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チーズ本対バター本事件:東京地裁平成13年(ヨ)22103号平成13年 12月19日決定(一部認容)

〔キーワード〕 
複製、翻案、原著作物、二次的著作物、パロディ

 

〔事  実〕

 

1. 米国人のスペンサー・ジョンソンは、“Who Moved my Cheese?”(「チーズはどこへ消えた?」)という和訳題名のエッセイを著し、ペンギン・パットナム社と出版締結し、わが国では出版権を取得した株扶桑社(債権者)が、「チーズはどこへ消えた」と題した門田美鈴の翻訳本を平成12年11月に発行した。
 道出版株(債務者)は、平成13年4月に「バターはどこへ溶けた ?」というディ−ン・リップルウッドの著書を出版した。この本は、「チーズ」が94頁、定価838円と同じ頁、 同じ定価であった。
 これに対し、債権者門田美鈴(翻訳者)は本件著作物の著作権者であるところ、債務者らの出版行為は、翻案権の侵害であると主張した。即ち、「翻案」について、債務者らは,本件著作物の筋立て,主たる構成などの思想感情の流れを無断で取り入れ,本件著作物の表現形式上の本質的な特徴を直接感得できるような内容の債務者書籍を製作し,出版して,債権者の本件著作物についての翻案権を侵害した。
 債務者書籍の記載の中で,本件著作物の表現を翻案した箇所は多岐にわたるが,特徴的な部分を抽出すると次のとおりである。
1.表紙、2.全体の構成及び第1部に相当する「ある集まり」の場面設定、3.本編のストーリー設定、4.ものを発見する場面、5.引っ越しの話、6.消失と疑い、7.展開、8.検索、9.第3部に相当する「話の後の集まり」の場面設定を列挙した。
 また、「依拠性」について、債権者は次のように主張した。
 本件著作物は、平成12年11月30日に出版され、全国の有名書店で販売された。債権者扶桑社は、本件著作物につき大々的な宣伝を行っており、本件著作物は発売と同時に猛烈な売上げを記録し、増刷を続けた。債務者らはこれを知り、本件著作物に接し、これを利用して債務者書籍を出版した。
 このことは、債務者書籍中の次のような記載からもうかがわれる。
1. 「私がこの物語にはじめて出会ったのは……」(7頁)として 、創作であることを否定し、他の物語、すなわち本件著作物への依拠を示している。
2. 「なにやら似たような話が世のなかに出まわっておると聞いて」(7頁)として、既 に本件著作物があり、それに依拠したことを 示している。
3. 「二匹目のどじょう……」(7頁)と自嘲気味に書いているが 、まさに債務者らが本件著作物の売れ行きに便乗して、二匹目のどじょうを狙っていることが示されている。
 このような債務者書籍自体の記載から明らかなとおり、債務者らが本件著作物の存在を前提として、これに依拠して 債務者書籍を 出版したことは、明らかである。
〔争  点〕
(1) 債権者らの有する権利について 
(2) 翻案権侵害の成否について 
(3) パロディーとして許される表現行為といえるか 
(4) 出版権の侵害について 
(5) 編集著作権の侵害について 
(6) 保全の必要性について

 

〔判  断〕

 

