第1−1

 

第1.意匠法の特殊性と意匠の類否判断の難しさ
Special Characteristics of Design Law and the Difficulties in Judging Design Similarity

牛  木  理  一

 


はじめに
1. 感性−理性−悟性
2. 意匠の類否判断
3. 意匠の要部の把握
4. 最後の仕上げは感性で
むすび
 

 

はじめに

 われわれが仕事で日常取扱っている「意匠」を考えるとき、常に念頭にあるのは意匠法であり、この法律上の「意匠」の定義です。意匠法は2条1項で、「この法律で『意匠』とは、物品(物品の部分を含む)の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であって、視覚を通じて美感を起させるものをいう。」と規定しています。(1)
 人間の歴史を考えるとき、この地球上に生活してきた人間の時間と空間の中に、意匠 (英語ではdesign)という概念は、さまざまな意味をもって存在しています。そのようなさまざまな意味をもつ意匠の概念のうち、わが国意匠法は、保護する意匠について、前記のように定義して画定したのです。
 その意匠法の目的は、同法1条で、意匠の保護と利用を図ることによって、「意匠の創作を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことにあると規定しています。 (2)このよう な法の目的から、意匠法は特許法及び実用新案法と同様に、産業上の創作保護法であるといわれています。
 

 

1.感性−理性−悟性

 さて、意匠法にいう「意匠」の定義規定に戻りますと、意匠とは人間の創作において、左脳と右脳の2つの領域にわたる活動範囲をもっているものであることがわかります。 「物品(物品の部分を含む。)の形状,模様若しくは色彩又はこれらの結合であ」るとは、理性が支配する左脳の対象となるものであり、「視覚を通じて美感を起させるもの」とは、感性が支配する右脳の対象となるものです。この事実は、同じ産業上の創作保護法である特許法の発明と実用新案法の考案とが、創作程度の差こそあれ、「自然法則を利用した技術的思想の創作」という専ら理性が支配する左脳の対象となっているものと違うところです。
 では、右脳の対象となる創作品は他に何があるかを考えると、絵画,彫刻,彫塑,書などの美術の著作物があります。これらの作品を保護する著作権法2条1項1号は「著作物」 を定義し、「思想又は感情を創作的に表現したもの」で、「文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と規定します。このうち、主として思想を創作的に表現する文芸,学術の作品は理性を支配する左脳の対象となり(3)、主として感性を創作的に表現する美術,音楽の 作品は感性を支配する右脳の対象となるで しょう。
 しかし、文芸,学術の作品でも、その表現は主として言語や数字などを媒体としてなされるとしても、その内容は感情の流れに満たされて表現されるものもあります。また、美術,音楽の作品でも、その表現は主として形態や色彩やメロディや演奏などを媒体としてなされるとしても、その内容は理性との間に悟性をもって論理的に組立てられて表現されているのです。(4)
 意匠は、前記のように感性が支配する右脳の対象となる点では、美術作品と共通の創作領域をもっていますが、意匠は工業的に生産され日常使用される物品への表現物である他律性が重要な成立要件となる点で、すべてから自由な表現物である自律性が成立要件となる美術作品とは異質のものです。(5)
 例えば絵画について、感性による自律性を象徴的に言い現わしているのが、最近読んだ「中身より外見」と題した洋画家の田村能里子さんの次の言葉です。(6)
 「なぜ絵描きになったの」という質問をよく受けます。こちらは言葉の表現能力に貧しく言葉にならない部分の脳を使ってどうにか仕事をしている人間。気のきいた答えを期待すること自体無理無謀というものです。さりとて「さあね」だけではあまりに愛想なしなので苦し紛れに「外見さえよければ中身にはこだわらない性格なの」ととぼけております。
 画家におけるこのような思いは、図面に よってあるいは写真によって表現されている意匠の形態を、言葉で表現することの困難を経験している者には共感するものがあり、しかし意匠は外見にとどまらず、中身に立ち入らねばならない宿命をもつのです。その意味で、意匠の審査や鑑定を行う者は、感性と理性と悟性の全人格的能力を発揮する作業に日常従事していることになり、その苦労たるや特許の審査や鑑定に従事する者の比ではないといえるのでしょう。
 

 

