る、控訴人カットの採録が被控訴人書籍の読者に対して与える効果参照)。換言すれば、被控訴人書籍において著者が論じようとし、実際に論じたことの中心となっている事柄は、右主題に係る論説(批評)、批判、反論であり、それはすなわち本文の部分である。
一方、甲第2ないし第15号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人書籍は、控訴人自身「意見主張漫画」であると自認するものであり、その意見は各話ごとに主張・表明されていることが認められる。そして、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、被控訴人書籍の前記主題に係る批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められない。
以上の点からすれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係があるということができるのである。
3 分量について
控訴人は、漫画カットに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないと主張する。
しかし、漫画カットであることから、直ちにそれに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないというものではない。
また、控訴人は、カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人書籍のカット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきであるとし、これを根拠として、主従関係を判断しようとする。
しかし、甲第1号証によれば、被控訴人書籍では、控訴人カットを例証又は資料とする論説が、カット採録頁だけでなく、前後の頁にわたって書かれていることが認められるから、カット採録頁における文章と控訴人カットとの占める面積割合をもって主従関係を判断すべきものではない。
例えば、被控訴人書籍において、カット6に関して直接論及した記述内容は、同カット採録頁の「「わしはこの薬害エイズ問題で決定的に『運動』が嫌いになった!」と一人叫ぶシーンは印象的だ。」というものである。しかし、甲第一号証によれば、被控訴人書籍では、同カットの属する章「「Aヘンシーン!」の謎」において、前後四頁にわたって「A(控訴人)の変身」を主題とし、これについて批評を加えた被控訴人論説が書かれており、右カットは、カット5とともに、右批評に対応するカットとして、象徴的ないし印象的な例として挙げられているものと認められる。右の例をみれば、カットと文章とを量的に比較するに当たって、控訴人カット採録頁における文章とカットとの占める面積割合をもって判断されるべきではないことは明白である。
そして、甲第1号証によれば、被控訴人書籍においては、各章ごとに一つの小主題を論じており、控訴人カットは右各小主題に関する被控訴人論説の例証又は資料となっていること、その各章における控訴人カットと文章との割合は、第九章が全体で八段あるうち控訴人カットが四段程度を占めているほかは、控訴人カットの分量はいずれも3分の1ないしそれ以下であり、被控訴人書籍全体としてみても、控訴人カットの分量は5分の1に満たないことが認められる。
控訴人は、被控訴人書籍では、合計90頁の間に57カット(69コマ)を複製掲載していることを指摘して、控訴人カットの引用数が多いから分量の点からみて主従関係がない旨主張する。 しかし、控訴人は、その意見を、「意見主張漫画」として漫画という表現形式によって表現しているのである。ところが、他人の意見を批評、批判、反論しようとすれば、他人の意見を正確に指摘する必要があるから、控訴人の意見を批評、批判、反論するために、その意見を正確に指摘しようとすれば、漫画のカットを引用することにならざるを得ないのは理の当然である。そして、その批評、批判、反論が多岐・多面的にわたればそれだけ引用する漫画カットの数も増加することになるのは、やむを得ないところである。
右事情を前提に前認定に係る被控訴人書籍における控訴人カットの分量の全体に対する比率を考慮すれば、引用されたカット数が前記の程度であるとしても、被控訴人書籍の本文とカットとの間には、十分主従関係が認められるというべきである。
4 被引用著作物の採録の方法・態様について
控訴人は、被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム(セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批評・反論を加えるというやり方がとられており、カットを取り去った場合には文章がつながらないことを理由として、文章とカットとの間に主従関係がないと主張する。