1 争点(1)(債権者らの有する権利)について
 前記第2の1の事実及び疎明資料によれば、債権者扶桑社は、平成10年(1998年)12月10日、原著作物の著作者である丙から権限の委託を受けていたペンギン・パットナム社との間で、原著作物を日本語に翻訳すること及びその翻訳した著作物を出版することにつき許諾を得たこと、債権者扶桑社はそのころ債権者に原著作物の翻訳を依頼し、債権者はこれに基づき原著作物の翻訳である本件著作物を著作したこと、債権者が債権者扶桑社に本件著作物を納入した時点で債権者扶桑社は債権者から本件著作物につき出版権の設定を受けたこと、を認めることができる。
 したがって、債権者は、本件著作物の著作権者として翻案権を有し(著作権法27条)、債権者扶桑社は、本件著作物の出版権者として出版権を有する(同法80条)。
2 争点(2)(翻案権侵害の成否)について
(1) 一般に、言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいい、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には翻案に当たらないと解するのが相当である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第1小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
 そして、本件著作物は丙の著作に係る原著作物の二次的著作物(著作権法2条1項11号)に当たるところ、二次的著作物の著作権は、二次的著作物において新たに付与された創作的部分のみについて生じ、原著作物と共通する部分には生じないと解するのが相当である(最高裁平成4年(オ)第1443号同9年7月17日第1小法廷判決・民集51巻6号2714頁参照)。
(2) 上記(1)によれば、債務者書籍が債権者の著作権を侵害するか 否かは、債務者書籍の具体的な表現から本件著作物において新たに付与された創作的な表現部分の本質的な特徴を感得できるかどうかによることになる。
 そこで、債権者らが債務者らが本件著作物を翻案した根拠として指摘する部分について、著作権侵害が認められるか否かを具体的に検討する。
ア 1.表紙
 表紙に記載されている内容は書名及び著者名であるが、丙が原著作物を著作したことは事実であり、書名はそれ自体著作権の対象となるものではないから、これらについて著作権侵害は成立しない。
 また、表紙及び前書きに続く部分で裏話として物語の内容の特色を指摘している点についても、「裏話によれば」という形で語り手が物語の内容を語るという記述形式はありふれたものであって、創作性を有しないから、債務者書籍のこれに類似する記載部分は翻案に当たらない。
イ 2.全体の構成及び第1部に相当する「ある集まり」の場面設定
 債権者らの指摘する事実のうち、本件著作物と債務者書籍がともに3部構成をとっていること、第1部に相当する「ある集まり」の章の場面設定が地方都市出身者の久々の同窓会であり、そこである本が話題になって、語り手がその内容を他の出席者に聞かせる点において共通すること自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 他方、「ある集まり」の章を構成する具体的な表現のうち、少なくとも次の部分は本件著作物による創作的な表現部分であると認められる。
(ア)「確かにね」ネイサンも言った。(13頁7行目)
(イ)「どんなふうに?」ネイサンが聞いた。(14頁12行目)
(ウ)「それで、たちまち物事がうまくいくようになったんだ、仕事でも生活でも。」(15頁3行)
(エ)「小学校で聞かされるような話」(15頁5行)
 そして、債務者書籍におけるこれらに対応する表現部分は、上記の本件著作物の各表現部分に類似し、かつ本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものと認められる。
(オ)「たしかにね」健二も言った。(17頁8行目)
(カ)「どんなふうに?」好子が聞いた。(18頁14行目)
(キ)「それからは、たちまち物事がうまくいくようになったんだ。仕事でも生活でも」(19頁3行)
(ク)「まるで子供向けの物語」(19頁6行)
 したがって、上記の限度では、債務者書籍は本件著作物を翻案したものということができる。
ウ 3.本編のストーリー設定
債権者らの指摘する、登場人物の構成及び数、登場人物がものを生産しないで探し回っているという設定自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、著作権侵害は成立しない。
 また、この章における本件著作物の具体的な表現と債務者書籍の表現を対比した場合に、創作性のある表現部分につき類似性は認められないから、著作権の侵害は成立しない。
エ 4.ものを発見する場面
