第1−22

「職務発明」の対価問題について
―弁理士の“クレーム力”を評価せよ―

牛  木  理  一


はじめに
1.中村対日亜化学事件の中間判決
2.職務発明の「相当の対価」の根拠
3.弁理士の「クレーム力」
4.「クレーム」による侵害の分かれ
5.「404特許」の発明者の場合
6.「発明力」より「クレーム力」を
7.弁理士の報酬請求権
8.弁理士の実力
むすび

はじめに
 原告の職務発明に対する相当な対価をめぐる中村修二対日亜化学工業訴訟事件の、東京地裁判決に対する控訴審が「和解」によって決着した今日、この事件を契機に特許法35条の規定が各所で検討されたり、報告書や論文が発表されてはいるが、いずれも同様の視点からの議論に終始し、特許権成立の基礎となった「特許請求の範囲」の記載について直視し、その「クレーム力」の存在を議論している者は筆者以外にいない。(1)
 そこで、本稿は、「明細書」や「特許請求の範囲」を作成する特許代理人である弁理士の視点から、特許権成立の本質に根ざして職務発明問題を考えてみたい。
1.中村対日亜化学事件の中間判決
 前記事件の原告は、被告会社の元従業員であり、被告会社に在職中に「窒化物半導体結晶膜の成長方法」に関する発明(以下「本件特許発明」という。)をした。この発明は,平成2年10月25日,被告会社により特許出願され,平成9年4月18日,発明者を原告,権利者を被告会社として設定登録された(特許第2628404号。以下,この特許権を「本件特許権」又は「404特許」という。)。
 原告は,平成13年8月23日に訴状を提出した東京地裁平成13年(ワ)第17772号事件において、本件特許発明についての特許を受ける権利(以下「本件特許を受ける権利」という。)は,同発明の完成と同時に発明者である原告に原始的に帰属し,被告には承継されていないと主張して,被告に対し,主位的に,一部請求として本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとともに,被告が本件特許権を過去に使用して得た利益を不当利得であるとして,その一部である1億円の返還及び遅延損害金の支払を求めた。
 また,予備的に,仮に本件特許を受ける権利が職務発明として被告に承継されている場合には,特許法35条3項に基づき,発明の相当対価の一部請求として,本件特許権の一部(共有持分)の移転登録並びに1億円及び遅延損害金の支払を求めると主張した。
 また原告は,仮に,特許法35条3項に基づく対価請求として,特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めることが許されない場合には,同項に基づき,発明の相当対価の一部請求として,200億円及び遅延損害金の支払を求めると主張した。
 東京地裁(民46)は,平成14年6月27日に口頭弁論を終結し,同年9月19日,第一,一記載の主位的請求につき,本件特許を受ける権利が被告会社に承継された旨の被告の主張は理由がある旨の中間判決をした。(2)
 中村氏がなぜ1000分の1という極小持分の移転登録請求としたのか、実質的な根拠はないだろう。特許法35条1項の従業者等による職務発明の規定は、特許を受ける権利は原則として発明者たる従業者等にあるとしているが、同法35条2項によれば、職務発明の場合は予め契約や勤務規則等によって特許を受ける権利の帰属を使用者等とすることを予想しているから、出願時に譲渡証書などの証拠があるならば、発明者は特許を受ける権利又は特許権の持分を持つことがないことは明らかであるから、東京地裁が譲渡証書の成立を適法と認めた上で、原告の請求を棄却する中間判決をしたことは妥当であったと、弁理士の目には見える。