2.意匠の類否判断

 では、意匠の類否判断とはどういう作業なのかをやや哲学的に言うならば、感性が対象から触発されて得たものを、悟性によって論理的に思考して決める作業であるといえましょう。だからこそ、意匠の類否を決めるための普遍的な基準の定立が必要となるのです。この思いは、意匠権侵害事件において顕著に現われます。(7)
 したがって、意匠の審査官や弁理士が具備していなければならない能力は、感性の表象を見る力だけではなく、その対象を見て通して論理的に思考する思惟能力であります。
 意匠法や意匠の類否判断についての文章を読んでいて、読み手にその意味内容が理解されないことがあるのは、書き手に前記のような感性の表象から対象を論理的に構成する自発的な思惟能力、即ち感性と理性とを結ぶ悟性が欠如しているからでありましょう。
 ここに悟性とは、民法及び知的財産法体系の中における意匠法という法律の存在意義と意匠権という権利の発生意義をまずよく理解し、それを論理的に思考することができる能力であります。したがって、審査登録制度を採るわが国の意匠の審査官自身は、出願意匠を登録査定する場合でも、なぜ登録するのかの悟性的判断の理由を書く訓練をすべきです。その訓練は将来、意匠法や意匠の類否判断についての文章を書くときに必ず役に立つのです。このような訓練の成果は、出願意匠を拒絶査定する場合には直ちに発揮されるでしょう。そして、今迄の説得力のない定型的な拒絶理由に比すれば、数段卓越した拒絶理由を書くことができるようになるでしょう。
 このような自発的な思惟能力の発揮は、たとえ最低限度必要な意匠法という法律についての本質的な理解をしていなくとも、具体的な審査や審判の実務を通じて一つ一つに悟性的判断をする訓練を継続することによって、意匠法乃至知的財産法についてのリーガルマインドが身についてくるのです。法律的なものの考え方や事実への法規定の適用とは、このような悟性的判断、即ち感性が対象から触発されて得たものを、論理的に思考することにほかならないのです。
 しかし、もしこのような訓練努力を怠るならば、いつまでも意匠法を知らない者、リーガルマインドのない者による審査、という レッテルを貼られたままになるでしょう。芸術家の卵が法律家を志そうとするときに、法律学をかじった程度でわかったと思うほど、法律学の歴史も内容も浅くはありません。感性と理性との間を結ぶ悟性こそ、意匠法の理解及び意匠の類否判断に必要な思惟能力であり、悟性に基づいた文章こそが読み手に説得力を与えるのです。
 

 

3.意匠の要部の把握

 われわれは、意匠の鑑定において意匠の類否判断をしますが、その仕事の第一歩は、まず登録意匠の実体を全部知ることから始まります。即ち、登録意匠の実体を、意匠権者の立場でも、被警告者の立場でも、よく把握することなしには、先に進むことはできないのです。
 その実体の把握とは、先願登録主義を採るわが国意匠法においては、出願日を基準とした登録意匠の創作度合の把握であります。そのためには、出願時に存した公知の意匠の中に登録意匠を置き、これらとの相対的関係を把握し、このようにして把握した創作体が登録意匠の要部ということになるのです。したがって、特に創作性が認められる要部以外の部分は、意匠法が保護する登録意匠にとっては本来、没価値なものとなります。(8)
 そこでは、正に感性の表象から対象を論理的に構成する思惟能力が試されるのであり、その結果が悟性的判断となるのです。そして、この論理的構成に基く判断だけが、相手方ないし第三者をして説得することができる意匠の類否判断となるのです。
 もちろん、論理的構成といっても、矛盾律に支配されているような論理的構成では説得力はないし、1人の人間において理性と感性とが十分機能していなければ、結果として妥当な意匠の類否判断をするキャパシティがないことになります。
 登録意匠を公知意匠の中に置き、それらとの相関関係を明らかにする作業と同時に行うべき作業は、イ号意匠も公知意匠の中に置き、 それらとの相関関係を明らかにすることであります。そのような対比の思考作業から、自由意匠の抗弁論も生まれるのです。(9)自由 意匠の抗弁は、登録意匠に対する全部公知の主張であり、登録無効に通ずるものですから、公知形態を部分的にしか含まない登録意匠に対しては通用しません。この考え方は、自由技術の抗弁や公知技術の主張をめぐる特許発明に対する場合と同様であります。
 

 

4. 最後の仕上げは感性で

 このような悟性的判断によって抽出された各意匠の要部とは、真に保護されるべき意匠の創作体ですから、この要部どうしを対比することになります。しかし、この要部の対比だけで終るべきではありません。最後の仕上げは、その各要部を感性をもって見て感ずることであり、没価値と評価された周囲の周知公知の形態との関係を見直して見ることです。これが全体的観察であり、最後は再び感性によって両意匠から受ける印象が共通するか否かを見ることであり、その結果が「類似する」意匠か否かという判断となります。
 