 債権者らの指摘する、探し続けていたものが探していた場所で発見されたという設定、登場人物が朝早く起きて、同じ道を通って見つけた場所に通うことが日課になったということ、毎日ごちそうに舌鼓を打っているということ自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 他方、この場面を構成する具体的な表現のうち、少なくとも次の部分は本件著作物による創作的な表現部分であると認められる。
(ア)それでも、スニッフとスカリーも、ヘムとホーも、とうとうそれぞれ自分たちのやり方で探していたものをみつけた。(21頁13行目)
(イ)それからは毎朝、ネズミも小人もチーズ・ステーションCに向かった。(22頁1行 目)
(ウ)ヘムとホーも初めは毎朝、チーズ・ステーションCに急ぎ、新しい美味なごちそうに舌つづみを打った。(22頁6行目)
 そして、債務者書籍におけるこれらに対応する表現部分は、上記の本件著作物の各表現部分に類似し、かつ本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものと認められる。
(エ)それでも、ある日、彼らはとうとう探していたものを見つけた。(27頁1行目)
(オ)それからは毎日、キツネもネコもそのペンションに向かった。(28頁1行目)
(カ)タマとミケもはじめのうちは毎朝、池のほとりのペンションに急ぎ、久々にありついたごちそうに舌鼓を打った。(28頁6行目 )
 したがって、上記の限度では、債務者書籍は本件著作物を翻案したものということができる。
オ 5.引っ越しの話
 債権者らの指摘する、登場人物が次第に早起きをやめて、のんびりするようになったということ、どのみち、ものがある場所も行く方法も分かっているとしていること、それが自分たちに与えられたものであると思い込み、ものがある場所の近くに引っ越してきたということ自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 他方、この場面を構成する具体的な表現のうち、少なくとも次の部分は本件著作物による創作的な表現部分であると認められる。
(ア)どのみちチーズがある場所も行く道もわかっているのだ。(23頁2行目)
(イ)チーズがどこから来るのか、誰が置いていくのかはわからなかった。ただそこにあるのが当然のことになっていた。(23頁3行 目)
 そして、債務者書籍におけるこれらに対応する表現部分は、上記の本件著作物の各表現部分に類似し、かつ本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものと認められる。
(ウ)どのみちバターのある場所も行き方もわかっているのだし、(28頁9行目)
(エ)バターがどこからくるのか、だれが置いていくのかはわからなかった。ただそこにあるのが当然のことになっていた。(29頁1 行目)
 したがって、上記の限度では、債務者書籍は本件著作物を翻案したものということができる。
カ 6.消失と疑い
 債権者らの指摘する、チーズ又はバターが少しづつなめていることで消えたということ、登場人物がそのことに気づかないこと、次に姿の見えない他の仲間を疑い始めることそれ自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 他方、この場面を構成する具体的な表現のうち、少なくとも次の部分は本件著作物による創作的な表現部分であると認められる。
(ア)事態は変わっていなかった。チーズはなかった。(31頁3行 目)
(イ)「それはそうと、スニッフとスカリーはどこにいったんだろう?あいつら、われわれの知らないことを知ってるんじゃないだろうか?」(31頁11行目)
 そして、債務者書籍におけるこれらに対応する表現部分は、上記の本件著作物の各表現部分に類似し、かつ本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものと認められる。
(ウ)事態は変わっていなかった。バターはそこにはなかった。(37頁3行目)
(エ)「ところでマイケルとジョニーはどこにいったんだろう?あいつら、バターがなくなったことについてなにか知ってるかも……」(37頁10行目)
したがって、上記の限度では、債務者書籍は本件著作物を翻案したものということができる。
キ 7.展開
 債権者らの指摘する、一方の登場人物である小人又はネコがチーズ又はバターが無くなったことを嘆いている間に、他方の登場人物であるネズミ又はキツネが探し求めていた大量のチーズ又はバターを発見し、残された者たちも、やがて無くなったものを探しに行こうと決意するという物語の展開自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 他方、この場面を構成する具体的な表現のうち、少なくとも次の部分は本件著作物による創作的な表現部分であると認められる。
(ア)彼らのところにはまだチーズがあるのだろうかと思った。彼らも厳しい事態になって、あてもなく迷路を走りまわっているのかもしれない。でも、それもやがては好転するに違いない。(34頁4 行目)
(イ)スニッフとスカリーが新しいチーズをみつけ、たらふく食べているのではないかと思うこともあった。自分も迷路へ冒険に出かけ、新鮮な新しいチーズをみつけられたらどんなにいいだろう。そのときのことが目に見えるようだ。(34頁7行目)