2.職務発明の「相当の対価」の根拠
2.1次の問題は、特許法35条3項,4項に基く職務発明者に支払われるべき対価の額となる。
 被告は原告に対し、社内で決められていた褒賞金支給基準にしたがって、特許出願時と特許権成立時にそれぞれ1万円の褒賞金を支払っただけで、その特許発明によって得た被告の利益額に対する相当対価の支払いを原告はまだ受けていないから、その対価として、とりあえず20億円を支払ってほしいと請求した。この金額の根拠は、未確定利益額の内金のようであるが、特許法で規定する「相当の対価」とは具体的に何が根拠となるのかが問題である。また、発明者は将来にわたって、特許権が存続している期間中は、毎年、被告会社の利益額の何%かを対価として支払ってもらうことになろうから、会社が元従業員に支払う一種のロイヤリティである。
 ところで、本件にあって会社が得る経済的利益と精神的名声は、「404特許」の「特許請求の範囲」から生まれ、その「クレーム」に記載された技術の実施化に基いて計算されることになるが、会社側には、発明完成までに要した会社の諸設備や人材の提供、発明者に対する給与の支払いがあるし、成立の前後には量産体制の設備投資、営業・宣伝活動、基本特許の防衛のために周辺を固める多くの特許出願、さらに競争会社の出願や実施に対する特許紛争の出費などがある。
 したがって、会社に勤務している限り、発明者といえども、会社における立場を考慮しなければならないから、社外発明者との間の特許権の契約に基づく対価の支払いの場合とは事情が違う。それは、退職後であっても、職務発明である以上、変わりない。
 従業者等がその発明を完成するに至るまでの行為は尊重すべきであることは当然である。しかし、一口に「職務発明」と言っても、単に発明が完成した事実が発生しただけでは、その発明者が受取るべき合理的な相当対価の請求権が発生するものではない。従業者等の実質的かつ合理的な相当対価の請求権の発生は、使用者等が特許権を取得した時である。つまり、どのような発明であっても、特許出願中の発明に最終的に特許権が確立しなければ、従業者等は特許法に基く合理的な相当対価を受取ることは不可能である。
 したがって、特許法35条3項が、従業者等が使用者等に特許を受ける権利を承継させたときは相当の対価の支払を受ける権利を有すると規定していることは、実質的には無意味である。もし、当該発明の特許出願が拒絶査定となった場合には、保護されない経費倒れの発明となってしまう。
2.2そこで、本件「404特許」に対し、裁判所が認定している発明者の貢献度の一部を見ると、次のとおりである。
 各証拠によれば,原告がGaN系半導体結晶膜の成長方法の開発に取り組んでいたさなかの平成2年3月末に,訴外松下電器産業のHの示唆から,被告会社の経営陣が,原告に対して携帯電話のHEMT(高速電子移動トランジスタ)用のGaAs(ガリウム砒素)の開発製造を命じたのに対し,原告が,当時被告会社に1台しかなかったMOCVD装置をGaAs結晶膜の成長に用いると,GaN結晶膜の成長方法の開発は断念せざるを得ないと考え,被告会社の指示に反してGaN結晶膜の成長方法の研究開発を続行した事実が認められる。(3)
 本件特許発明の特許出願後,設定登録に至る間に被告会社特許部が努力をしたことや,本件特許発明の事業化に原告が関与しなかったことなどの発明がされた後の事情は,そもそも使用者会社の貢献度として考慮される事情に当たらない(仮にこの点をおくとしても,本件特許権が設定登録され,特許異議に対して維持された経緯をみても,その手続における被告会社の対応は,出願人として通常の範囲の対応であるし,青色LEDが産業界において待望されていた技術であることに照らせば,本件特許発明の事業化は,いわば成功が保証されていたものであって,事業化に特段のリスク等が存在したものでもない。)
 そして、本件特許発明の職務発明についての相当対価について、裁判所は次のように算定したが、これは、いわば原告の「発明力」に対する経済的評価といえる。
 本件特許を受ける権利の譲渡に対する相当対価の額(特許法35条4項)は,被告会社の独占の利益1208億6012万円(前記5において算定した実施料合計額)に発明者の貢献度50%を乗じた604億3006万円(ただし,1万円未満切り捨て)となる。
 1208億6012万(円)×0.5=604億3006万(円)