しかし、カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、文章とカットとの間に主従関係がなくなるというものではないことは前示のとおりである。
被控訴人書籍では、控訴人書籍におけるカットよりも拡大して複製した物を掲載している箇所が七か所(カット8、11、21、25、30、33、46)ある。右のように拡大複製する合理的必要性については、疑問がないではないが、そのことは、本文と控訴人カットとの間の主従関係を失わせるものではない。
5 主従関係についてのまとめ
以上検討したところ、とりわけ、控訴人書籍が「意見主張漫画」として、漫画という表現形式によって意見を表現したものであり、被控訴人書籍は、右意見に対する批評、批判、反論を目的とするものであること、及び、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、右批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められないことを考慮すれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立しているというべきである。
控訴人カットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、控訴人書籍と被控訴人書籍の右関係に照らせば、そのことによって、被控訴人論説と控訴人カットとの右主従関係が失われるということはできないのである。

二 同一性保持権侵害について

控訴人は、引用の場合においては、「やむを得ない」改変か否かの解釈認定は、より一層慎重な吟味が必要であり、他にとるべき方法が全くなく、真にやむにやまれぬ状況でない限り適法とすべきではないと主張する。
しかし、著作権法20条2項4号においては、「やむを得ない改変」か否かについて、引用であるか、それ以外の場合であるかを特別に区別していない。そして、これを実質的に考えても、引用は、新しい文化活動をしようとする者と著作権者との調整として、著作物の利用を許した規定であって、著作物の利用が許されているという点において、著作物の利用が許されている他の場合と異なるものではない。そうである以上、「やむを得ない」改変か否かの解釈において、「やむを得ない」か否かが「引用」との関連において判断されるという当然の点は別として、他の場合と異なる基準を設けなければならない理由はないのである。
  控訴人の主張は、採用することができない。
2 カット4、53、54について
(一) 控訴人は、@風刺画や似顔絵では、「辛辣さ」や「醜さ」こそが作者の主観的主張であり、出版物においての売り物であるから、これを第3者が、「醜い」などという極めて抽象的曖昧な概念を用い、「他人の推測的不快感」を理由に、著作物を勝手に改竄してよいということは、著作権法の精神にかなうものではない、A一般に目隠しが使われるのは、当該人物が特定できないようにして、そのプライバシーを保護する目的であって、描写の「醜さ」や当該人物の「不快感」の排除や「名誉感情」の保護を目的としているのではない、B目隠しされたカットの方は、非常に汚らしく、人物の雰囲気を実に怪しげなものにしているから、黒い目隠しは描写の「醜さ」を軽減してないと主張する。
 
 しかし、風刺画や似顔絵であるからといって、他人の名誉感情を不当に侵害してよいものではないことは当然である。そして、醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあるか否かということは、単なる主観によるものとしてではなく、常識に照らして客観的なものとして判断することができるものである。原判決別紙対比表(1)、(4)及び(5)を見れば、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることが明らかであるから、右目隠しは、相当な方法というべきである。乙第23、第24号証によれば、カット53、54において描写された人物本人は、その原カットの描写を不快に感じたこと及び目隠しによってその不快感が減少していることが認められ、右事実は、前記認定が正しいことを裏付けるものである。
   なお、控訴人は、写真ではなく、漫画や似顔絵に目隠しを入れるなどというのは、一般的に広く行われている方法ではないと主張するが、目隠しは広く行われている方法であるから、漫画ないし似顔絵に適用したとしても異様な印象を与えることもないのであって、相当な方法であるか否かについて、写真であるか似顔絵であるかを区別しなければならない理由はない。
(二) 控訴人は、仮に、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)がモデルを「醜く」描き、名誉感情を侵害しているとすれば、その侵害者は著作者である控訴人であり、被控訴人は、モデルの人格的利益を侵害する危険はないと主張する。
