第1-7



書体名はなぜ商標登録できないか

牛  木  理  一


 

はじめに
 現在世界各国で最もよく使われているサンセリフの一つで、東京オリンピックの指定書体にもなった「ヘルベチカ HELVETICA」は、1957年にスイスのノイエ・ハース・グロテスク社から発表された文字書体である。この書体は、1962年に現在の「ヘルベチカ」に改名されそのファミリーを増していった。
 この書体の特徴は、個々に微妙なニュアンスをもち、全体に統一された力強さをもち、ストロークを水平に切り、字巾の差を最少にとどめている点にあると、わが国タイプグラファーの第一人者の桑山弥三郎さんはその著書の中で解説している。
 さて、原告(ハイデルベルガー・ドルックマシーネン・アクチェンゲゼルシャフト)は、標章「HELVETICA」について、第9類「印刷機械器具などの産業機械器具、その他」を指定商品として、平成3年11月29日に商標登録出願 をしたところ、この標章は、単に商品の品質を表示するにすぎないし、指定商品以外の商品に使用すると、商品の品質の誤認を生ずるおそれがあるとの理由で拒絶査定を受け、また審判請求も不成立となった。
 審決は、まず、「ヘルベチカ」は、わが国において不特定多数の者及び多数の出版物に使用されてきた結果、今日においては、ローマンなどと同様、特定の書体であるヘルベチカ書体を表すものとして、取引者・需要者間に広く認識されている。したがって、本願商標を指定商品中のヘルベチカ書体を用いた活字、写真植字機等に使用しても、単に商品の品質(形状)を表しているにすぎず、また、これを上記商品以外の指定商品に使用した場合には、商品の品質(形状)について誤認を生じさせるおそれがあると認定した。
 書体についての名称が登録商標として保護されるかどうかは、各国の法制度によって異なり、商標の登録出願及び登録の条件は各同盟国の国内法令で定められ、かつ、その効力は当該国の領土内に限られるという属地主義の原則が採られているから、本願商標が他国において商標登録されているからといって、直ちにわが国において登録を受けられるものではないとした。