3.弁理士の「クレーム力」
 ところで、どんなに世界的な大発明と評価されるものであっても、特許権となると、違う評価を受けることになる。即ち、そのような発明を法的に保護するのは特許権であり、特許明細書に記載されている「特許請求の範囲」の解釈によって、特許発明についての独占排他権の広さが画定されるから、どんなに大発明と評価される新しい技術であっても、「特許請求の範囲」の記載内容に特許権の効力の及ぶ範囲は左右されるのである。この「範囲」のことをわれわれは「クレーム(Claim)」と呼ぶ。
 この特許明細書や「特許請求の範囲」を書くのは、主として出願代理人である弁理士の仕事である。したがって、出願の前後を問わず、発明者にとっては弁理士との綿密な打合わせこそ、将来の彼の前記対価を決めるカギとなるといっても過言ではない。これを、発明者の「発明力」に対して、弁理士の「クレーム力」と呼ぶことができる。
 特許庁審査官とのやりとりを含めて、出願の経緯をもっとも熟知している者は出願代理人であり、会社側の出願担当者(リエゾン)である。
 発明の名称を最初は「半導体結晶膜の成長方法」と題した「404特許」の「クレーム」は、次の1つだけである。
「【請求項1】加熱された基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、窒素化合物の半導体結晶膜を成長させることを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。(4)
 特許権の対象となる発明内容を「特許請求の範囲」というかたちに集約したものが「クレーム」であり、これが特許権の効力が及ぶ範囲となる。
弁理士は、もし特許庁の審査官からアクションがかけられたときは、引用文献中の技術との違いを明らかにするための意見書や補正書を作成し、場合によっては審査官と面接交渉し、新たな「クレーム」を作成することもある。
したがって、弁理士自身、当該発明の内容に精通していなければならないのはもちろんのこと、その発明がいかに大きな範囲の「クレーム」を獲得すべきかを考えることになるから、代理人となる弁理士は、「クレーム」創作のための想像力と創造力という2つの“ソウゾウ力”という知的財産を持ち合わせていることが要求される。だから、「クレーム」創作のために弁理士の胃袋は、時間と闘いながら、いつもヒリヒリ悲鳴をあげている。

4.「クレーム力」による侵害の分かれ
4.1特許権侵害事件では、「特許請求の範囲」の項の「クレーム」の記載の仕方いかんによって、被告のイ号物件が「クレーム」に属するか否かが分かれることがある。それは、松下電器対ジャストシステムの特許権侵害差止請求事件において、“一太郎”のソフトが、松下の特許第2803236号(平成1年10月31日出願・平成10年7月17日登録)の「クレーム」に属するか否かの判断が、2つの事件におけるイ号物件の違いで分かれたのである。
 この特許発明は「情報処理装置及び情報処理方法」であるが、その「クレーム」は3つの請求項から成る。即ち、このうちメーンクレームである【請求項1】はそれぞれの機能を実行させる第1,第2のアイコンを画面に表示させる手段と、前記表示手段の画面上のアイコンを指定する手段と、前記指定手段による指定に応じて画面上に前記第2のアイコンの機能説明を表示させる制御手段とから成る情報処理装置であり、【請求項3】は前記装置を制御する情報処理方法である。
 被告の“一太郎”は、正にパソコンの画面上で「?」のついた絵文字(アイコン)をクリックし、その後に印刷の絵文字を押すと、「文書を印刷する」という説明が出ることから、このような機能を有する装置と方法を“一太郎”が有することは、前記「クレーム」の構成要件を充足することになるから、特許権侵害が成立すると判断したのが東京地裁(民47)平成17年2月1日の判決であった。
 ところが、同じ東京地裁(民47)においては、“一太郎”の簡略版に対する訴訟では、最初にクリックするのが画面上の「?」記号であったことから、これはデザイン化されていない単なる記号であって「アイコン(絵文字)」ではないと解され、松下特許の「クレーム」には属さないと判断された(東京地判平成16年8月31日)。(5)
 これは、製品の画面上に「?」記号を表示するか、「アイコン」を表示するかによって特許権侵害の有無が争点となった事案であるが、もしも「クレーム」の項に、「アイコン」または「?」記号のいずれをも表示することが含まれるような記載であったならば、“一太郎”の簡略版も侵害と判断されたかも知れないから、「クレーム」の書き方はおそろしい。
 ところが、この松下電器対ジャストシステム事件は、意外な結末となった。控訴審の知財高裁(特別部)においては、前記松下特許の3つ請求項の発明についての特許性が争われた結果、これは特許法29条2項の進歩性を欠如した発明であり、特許無効理由を最初から有するものであるから、そのような特許権の行使は特許法104条の3第1項によって許されず、権利の濫用に当たると判断され、原判決は取り消されたのである。ということは、被告の行為はたとえ「クレーム」全部を充足しているとしても、もはや権利侵害とはならないという決着である。(6)
4.2「ボールスプライン軸受」特許権侵害事件において、東京高裁平成6年2月3日判決は、一審敗訴の原告(控訴人)が主張した「均等論」を認め原判決を取り消したが、これに対し最高裁平成10年2月24日判決は、被告の主張立証した出願前公知の事実を集めたものとする自由技術の抗弁を認め、控訴審判決を破棄して差戻した。(7)
しかし、最高裁は均等論について5つの成立要件をあげて論じているから、特許権侵害事件に出会ってはじめて「クレーム」記載のまずさに気付くことがある弁理士にとっては、均等論は救いの手であるともいえる。かといって、これに甘んずることなく、将来起るであろう侵害態様を意識して「クレーム」の記載を出来るだけ広く表現することに腐心する弁理士の仕事を、発明者も出願人も理解しかつ評価していただきたい。
4.3このように、新規かつ進歩性を具備した発明を保護する特許権の技術的範囲を実質的に解釈し、特許発明の構成要件の一部を他の構成に置換することによって技術的範囲から逃れようとする侵害行為に対し、これを「均等」として特許権侵害の成立を認めようとした最高裁判決の意義は大きい。しかし反面、「クレーム」の記載に対する特許権侵害事件への弁理士に課された責任は、益々重くなったといえる。即ち、弁理士は明細書の作成において、最高裁判決が出した「均等」という名の神の手に甘んずることなく、将来起り得るであろう侵害態様をできるだけ意識して、「クレーム」の記載をいかに表現するかに全神経を集中しなければならないことになる。
しかし、反対に、最初から狭い「クレーム」の記載となれば、依頼者から責任が問われることになるかも知れない。その意味で、弁理士に要求される能力は、技術と法律とのシナジーなものへの知恵の発揮力にあるといってよい。弁理士自身が、「クレーム力」を発揮するための知的財産を所有していなければならないといわれる所以はここにある。

