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2015年7月1日



 
近 況 雑 感

今年は、わが国が米国等を相手に戦争した太平洋戦争が終了して70周年に当たるとして、東京その他で戦没者慰霊祭などの行事が行われたり、いろいろな人々による体験談が発表されたり、体験記が発行されたりしていますところ、米軍による艦砲射撃や機銃繰射ばかりでなく、地上戦が行われた沖縄本島をめぐる戦争についての展示会が、浅草公会堂の展示ホールで6月18日〜21日に開催され、また6月20日(土)・21日(日)には3階小ホールで、2人の沖縄戦体験者による「証言会」が開かれましたので、私は主催者である戦場体験放映保存の会の1人を偶然知っていたので、2日とも出席し、各1時間極めて貴重な話を聴きました。

 6月20日の中山きくさん(86才)の体験談は、当時、沖縄県南部の糸満市にあった県立第二高等女学科校が「白梅学徒隊」の名で、地上の沖縄戦における女子学徒隊として活躍したが、当時沖縄戦における女子学徒隊は、他に「ひめゆり学徒隊」(女子師範・県立第一高等女学校)、「なごらん学徒隊」(県立第三高女),「ずゐせん学徒隊」(県立首里高女),「積徳学徒隊」(私立積徳高女),「梯梧学徒隊」(私立昭和高女),「宮古高女学徒隊」(県立宮古高女),「八重山高女学徒隊」(県立八重山高女),「八重山農高学徒隊」(県立八重山農女)の計9つの部隊が存在していたとの話がありました。沖縄戦当時、県立第二高女の4年生56名は第24師団第一敗戦病院の補助看護婦として勤務中、地上戦に巻き込まれて22名が戦没したそうで、奇跡的に生き延びた自分は「生きているのが申し訳ない」と思い続けてきたという。また、昭和20年6月4日に病院長から、「薬品も包帯もなくなり、病院の機能が果たせなくなったし、4月1日には米軍が本島中部の西海岸から上陸し、首里も占領された」から、病院閉鎖と解散命令を受けたという。その後、中山さんは友人2人と地理不案内な南部一帯を約1か月彷徨し、奇跡的に生き延びたということです。

 また、6月21日の金城国弘さんは当時6歳で、糸満市与座で生まれましたが、米軍は昭和20年4月1日に北谷,読谷村海岸から上陸して、地上戦が展開され、北方と南方に進行したが、金城さんの家族は1人も怪我なく収容所に無事連行されたということです。

 また、展示ホールには地上戦で犠牲になった人々や軍人等の焼死体や惨害の写真が多数展示されていましたが、絵画よりそのリアルさがすごいことは言うまでもありません。

 さらに、戦後70周年の今年9月20日(日)には、日比谷公会堂で、「戦後体験証言集会とシンポジウム」が開催されますが、これには平均年齢90才以上の元軍人が6人も「語らずに死ねるか!」として登場されます。

 

2.ところで、前記「沖縄戦展」の会場では、いろいろな書籍が販売されていましたが、その中に自費出版的な2冊の小冊子を私は買いました。(1)島袋文子著「私の戦争体験」(2014年)、(2)嶺井巌著「初年兵として体験した沖縄戦の現実」(2008年)ですが、そのうち前者の題号には、「地獄のような沖縄戦を生き抜いて」の副題がついていたとおり、凄惨を極める実話がちりばめられていた中で、私は特にすごい文章を見出したので引用します。

 「戦争は、軍部だけを殺すんじゃない。罪のない住民を殺すのだから。昔は、天皇陛下に命をささげなさいということで教えられていたから、私たちは天皇陛下を神様と思っていました。でも、天皇陛下は神様でのなんでもない。今私が考えると、犬畜生だと思っています。」(11頁) これは、天皇の戦争責任をアピールしていると言っても過言ではありません。