(ウ)新しいチーズをみつけて味わっているところを想像するにつけ、ホーは、チーズ・ステーションCを離れなければと思った。
「出かけよう!」ふいに、彼は叫んだ。(34頁10行目)
 そして、債務者書籍におけるこれらに対応する表現部分は、上記の本件著作物の各表現部分に類似し、かつ本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものと認められる。
(エ)彼らのところにはまだバターがあるのだろうか。はたまた、彼らもきびしい事態になって、あてもなく森を走りまわっているのだろうか。でも、それもやがてはうまくいくにちがいない。(46頁2行目)
(オ)マイケルとジョニーが新しいバターを見つけ、たらふく食べているのではないかと思うこともあった。自分も森に出かけ、新鮮なバターを見つけられたらどんなにいいだろう。そのときの自分が目に見えるようだった。(46頁5行目)
(カ)新しいバターを見つけて味わっている自分を想像するにつけ、ミケは、なんとしてもここを離れなければという 気になった。
「出かけよう!」ふいに、彼は叫んだ。(46頁7行目)
したがって、上記の限度では、債務者書籍は本件著作物を翻案したものということができる。
ク 8.探索
 債権者らが指摘する、残された者がすぐに飛び出すのではなく周りを探し求めるということ、その作業を何日も繰り返すこと、最後にはその無意味さにようやく気づくということ自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 他方、この場面を構成する具体的な表現のうち、少なくとも「ホーは、勤勉に働いても成果があがるとは限らないことがわかってきた。」(36頁8行目)という部分は本件著作 物による創作的な表現 部分であると認められる。そして、債務者書籍のこれに対応する 表現部分である「ミケは、ただがむしゃらに動きまわっても成果があがるとはかぎらないことがわかった。」(48頁10行目)という部分は、本件著作物の上記表現部分に類似し、かつ本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものと認められる。
 したがって、この限度では債務者書籍は本件著作物を翻案したものということができる。
ケ 9.第3部に相当する「話の後の集まり」の場面設定
 債権者らが指摘する、語り手が物語を話し終わると、周りで聴いていた者たちの表情が和らぎ、微笑んでいたという設定、後で話をしようという提案に多くの者が賛成し、その場は散会したという設定自体は、原著作物に由来するものであって、本件著作物において新たに付与された創作的部分に当たらないから、これにつき著作権侵害は成立しない。
 また、この章における本件著作物の具体的な表現と債務者書籍の表現を対比した場合に、創作性のある表現部分につき類似性は認められないから、著作権の侵害は成立しない。
(3) そして、上記(2)の翻案が認められる表現部分の中には、表現 が全く同一のものや登場人物の名前ないしチーズかバターかが違うだけでその他の表現が同じ部分が少なからず存在すること、債務者書籍中には「最近、世界中の人が感動した一冊の本があります。ここに、その話に似ているようで、よく読むと、まったく異なる一つの物語があります。」(表紙の扉部分)、「なにやら似たような話が世の中に出まわっておると聞いて、」(7 頁6行目)といった本件著作物の存在を意識した記載があることからすれば、債務者書籍 が本件著作物に依拠していることは明らかである。
 したがって、以上を総合すると、債務者書籍は、上記(2)で挙げ た具体的な表現部分において、債権者の本件著作物についての著作権(翻案権)を侵害するものと認められる。
3 争点(3)(パロディーとして許される表現行為といえるか)に ついて
(1) 一般に、先行する著作物の表現形式を真似て、その内容を風 刺したり、おもしろおかしく批評することが、文学作品の形式の一つであるパロディーとして確立している。パロディーは、もとになる著作物の内容を踏まえて、これを批判等するものであるから、もとになる著作物を離れては成立し得ないものであり、内容的にも読者をしてもとになる著作物の思想感情を想起させるものである。しかし、パロディーという表現形式が文学において許されているといっても、そこには自ずから限界があり、パロディーの表現によりもとの著作物についての著作権を侵害することは許されないというべきである。
(2) これを本件についてみるに、本件著作物と債務者書籍のそれ ぞれの内容を比べると、本件著作物は、仕事や生活の場で変化に直面したときに、変化に素早く適応し、従来のやり方には固執せず、進んで自分自身を変えなければ、事態は好転しないと説く内容であるのに対して、債務者書籍は、変化で失ったものに代わる何かを追い求め、必死に前進しなければという焦燥感から自分を見失うことの無意味さを訴え、何となく感じる日常の幸せを大事にしようと説く内容であることが認められる。