5.「404特許」の発明者の場合
5.1 「404特許」に係る「窒素化合物半導体結晶膜の成長方法」の特許権の「クレーム」は1つだけであるが、この記載の中に発明者が、独自に開発した世界的な大発明の必須不可欠な要件が記載されており、基本特許としての金字塔を確立しているものであれば問題はない。(8)しかし、その「クレーム」を書いた者は代理人の弁理士であることを、発明者は忘れてはならない。
ところが、東京地裁平成14年11月29日中間判決に係る平成10年(ワ)10832号・同12年(ワ)5572号事件において、原告の中村修二氏は、裁判長からの本人尋問に対し、「当時、私にとっては論文を書くことが第1であった。特許を出すのも論文を公開したい一心で、その論文の公開のために会社に不利益を生じさせないよう、特許を出していたにすぎなかった。私としては明細書の技術的内容のみ興味があったので、そこしか見ていなかった。特許公報の1頁目は見たかも知れないが、関心がないので、気にとめなかった。」と証言している(東京永和法律事務所website2002年9月19日)。
これは、発明者(技術者)本人は研究者としての自分の名声に関心はあっても、金の卵を生むための特許権の基礎となる「クレーム」の記載内容には全く関心がなかったことを意味する。ということは、発明者は当時、弁理士のしている仕事については理解していなかったばかりでなく、特許法35条3項の規定は知らず、同条項に規定する「相当の対価」の知識については、被告会社を退職し、渡米してからであったのである。
5.2 中村修二氏はその裁判について批判する著書をいろいろと出版されているが、それは自分が研究開発した大発明に自信を持っているからであろう。しかし、中村氏が1993年に高輝度青色LEDを発表し、世界の学界に衝撃を与える前のこの技術分野の歴史についてはあまり触れていない。
 これについて、今井哲二静岡大学教授は、わが国には70年代から青色LEDの研究に従事され、先駆的成果を残された赤崎勇名古屋大学名誉教授をあげておられる。今井教授によると、文部省が87年度から92年度までの8年間、大型研究プロジェクトが青色LEDの開発を目指して行われたが、目標とした課題を克服することなく終了したという。中村氏の登場はその直後であった。
 「研究者は目的を達するまでは、競合他者を常に意識し、一分一秒を争ってしのぎを削る。独自性が問われる研究の宿命であろう。」と今井教授は言われる。そして、今日の中村氏には商品化に成功し、職務発明者として莫大な対価を得たのだから、もう少し相手方への賛辞があってもよいのではないかと言われている。(9)