 この引用文は、辺野古から来た糸満生まれの85才の島袋文子さんが、2014年3月14日に行われた「国際婦人デー記念のつどいのお話」の一部となっています。

 私は本当は、島袋さんの12頁で全部の告白書をここに転載したいと思いましたが、それでは引用にならないし、著作権侵害を起こすことになるので、それはしません。しかし、そこには彼女が体験した沖縄の悲劇の真実が語られているのです。

 

現在、わが国の国会では、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案をめぐり、茶番劇が繰り返えされていますが、歴代の内閣法制局長官2人から違憲法案の指摘を受けていることが6月23日付朝刊には報道されています。その中の阪田雅裕氏は2004〜06年に、宮崎礼壹氏はその後の2006〜10年であり、現在最高裁判所の裁判官をしている山本庸幸氏は宮崎氏の次の長官であり、現在の横畠法制局長官は山本氏の後任です。野党推薦の阪田,宮崎の2人はともに違憲の意見を述べています。しかし、与党推薦の2人の大学教授は違憲性はないと主張していますが、その理由を聞くと、極めて曖昧で説得力に欠けています。そして、横畠現長官は、その立場上、苦しみながらも現政権寄りの解釈をしています。

 しかし、内閣法制局の初代長官の故佐藤達夫先生や元成蹊大学教授の故佐藤功先生が現政権を見たら、なんと批判することでしょう? 私はありがたいことに、両先生から大学時代に日本国憲法の生い立ちと本質を教わりました。わが国の憲法第9条は、そのまま「国連憲章」に導入してよい最高法規なのです。

 そして、もし今日、ノーベル平和賞を与えるとすれば、わが国を代表して公布当時の内閣総理大臣故吉田茂がよいでしょうか。

 

今年の日本マンガ学会の総会・大会が6月27日・28日に広島市中区の広島市国際青年会館にある「JMSアステールプラザ」で開催されましたが、その中で注目すべき行事については8月号で紹介することにします。私は、今年からこの学会の理事になりましたので、いろいろと多忙でしたが、楽しい日々を過ごすことができました。広島が舞台であったことから、シンポジウムでは中沢啓治著「はだしのゲン」の多面性というテーマで、第1部戦後・ヒロシマ・マンガ、第2部マンガ家が読む「ゲン」の戦争が議論になりました。これには、マンガ家として、近藤ようこ,おざわゆき,こうの史代,西島大介の各氏が参加し発言していましたが、いずれも戦後生まれの非体験者であり、戦争や原爆や広島は題材としてとらえている立場でしかなく、戦争に対する批判的な目的で創作している者ではありません。

 

今月の「裁判例研究コーナー」では、次の5件について紹介します。

 

(1)登録商標「Admiral」取消審判不成立・審決取消請求事件:知財高

   裁平成27年5月13日(1部)判決<請求認容/審決取消>➡G−199

(2)登録商標「SENTCOMEX」取消不可審判消請求事件:知財高裁平成

   27年6月9日(2部)判決<請求棄却>➡G−200

(3)「PBPクレーム」特許権侵害差止請求事件:最高裁平成27年6月5日(二

   小)判決<原判決破棄/差戻>➡E−8−1

(4)「PBPクレーム」特許権侵害差止請求事件:東京地裁平成23年7月28日

   (民47部)判決<請求棄却>/知財高裁平成24年8月9日(1部)判決<控

   訴棄却>➡E−19

(5)「PBPクレーム」特許権侵害差止請求事件:最高裁平成27年6月5日(二

   小)判決<原判決破棄/差戻>➡E−19−1

 

 ◎私が6月1日号で紹介しましたD−94−1の「幼児用椅子」の知財高裁

 判決に対する私の結論は、反対ということです。意匠と著作物との本質的な

 関係をいろいろ考えるには格好な事案であったかも知れませんが、知的財産

 権制度における意匠法の存在意義を考えるならば、それを否定するような判

 決は誤りというべきだからです。今回、私は、その旨を当該事件の論評で明

 らかにしておきましたので、ご確認下さい。

 

 

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