   しかし、カット(イ)、(ニ)、(ホ)をそのまま引用した場合には、被控訴人書籍が読まれることによって、更にモデルの名誉感情を侵害するおそれがあることは明らかであり、被控訴人に、右名誉感情の侵害を強いなければならない理由はない。そして、このことは、モデルから責任を追及されるのが控訴人であるか被控訴人であるかとは別の問題であるから、控訴人の主張は失当である。
(三) 控訴人は、被控訴人書籍において、引用した似顔絵のうち、目隠しをしているのが3か所、目隠しをしていないのが10か所で、目隠しを施すか否かについて明確な基準があるわけではなく、全く恣意的、場当たり的であるから、改変を許さなければ「当該著作物の引用を断念せざるを得ない。」などというせっぱ詰まった状況が全く存在しないと主張する。
   しかし、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることは前示のとおりである。そうである以上、他にも醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあるカットがあるとしても、右目隠しが相当な改変でなくなるものではない。
(四) 控訴人は、被控訴人書籍においては、控訴人の描写力やイメージ操作について論評してカット4を「醜い」と評しているから、批評の対象であるカット4を正確にそのまま引用しなければならないはずであると主張する。
   しかし、カット4は、目隠しによって減少しているとはいえ、なお、原カットの描写の様子を理解することはできる(すなわち、原カット(イ)ほどではないが、なお「醜い」)から、これを「醜い」等という批評の対象とし得るものである。そして、このように名誉感情を侵害するおそれを減少させる相当な方法があるのに、批評するに当たって、これをしてはならないという理由はない。
3 カット27について
(一) 控訴人は、カット27について、原カット(ロ)とは異なった表現がもたらされていることを前提として、その加筆が「原カットの内容は完全に認識できる」ことや加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」こととは関係がないと主張する。
しかし、被控訴人書籍中、カット27が採録された頁の前頁において、同カットに関し、「これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。」との記述が存在することは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」二1(二)のとおりであり、右記述とともにカット27をみれば、被控訴人書籍の読者は、原カット(ロ)内に位置する加筆部分を、控訴人著作物のうちの該当個所を特定、強調するために被控訴人が書き込んだものであると明確に認識できることは明らかである。そうである以上、右読者は、控訴人著作物に関するものとしては、カット27を、右加筆部分が存在しない表現、すなわち、原カット(ロ)と同じ表現として認識するものと認められる。したがって、カット27をもって、原カット(ロ)と異なった表現をもたらすものとすることはできない。控訴人の主張は、前提を欠くものであり、失当である。
(二) 控訴人は、控訴人の作品では、コマ割の欄外スペースに控訴人自身が手書きでコメントを書き込むのが通例となっているから、読者が加筆部分を控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは十分に存在すると主張する。
 しかし、被控訴人書籍においては、カット27の手書き文字は、被控訴人が書き入れたものであることが明記されているのであるから、読者が誤解することがあるとは考えられない。

(原判決の訂正)
74頁10行目から76頁2行目までを次のとおりに変更し、79頁1行目から3行目までを削る。
「(四) カット37について
(1) カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、著作権法20条1項にいう「改変」に当たるものである。
(2) 被控訴人らは、右綴じで横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段の1コマ目のコマは連続しているから、複数のコマのうち、レイアウトの都合から左端のコマのみを下段に引用しても、改変に当たらないと主張する。
 
しかし、例えば学術論文において、著作者が改行しなかった箇所を、出版する際に出版者が改行したという例を考えれば分かるように、読み進む順序が変わらないからといって、同項にいう「改変」に当たらないというものではない。
  本件についてこれをみると、原カット(ハ)においては、第3コマの人物像が第1,2コマの左側に書かれ、その視線と指さした指の方向が第2コマを向いているのに対し、カット37においては、第3コマの人物像は、第1,2コマの下方にあって、その視線は、その右の空白ないしその先の第1,2コマの右の方に向いており、原カット(ハ)における、第1,2第2コマと第3コマの位置関係を用いた表現が改変されていることは明らかである。