6.発明力より「クレーム力」を
6.1 私は、特許明細書において「クレーム」を作成する外部弁理士の視点から、職務発明制度で発明者に与えられる相当対価の問題について考えてみたが、いかに世界的な大発明といわれるものであっても、そしてそれに特許権が成立したとしても、「クレーム力」があっての発明に対する経済的評価であり、対価であるから、特許権の成立に関与した弁理士及び出願担当者(リエゾン)による貢献度を十分考慮した上で、当該特許発明に対する発明者に与えられる対価は決定されなければならないことを強調したい。
そして、弁理士らの貢献度は、当該特許権の発明者が使用者等に請求する相当の対価のうち、少なくとも2分の1は認定されてよいものと考える。
ということは、職務発明の特許権をめぐり、職務発明者に対して支払われるべき相当の対価とは、その「クレーム」についての特許権の確立に貢献(寄与)した弁理士及び出願担当者に支払われるべき金額と、同等以上のものではないということである。したがって、裁判所においても、特許権をめぐる発明者に支払うべき対価は、このような観点から計算されて然るべきであると考える。
 当該発明の特許権に対する弁理士の寄与度についての法的根拠をあえて求めるとすれば、特許法35条4項にあり、この法条が「使用者等が貢献した程度を考慮して」と規定していることに準じ、弁理士が使用者等の「代理人として貢献した程度を考慮して」、発明者である従業者等が受けるべき「相当の対価」は定められるべきであると考える。
前記事件で原告側が勝訴すれば、被告から原告に支払われる対価額の何%かを代理人弁護士は成功報酬として原告(発明者)から受取ることができ、もし東京地裁が認定した604億円の対価が確定したならば、その報酬は目もくらむような金額になるだろう。
 これに対し、その基礎となった特許権の「クレーム」を作成した弁理士は、原告である発明者に対し、その特許権の経済的評価が客観的に明らかになったことへの弁理士の寄与度に対する報酬を請求できないとするならば、いかにも不公平ではないだろうか。
6.2 しかし、繰り返して言うが、世界的な大発明と評価され、発明者がノーベル賞候補者になり得たとしても、その発明だけからでは莫大な経済的利益をあげることはできない.(10)その発明が特許という評価を得て、特許権という独占排他権を取得してはじめて、経済的利益を得るスタートラインに立つことができるのである。その後のことは、日亜化学工業の「404特許」があげた独占的な実績を見れば明らかである。しかし、もし「404特許」の「クレーム」が確立しなかったならば、日亜化学工業は莫大な富を手にすることは困難であったし、そこから発明者が取得する「相当な対価」なるものも生まれなかったであろう。
それだけ、特許権の実体となる「クレーム力」は、絶大な評価を受けなければならないものであることを、関係者は忘れてはならない。
6.3 平成17年1月11日に成立した中村修二対日亜化学工業事件の控訴審における東京高裁の和解についての「見解」(11)を読むと、同裁判所が妥当と算定した根拠を、発明者が会社に譲渡した「特許を受ける権利」に置いているが、かと言って、出願した発明に対して評価しているわけではない。裁判所が計算の基礎としたものは、「中村氏のすべての職務発明の特許権等の禁止権とノウハウによる。」としていることから、和解の内容としてはやや漠然とはしているものの、支払われるべき対価の根拠は一応明らかである。
 しかし、この「見解」には、「発明力」とは異質の「クレーム力」について何の言及も評価もされてないことは、特許権の基礎となる「クレーム」の意義について、裁判所は認識不足であったったといわざるを得ない。