 

む す び

 すでにおわかりのように、意匠法の特殊性とは、他の工業所有権法の対象や著作権法の対象とは違う特殊な対象を保護する法律であることを意味します。即ち、前記したように、その保護対象である「意匠」は、人間の理性と感性の両領域にまたがる物体であり、このいずれの領域の能力をも安定的に具備していることが、意匠法に関係する者に要求されるのはもちろんのこと、この両領域を結ぶ悟性による論理的思考能力の具備が要求されるのです。
 これが、意匠法や意匠を難しいものとし多くの人が敬遠し勝ちとなる特殊性であります。にもかかわらず、もし噛みついて離さなければ、特許権や商標権の鑑定では味わうことのできない醍醐味をよく味わうことができるでありましょう。
 ここで述べたことは、意匠法について長年考えてきた筆者の思想の一端であり、私論です。したがって、これに対する皆様の異見を聞きたいものであります。
 

 

(1) 改正意匠法は、物品をカッコ書きにより「物品の部分を含む」と規定したが、その意味は、用途と機能等から成立している物品はそれぞれ物品を成立させているためのいくつかの属性を具備しているところ、そのような属性を部分といい、その属性部分についての形態的創作が保護対象となるものであると考えることが妥当である。ところが、特許庁の“運用基準”によると、初めに形態ありきであり、物品の属性部分の画定は無視されている。これは、物品の部分を物品に準じて保護することにした意匠法2条1項の意匠の定義規定の立法趣旨に反すると思う。このような“運用基準”の考え方は、意匠法による意匠の定義を離れ、物品の部分ではなく、物品上の任意箇所における形態部分を保護する考え方である。  なお、米国特許法には、「意匠」についての定義規定がないから、わが国の“運用基準”に対するような疑問は起らない。即ち、物品の属性部分と無関係に形態部分を保護対象とすることに異論はない。

(2) 特許法2条1項において「発明」とは、 「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と規定され、 実用新案法2条1項において「考案」とは、「自然法則を利用した技術的思想の創作をいう。」と規定される。しかし、後者においては、「物品の形状、構造又は組合せ」は、考案の成立要件と解すべきである(実1条)。

(3) コンピュータープログラムは専ら左脳作品といえるが、自然法則を利用した技術的思想の創作とはいえないから、特許法の 「発明」の対象とはならず、学術作品として専ら著作権法の保護対象となっている (著2条1項10の2号、10条1項9号)。プロ グラム自体を特許法によって保護するためには、「発明」の定義を変更する必要があることは、多くの論者が指摘しているところである。

(4) 例えば、作曲家の小林亜星さんは、“望郷のバラード”で有名なバイオリニストの天満敦子さんについて、「私は天満さんの演奏を聴く度に、メロディーに生命を与えることのできる真の天才を見る気がします。しかもそれが、大らかな知性と完璧な技術という左脳に支えられているのです。」(CD天満敦子「旅人の詩」解説より)と書いている。

(5) 美の自律性と他律性については、拙著 「意匠法の研究」(四訂版)32頁を参照されたい。

(6) 東京新聞夕刊1999年3月20日1頁「放射線」 欄

(7) 意匠の類否判断の普遍的基準の定立については、拙著「判例意匠権侵害」22頁以下に詳しい。

(8) この考え方を裏付けるものとして、例えば、東京高裁による明確な判示がある。  「意匠権侵害訴訟において、意匠権の効力が侵害対象にまで及ぶものかを判断するに当たっては、当該意匠権に係る意匠が、公知意匠に示される当該意匠分野における従来意匠の水準との関係でどの程度意匠的創作として法的に保護すべき寄与があるかを客観的に評価してなさなければならない。創作的寄与の大きい意匠は、その小さい意匠よりも、法的保護を厚くしなければならず、その類似の範囲も広く認めるべきである。意匠登録がされている意匠といっても、その創作的寄与の大小はさまざまなものがあることは、当裁判所に顕著な事実である。単に、意匠登録がなされていることを理由に、すべての分野において、また、すべての登録意匠について、その類似の範囲を同じに取扱うことは、意匠権の効力を受ける国民全体の利益との関係で、意匠権に適切な保護を与えるべき法の目的に反するというべきである。」(東京高裁平成5 年(ネ)144号平成6年11月30日判決「自動車 用ホィール」事件)

(9) 東京地裁平成5年(ワ)17437号平成9年4月 25日判決「ゴム紐」事件(知的裁集29巻 2号1頁)。牛木「公知意匠に酷似する登録意匠の効力」日経デザイン1997年9月号 92頁