この点に関して、被控訴人らは、カット37の第1,2コマが、全体として1つのコマであることを前提として、原カット(ハ)の控訴人を示す人物像が指さしているのは、第1,2コマの全体であり、カット37の控訴人を示す人物像も、第1,2コマの全体を指し示しているから、原カット(ハ)とカット37は同一の意味内容となっていると主張する。
しかし、カット37の第1,2コマには、女性が殴られているのを軍人が煉瓦の蔭から見て驚いている場面と、軍人が業者に押印させているらしい場面の2つの異なった場面が左右に書かれているから、第1,2コマは2つのコマというべきである。のみならず、同じコマを指さしているとしても、そのコマのどの部分を、どの方向から指さしているかということ自体が控訴人書籍における表現なのであるから、同じコマを指さしているから改変ではない、ということもできない。
(3) また、被控訴人らは、第1,2コマと第3コマを、それぞれ別々に引用することも認められるから、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは改変に当たらないと主張する。
 
しかし、第1,2コマと第3コマを、それぞれ別々に引用した場合、読者は、引用された第1,2コマと第3コマの位置関係が控訴人書籍の位置関係とは異なっていることを理解できるのに対し、カット37のように引用した場合には、読者は、控訴人が「新ゴーマニズム宣言第30章」において、カット37のコマ割を用いて表現したものと認識するものと認められる。したがって、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、第1,2コマと第3コマを、それぞれ別々に引用したものと同列に論じることはできない。
  被控訴人らの主張は採用することができない。
(4) 被控訴人らは、カット37の改変は、意味内容に変更を加えるものではなく、読者に被控訴人の批判を理解してもらうためにも、右カットを、カット37の程度の大きさで引用する必要があったから、著作権法20条2項4号の著作物の性質及び利用の態様上やむを得ない改変に当たると主張する。
  確かに、原判決別紙対比表(3)によれば、カット37においては、各コマを読む順序に変更がないこともあいまって、第3コマの控訴人の似顔絵が述べているまとめのセリフが第2コマの絵及びセリフを受けていることを認識できるから、第3コマにおける右セリフの意味は、原カット(ハ)におけるそれと同じものとして理解することができるものと認められる。しかし、意味が同じものとして理解できるとしても、カット37が、原カット(ハ)における表現を改変したものであり、表現の微妙な部分まで同じといえるものではないことは明らかである。
そして、甲第1号証、乙第7号証によれば、カットを縮小して引用したためにカット中の文字が小さくなっているものの、セリフの文字を本文中で抜き出して引用しているため、これを容易に判読できる書籍があること、また、縮小複製しない場合には、カット37の採録頁の見出しの周辺の空白を使用する方法、カット22ないし24のように見出し導入部のない頁で1段をすべて使う方法、カット3のように引用したカットとそれに触れた被控訴人の文章とが別の頁にかかるようにする方法などがあることが認められ、これらの事実に照らせば、カット37において原カット(ハ)の配置を変更したのは、被控訴人書籍のレイアウトの都合を不当に重視して原カット(ハ)における控訴人の表現を不当に軽視したものというほかはなく、被控訴人ら主張に係る著作物の性質、引用の目的及び態様を前提としても、カット37の右改変を、著作権法20条2項4号の「やむを得ない改変」に当たるということはできない。
(5) 以上によれば、カット37の右改変は、控訴人が控訴人書籍において有する同一性保持権を侵害したものというべきであり、弁論の全趣旨によれば、被控訴人らの右著作者人格権侵害の行為は、少なくとも被控訴人らの過失によるものであること、及び、控訴人が、被控訴人らの右行為によって精神的苦痛を受けたことが認められる。右苦痛の慰謝料としては、控訴人は漫画家として著名であること、カット37は原カット(ハ)と意味が同じものとして理解できるものであること、右侵害行為の内容、程度その他本件記録上認められる諸般の事情を総合すると、20万円を相当と認める。」
〔研  究〕
1.東京高裁は、東京地裁で争点とされた第1の「引用」については、地裁の判決同様に適法と認めた。即ち、判決は、控訴人(原告)の書籍が「意思主張漫画」として、漫画という表現形式によって意思を表現したもので、被控訴人(被告)の書籍は、この意思に対する批評を目的としたものであること、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは控訴人漫画のごく一部にすぎず、批評に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるとは認められないから、被控訴人書籍は、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立していることを確認した。