7.弁理士の報酬請求権
 職務発明のための対価の主役となった「404特許」の出願の前後から特許登録に至るまでの経緯は、中村氏が書かれている多くの著書や代理人弁護士が書かれているHPなどから、ある程度理解することができる。しかし、東京高裁の前記和解に臨んで発表した「見解」には、一つの特許権の確立やライセンス契約によって得られる経済的利益は、1人の偉大な発明者だけの貢績ではなく、多くの人々が関係しているものであることを理解せよという裁判官の気持ちがにじみ出ている。しかし、その中に、弁理士が作成した「クレーム」の貢献度と評価についての言葉がなかったことは残念である。
 もちろん、会社側には発明者の発明内容をまとめたリエゾンがいるし、同人と代理人弁理士との協議が何回も持たれただろうから、リエゾンの存在も大きい。
 リエゾンの貢献度については、職務発明者に対する対価報酬の支払いだけではないことを、平成17年1月24日に東京で行われた「中小企業における知的財産戦略シンポジウム2005」において、(株)ナベルの南部邦男社長がその基調講演の中で言明されていた。これは今後次第にこのような理解度が企業側にも拡がって行くことを示唆しているものであるが、同時に、代理人弁理士への報酬のあり方を考え直す契機になってほしいものであると、私はその場で、同社長の考え方に対する感想について発言した際に、付言したものである。
 中村修二対日亜化学工業事件では、その基礎となった特許権の「クレーム」を作成した弁理士は、発明者および/または特許権者に対し、その特許権の経済的評価が客観的に明らかになったことへの弁理士の寄与度に対する報酬を請求できないとするならば、いかにも不公平である。職務発明に関する限り、特許権の確立はそれに至るまでの関係者の総合的知恵の結集であり、特に弁理士が作成した「クレーム」は大きな経済的利益を生む金の卵であるから、発明者の1人勝ちはあり得ない。
 したがって、勝訴または和解による発明者(原告)の代理人弁護士への報酬の支払いは当然であるとしても、その特許権の「クレーム」を生んでくれた代理人弁理士への報酬はゼロであってよいはずはない。弁理士の「クレーム力」への評価は、弁理士への特許庁手続に対する手数料等とは別の、発明者に与えられる相当の対価と同様に、特許権発生後の成功報酬の請求権の行使として実現されるべきものである。(12)
 そこで、職務発明をめぐる使用者と従業員(発明者)との間に存在する報酬契約は、同様に出願人(特許権者)と代理人弁理士との間でもあり得る問題であると考える。弁理士は、予め決められた出願手数料等の支払を受取るだけで満足すべきではない。
「クレーム力」の評価は、発明者の「発明力」の評価と同様に、司法裁判所によって決定されて然るべきである。この弁理士の報酬請求権は特許権者に対して行使されることになるが、これは弁護士の報酬請求権が依頼者の発明者に対して行使されることと同様の立場であるといえる。

8.弁理士の実力
 現場主義を貫いている弁理士の場合にあっては、企業側の発明者やリエゾンと詳細な打合わせをした後にまとめる大発明に関する明細書と「クレーム」は、その「クレーム」が特許査定となれば、設定登録によって発生する特許権の効力の強さとそれに伴う経済的評価の高さに、自信をもって「発明力」より「クレーム力」と主張することができるだろう。これに対し、デスクワークしかしない非現場主義の弁理士には、前記のような主張は、自分とは別次元の弁理士についての発言にしか聞こえないかも知れない。まして、「クレーム力」に対する報酬請求権の契約などはとんでもない考え方だと反論するかも知れない。
 また、「クレーム」がすべて弁理士の創作といえるかどうかについては異論があるかも知れない。けだし、願書上の代理人欄には、特許事務所単位の代理では複数の弁理士名が形式的に記載されているから、客観的に「クレーム」を作成した弁理士を特定しにくいし、また出願人会社の出願担当者や発明者本人が「クレーム」を含む明細書を全部作成する場合もあり得るから、そのような場合は代理人の欄は形式にすぎなくなるからである。
 しかし、わが国の産業経済界は99%以上の中小企業の上に成り立っている現実の姿を考えるならば、中小企業向けの仕事をする弁理士こそ、日本弁理士会を中心に発言力を強くしてよいだろう。(13)
 そのためには、弁理士自身が中央・地方を問わず中小企業相手の仕事に自覚と誇りをもたなければならないし、仕事の量や時間によって手数料を算定したり、「クレーム力」を有する当該特許権の実施によって取得される経済的利益に比例して報酬請求権を請求する立場を貫く信念がなければならないだろう。
 その意味で、特許法35条3項の適用をめぐる青色LED特許権事件の東京地裁の判決と東京高裁の和解は、弁理士にとってもこの問題をよく考えて議論する機会が与えられたものといえる。

むすび
 アニメやキャラクターに代表されるわが国のソフトパワーに対し外資からの熱い視線が注がれていることから、わが国ではアニメ制作のためのファンド(基金)(14)の設立を実現したが、資金の集め方や契約の手法内容について、法律的知識の不足などから欧米企業との契約では、日本企業が圧倒的に不利になるケースが多いという。これについて、久保利英明弁護士は、「収益はコンテンツの内容ではなく、契約に左右されるとの認識がこの業界には欠けている。」と指摘している(朝日新聞平成17年2月3日)。
 この指摘は、正に私が指摘した発明者の「発明力」と代理人弁理士の「クレーム力」との関係を考えることに相通ずる。
 したがって、先に述べたように、職務発明をめぐる使用者と発明者との間の契約と同様に、出願人と代理人弁理士との間に報酬契約者の締結が実現すれば、出願人(特許権者)はこの契約に拘束されることになる。
 私の以上の提言は、職務上一つの特許権の誕生をめぐり深く関係している特許代理人としての立場から、一つの特許権の確立とそれについての評価について、全体的なのバランスをよく見て考えることの重要性を指摘し、関係者がその立場に対する妥当な精神的評価と経済的評価とを考えることの必要性を説くものである。
 なお、本文で引用している特許法35条の規定は、「404特許」事件との関係で平成17年4月1日の改正前のものであるが、現行法とは実質的に変わりはない。