 以上によれば、債務者書籍は本件著作物を前提にして、その説くところを批判し、風刺するものであって、債務者らの主張するとおりパロディーであると認められるが、前記2でみたとおり、債務者書籍は、本件著作物とテーマを共通にし、あるいはそのアンチテーゼとしてのテーマを有するという点を超えて債権者の本件著作物についての具体的な記述をそのままあるいはささいな変更を加えて引き写した記述を少なからず含むものであって、表現として許される限界を超えるものである。
(3) 債務者らは、憲法で保障されている表現の自由の一つの行使 態様として債務者らが債務者書籍を出版することは許される旨主張する。しかし、表現の自由といえども公共の福祉との関係、本件でいえば他者の著作権との関係での制約を免れることはできず、しかも債務者らとしては債権者の著作権を侵害することなく本件著作物の内容を風刺、批判する著作物を著作することもできたのであるから、上記のように解したとしても不当にパロディーの表現をする自由を制限するものではない。債務者らの主張は理由がない。
4 争点(4)(出版権の侵害)について
 出版権者は、著作権者との間の契約で定めるところにより、頒布の目的をもって、その出版権の目的である著作物を原作のまま印刷その他の機械的又は化学的方法により文書又は図画として複製する権利を専有する(著作権法80条)。
 本件において、前記1で認定したとおり、債権者扶桑社は債権者との間の契約により本件著作物の出版権を取得したが、その内容は本件著作物を原作のまま印刷し文書として複製するというものである。
 他方、債務者道出版の出版に係る債務者書籍は、前記2で認定したとおり本件著作物を翻案した部分を含むものであるが、本件著作物の複製物でないことは明らかである。
 したがって、債権者扶桑社の出版権侵害を理由とする申立ては、理由がない。
5 争点(5)(編集著作権の侵害)について
 編集著作物といえるためには、当該著作物が素材の選択又は配列によって創作性を有するものであることが必要である(著作権法12条1項)。
 本件で、債権者扶桑社が編集著作権の侵害として主張する内容のうち、表紙の装丁編集については、外国の書籍を翻訳した出版物に一般的にみられるもので創作性は認められない。イラストの配色、書籍の大きさについても本件著作物に特有のものではなく、創作性は認められない(なお、イラスト自体は創作性の認められる著作物に当たるが、その内容は編集著作権の対象となるものではないし、また、債務者書籍のイラストが本件著作物のイラストに類似するとも認められない。)。さらに、その他外形的に類似するという点についても、編集著作物としての創作性を認めることはできない。
 したがって、債権者扶桑社の編集著作権の侵害を理由とする申立ては、理由がない。
6 争点(6)(保全の必要性)について
 前記第2の1(3)の事実及び審尋の全趣旨によれば、債務者書籍 は日本全国で販売されており、しかも多くの書店では本件著作物と並べて展示されていることが認められる。そして、本件仮処分手続において、債務者らが著作権侵害の事実を争っていることに照らすと、本案訴訟の提起及びその確定を待っていては、債権者に回復し難い損害が生ずるおそれがあるものと認められるから、保全の必要性はこれを肯定するべきである。
7 債務者に対する申立てについて
 疎明資料及び審尋の全趣旨によっても、債務者について、債務者書籍の発行者の欄に氏名が記載されていること以外に、債務者道出版の代表者としての立場を超えて、個人として同債務者による債務者書籍の出版に関与したことをうかがわせるに足る疎明はない。
 したがって、債権者の債務者に対する申立ては、理由がない。
8 まとめ
 以上によれば、本件の各申立てのうち、債権者の債務者道出版に対する債務者書籍の販売等の差止めを求める申立ては理由があるが(債務者書籍の廃棄を求める申立てについては保全の必要性が認められない。)、債権者の債務者に対する申立て及び債権者扶桑社の申立ては理由がない。
 よって、債権者に金1200万円の担保を立てさせて、主文のとおり決定する。
〔研  究〕
1. 両当事者間には、本件の著作権に基く仮処分事件の前に、不正競争防止法の2条1項1 号(周知の商品等表示との混同)、2号(著名な商品等表示の盗用)をめぐる仮処分事件 があったが、この方は、債務者の行為は不正競争行為に当たらないことを理由に申立は却下された。
 いずれの仮処分申立に対する東京地裁の決定も、平成13年12月19日であった。
2. 不正競争防止法事件に対する決定(C2−4参照)は妥当と思われるが、著作権法に基づく翻訳本の翻案権侵害の主張を認めた決定理由には、かなり無理があるように思われる。即ち、裁判官が似ていると指摘したいくつかの箇所は、全体の中のごく一部であるし、それも複製といえるような模写でもないし、改変ということでもない。まして、翻案といえるものではない。なるほど、ストーリー全体の流れのアイディアやプロットに依拠性や模倣性は認められるが、それらは著作物といえるものではないから、それを理由に著作権侵害を論ずることはできない。
 また、“バター”は“チーズ”のパロディ本という見方もできようが、それはマッド・アマノ写真事件にあったような辛辣な風刺表現ではないから、パロディと評価するには遠すぎるものである。

[牛木理一]