しかし、第2の争点の「改変」という同一性保持権の侵害については、2つの場合に分けて考えた。カット4,53,54は、原カット(イ)(ニ)(ホ)は醜く描写されているため名誉感情を侵害するおそれがあるのに対し、カット4,53,54は目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることが明らかだから、この目隠しは相当な方法であり、改変には当らない、と認定した。
ところが、カット37については、次の理由によって原判決を変更し、改変に当たると認定した。
(1) 原カット(ハ)においては、第3コマの人物像が第1,2コマの左側に書かれ、
その視線と指さした指の方向が第2コマに向いているのに対し、カット37においては、第3コマの人物像は、第1,2コマの下方にあって、その視線は、その右の空白ないしその先の第1,2コマの右の方に向いており、原カット(ハ)における、第1,2コマと第3コマの位置関係を用いた表現が改変されていることは明らかである。
(2) カット37の第1,2コマには、女性が殴られているのを軍人が煉瓦の陰から見て驚いている場面と、軍人が業者に押印させているらしい場面の2つの異なった場面が左右に書かれているから、第1,2コマは2つのコマというべきである。のみならず、同じコマを指しているとしても、そのコマのどの部分を、どの方向から指さしているかということ自体が、控訴人書籍における表現なのであるから、同じコマを指さしているから改変ではない、ということもできない。
(3) 確かに、カット37においては、各コマを読む順序に変更がないこともあいまって、第3コマの控訴人の似顔絵が述べているまとめのセリフが、第2コマの絵及びセリフを受けていることを認識できるから、第3コマにおける右セリフの意味は、原カット(ハ)におけるそれと同じものと理解することができる。しかし、意味が同じものと理解できるとしても、カット37が原カット(ハ)における表現を改変したもので、表現の微妙な部分まで同じといえるものでないことは明らかである。
(4) そして、カットを縮小して引用したためにカット中の文字が小さくなっているものの、セリフの文字を本文中で抜き出して引用しているため、これを容易に判読できる書籍であるなどの事実に照らすと、カット37において原カット(ハ)の配置を変更したのは、被控訴人書籍のレイアウトの都合を不当に重視し、原カット(ハ)における控訴人の表現を不当に軽視したというほかはなく、被控訴人ら主張の著作物の性質、引用の目的及び態様を前提としても、カット37の右改変を、著作権法20条2項4号の「やむを得ない改変」に当たるということはできない。
2.高裁判決は、学術論文において、著作者が改行しなかった箇所を、出版する際に出版社が独自に改行したことは許されないように、読み進む順序が変わらないからといって、「改変」に当たらないというものではないと言い切っている。原作品の表現形式を少しでも改変することは、著作者人格権の侵害となると認定したこと妥当といえよう。評論の性格上、対象となるべきものが、漫画それ自体であれば、漫画を引用することは合法的であるとしても、カットの配置などを勝手に変更してはならないことを明らかにした判決として評価される。著作権法は、作品の内容よりも形式を保護することが、この判断によっても理解できるだろう。
 
この控訴審判決に対して不服の被控訴人(原告)は最高裁に上告したが、最高裁は、平成14年4月26日に、法定されている上告理由のいずれにも該当しないとして上告棄却の決定をした。これによって前記東京高裁の判決は確定した。
3.ところで、「ゴーマニズム宣言」と「脱ゴーマニズム宣言」の2つの書籍の中の漫画カットの引用と改変をめぐる前記事件とは別に、KYが出版した「新ゴーマニズム宣言」の中で、前記USを泥棒の格好をした似顔絵を描いたことに対し、USはKYと小学館を名誉毀損と肖像権侵害で訴えていた損害賠償訴訟で、東京地裁は今年5月28日、「似顔絵自体により人物を特定できない場合は、似顔絵による不法行為は成立せず、肖像権侵害には当たらない。KYの表現は比喩を強調している上、マンガ全体の文脈から、意見、論評の域を超えていなく、相当性を欠くと評価できず違法性はない。」と判断した(産経新聞2002年5月29日30頁は、「漫画の似顔絵肖像権訴訟」の見出しをしているが、朝日新聞同日37頁には「漫画で“ドロボー”は「意思・論評の域」の見出しである。すると、KYがUSに対して“ドロボー”呼ばわりしたのは、漫画カットを引用したことに対してであり、それは大げさなたとえであったと認定された。)しかし、このような判決の考え方には割り切れない問題が残る。

[牛木理一]