(1)この問題について筆者は、経済産業調査会発行「特許ニュース」において3回取り上げて論じている。(2002年10月17日号,2003年12月22日号,2005年2月24日号)
(2)特許ニュースNo.10902(平14.10.15),No.10903(平14.10.16)
(3)発明者が会社側の命令に反して独自に開発したものであれば、完成した発明は、「発明をするに至った行為がその使用者における従業者の現在の職務に属する発明」(特,35条1項)の要件を満たしていないのではないかという疑問が出てくる。
(4)「404特許」は、平成9年4月18日に設定登録された本件特許権の成立後の平成10年1月18日になされた特許異議申立によって特許庁から発行された取消理由通知に対する手続補正書によって、不明瞭な記載の釈明としてアンダーライン箇所が付加訂正され(特113条,120条の4)、これが正式に確立された本件特許権の「クレーム」である。なお、現行特許法では異議申立制度は廃止されたから、113条から120条までの規定は削除されている。
(5)日知財協判例集付録〔東京47-2004-No.18〕。この訴訟は、本訴原告(反訴被告)がジャストシステム、本訴被告(反訴原告)が松下電器の、特許権侵害差止請求権不存在確認等請求事件及び特許権侵害行為差止反訴請求事件である。その結果、前者は却下と棄却、後者は棄却である。
(6)被告は、原告の特許発明が特許法29条2項の進歩性を欠如しているとの確信があれば、特許庁に無効審判を請求するか否かに拘らず、侵害裁判所において特許無効の理由があることを立証し、原告の権利行使は権利の濫用であることを主張すればよい。現行特許法104条の3第1項は、長年の裁判例の蓄積の上に制定された規定である。
(7)知的裁集26巻1号89頁、知的裁集26巻1号34頁、判時1630号32頁
牛木理一「均等論と自由技術論」知財管理Vol.48 No.10 P.1569(1998)。
(8)中村氏はその著書で、「404特許は青色LEDの基本技術だ」と言明し、日亜化学のLED関連製品はこの「404特許」を使って作られていると主張し、「404特許」以外にも代替技術があると主張する日亜化学側の反論を一蹴している。(「ごめん!」90頁 ダイヤモンド社2005)
(9)朝日新聞2005年1月22日(土)「私の視点」から。
(10)「発明力」と「クレーム力」とを分けて考えたとき、前者に対しては人類社会への科学的貢献によって尊敬されるべき人格的評価が与えられるといえるのに対し、後者に対しては一企業への産業経済的貢献によって報われるべき経済的評価が与えられるといえるから、この両者は分別して考えることができる。そして、「発明力」は発明者自身が生み出す能力であるのに対し、「クレーム力」は代理人たる弁理士が生み出す能力である。インターネットシステムやカラオケシステムの発明者はいずれも前者に属し、後者の問題はない。
(11)「特許ニュース」No.11444(平17.1.27)
(12)中村修二氏は多くの著書で、自分の主張の正当性をアピールしているが、会社のリエゾンや代理人弁理士の立場については、一言たりとも触れていない。
(13)日本弁理士会の立場として検討すべき重要問題は、第三者の職務発明についてではなく、当事者である会員の作成する「クレーム」が有する「クレーム力」をいかに評価すべきかを検討することであり、日本公認会計士会のような第三者機関と合同で検討すべき問題である。
(14)「アニメファンド」とは、アニメ製作に必要な費用を製作者側が小口証券化し、その証券を一般投資家が購入することで、アニメ製作の費用の入手を図る新しい金融システムであり、2004年7月27日に発表された。このファンドは、JAPAN DIGITAL CONTENTS,INC、楽天証券株式会社、ジェット証券株式会社の三社で運営され、ファンドの募集は楽天とジェットでなされている。


 


〔牛木理一〕