東京高裁の判断
 原告が請求した審決取消訴訟において、東京高裁は平成13年7月18日、次 の理由によって請求を棄却した。
1. 書体、レタリング等に関する国内文献やインターネットのウェッブ・ページにおいて、本願商標の「HELVETICA」のほか、頭文字以外は小文字の「Helvetica」及び本願商標を片仮名で表記した「ヘルベチカ」ないし「ヘルヴェチカ」の語は、欧文書体の一書体名であるヘルベチカ書体を意味するものとして使用されている。他方、本願商標がその指定商品中のヘルベチカ書体を用いた活字、写真植字機等(以下「活字等」という。)について、特定の商品出所を表示する識別力を有すると認めるに足りる的確な証拠はない。したがって、わが国において、「HELVETICA」、「ヘルベチカ」の語が一書体 名を表す語として、活字等の取引者又は需要者において認識され用いられていることは推認されると認定した。
 もっとも、「アドビ社フォント販売用ホーム・ページ」には、「Helveticaは、ライノタイプ・ヘル・アーゲー又は(及び)その子会社の登録商標で す。」との記載があるが、これはフォント販売用ホーム・ページであり、「Helvetica丸字体の基本的なデザインは、Helveticaの標準字体と同じです。」との記載もあるから、「Helvetica」は書体を意味するものとして使用さ れていることは明らかであるとした。
 すると、わが国において、本願商標を、指定商品中「ヘルベチカ書体の活字及び写真植字機の文字盤」に使用しても、単にその商品の品質を表しているにすぎず、また、これを上記商品以外の指定商品に使用するときは、商品の品質について誤認を生じさせるおそれがあるとした審決の判断は正当であると判示した。
2. 一般に、商標としての商品識別力を有していた標章が時代の推移とともに商品識別力を喪失することは稀れではなく、また、特定の国において商品識別力を有する標章が、他国においては商品の一般名称又は品質表示として用いられているということも稀れではない。本願商標が長年にわたり広く使用された結果、今日のわが国においては、欧文書体の一種であるヘルベチカ書体を表すものとして、取引者又は需要者に広く認識され用いられるに至ったものと推認されるとした。
3. 書体の創作者の権利をどのように保護すべきかについては、国際的に統一的な保護の方法が確立しておらず、その保護の態様及び程度は各国ごとに異なる。原告主張のように、書体自体を保護することは、立法論として考慮する余地があり、比較法的にもそのような法制度を採用する国があるし、また、書体を著作物として著作権法により保護する制度のほか、商標法により書体を保護する制度も考えられないではない。
 しかし、わが国の商標法は、商品及び役務の取引に用いられる識別標識である商標を保護することにより、これを使用する者の業務上の信用を維持することを目的とするもので、著作権法、意匠法等のように創作者に独占的権利を付与することで創作を奨励する制度とは目的を異にし、商標法が保護するものは商標であって書体そのものではない。根拠となる明文の規定のないまま商標法の解釈によって書体を保護することは、法解釈として正当なものということはできないと判示した。
 原告は、伝統的に書体が活字の一部としてのみ存在したことを根拠として、指定商品を活字として商標を保護することにより間接的に書体の保護を図るべきであると主張した。しかし、指定商品である活字との関係において、書体はその品質にほかならないから、書体を表す標章は活字等について商品出所の識別力があるということはできないとした。
 原告は、本願商標が品質表示であるとすると、第三者は、本願商標を任意の活字に付して自由に販売することができるとも主張した。しかし、このような第三者の行為は、商品の品質、内容について誤認させるような表示をする行為であり、不正競争防止法2条1項12号に規定する不正競争に当たるから、現行法の下においても許容されることはないと判示した。
4. 原告は、本願商標が世界的企業に使用許諾されていることを主張したが、これら企業がヘルベチカ書体を使用することについて使用許諾契約を締結することは、各企業が種々の要素を考慮して総合的な経営判断により決定したものであり、わが国商標法の下で本願商標が登録されるべきかどうかの判断に影響を及ぼすものではないとした。
 加えて、本願商標が登録されるべきかどうかは、これが指定商品である活字等について商品出所の識別力を有するかどうかによって判断されるべきものであって、書体であるヘルベチカ書体の使用許諾がされていることは、活字等を指定商品とする本願商標の登録の許否とは次元を異にする。したがって、上記許諾契約が締結されている事実は、審決の判断を正当とする当裁判所の結論に消長を来すものではないとした。

まとめ
 新しい文字書体の名称を現在、わが国の特許庁において登録しようとすると、書体は商品でも役務でもないことから直接的には不可能である。だから、間接的ながら、「タイポス」や「ナール」のような名称は、印刷機械器具に属する活字や写植文字盤、あるいは電子計算機の周辺機器などを指定商品として登録している。
 ところが、この審決も判決も、品質表示となる間接的な登録すらも否定したのである。「ヘルベチカ」書体の創作者であったハース社と原告会社との関係は明らかでないが、それ以上に、この商標自体が印刷機械器具の出所を表示する識別力があるとの立証がないことと、書体の著名な名称であることとが、特許庁において顕著な事実であったことが、登録が拒否された最大の理由であろう。
 しかし、商標とは商品や役務についての出所表示機能のみならず、品質表示機能をも果たすものであることを考慮すれば、出所識別力にこだわった審決や判決の考え方はいかがなものかと思う。
 ただ判決が、もし第三者がこの商標を活字や写植盤に使用したときは、商品の品質に誤認を与える表示となるから、不正競争防止法によって禁止させることができると判示したことは注目してよい。
 また、たとえ、書体自体について著作権はなくても、書体の名称について商標権はなくても、契約自由の原則から、契約対象を特定すれば十分契約によって保護されるものであることも、この判決は確認している。
 


〔牛木理一〕