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2015年11月1日



 
近 況 雑 感

〔 特 報 〕

  〔裁判例研究コーナー〕の「F−54」に係る「登録商標「湯とぴあ」商標権侵害

 行為差止等請求事件」の控訴審の知財高裁(4部)の判決言渡しが11月5日にあり、

 「原判決の敗訴部分を取消す。」となりました。私が論説した問題点が追及され、原

 告の主張が認められました。(11月6日記)

 

新聞は毎朝、毎夜見て読むものだとつくづく思います。なぜなら、その記事の中には、昔知っていた人の名前や顔が出てくることがあるからです。

 私は、本欄の今年9月1日号で、当時東大生だった樺美智子さんの名前を出しましたが、朝日新聞の10月8日(夕刊)2頁の「テレビ60年をたどって]」の欄に、1966年から放送が続く日テレの演芸番組「笑点」で三遊亭楽太郎(現円楽)さんが、番組の中で「きょうは忘れてはいけない日です。(60年安保で)樺美智子さんが亡くなった日です。」と、発言したことを永六輔さんが指摘し、「落語家はバカなことを言って笑いをとるだけじゃなく、ジャーナリズム精神があって、時に鋭いことを言うんだよね。」と、言っているのを読みました。それほど、60年安保闘争で国会議事堂前で犠牲者を出した衝撃的な事件を、今でも多くの日本人は忘れていないのです。

 

ところで、10月17日(土)午後に日比谷公会堂で、「被爆 広島・長崎は何だったのか?」という催しが、被爆70年のつどい実行委員会の主催で開かれました。呼びかけ人の中には、小林節慶応大学名誉教授や早乙女勝元作家で東京大空襲戦災資料センター館長にまじって山田洋次映画監督などもいます。

 当日は、第一部にはメーン企画として、構成劇『広島・長崎はなんだったのか?』が文学座と俳優座の役者ら4人で演じられた後、「原爆」を背負い続ける被爆者2人の証言があり、第二部は合唱後、10人の方々のリレートークが行われた中で、空襲被害者等連絡協議会顧問の安野輝子さん(75)が発言されました。彼女は、予定の杉山知佐子さん(100)が体調不良のため身代わりとなったとのことです。また、政治家の柿沢未途さんは空襲被害者等の補償問題について立法措置による解決を考える議員連盟事務局長として出席され、立法化の必要性を訴えていました。

 また、登場した弁護士の端慶山茂さんは現在、沖縄・民間戦争被害者の会の顧問弁護団長をされています。

 その他、沖縄在住で日本青年団協議会会長の照屋仁士さん、広島平和公園ガイドの村上正晃さん、全日本教職員組合青年部事務局長の阿部のぞみさん、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の吉村優子さんは祖父が長崎で被爆した3世ということです。

 この中で期待したいのは、国会で議員立法として成立したい前記補償法ですが、国会議員は選挙の当選に左右されますので、議員数は常に一定していないのが残念です。空爆によって被災して失った国民の生命,財産に対する国家補償の訴訟において民事裁判所は、勝訴するためには立法化が必要なことを示唆いるのです。

 この国家補償は、原爆死沒者に対し償いをすることとすべての被爆者に対して償いをすることの2つの内容があり、原爆死沒者の遺族に対する弔慰金や特別給付金の支給と、すべての被爆者に対する手当の支給や被爆者の治療・療養及び介護を、すべての国家の責任において行うことなのです。

 

抜き取っていた朝日新聞に今年7月13日(月)夕刊記事がありました。その社会面のトップに「安保法制反対声上げる大学生」の見出しで、「SEALDs シールズ」の中心人物、奥田愛基(23)くんのことが出ており、「原点は元戦犯との出会い」ということでした。彼が島根県の小さな全寮制高校の2年生の時に、平和学習の授業に横浜からやって来た飯田進(92)さんの話を聞いたという。飯田さんは、ニューギニア戦線で住民らを殺害した罪に問われた元BC級戦犯だったのです。

 戦後、連合国による戦犯裁判で死刑を求刑されましたが、判決は重労働20年。巣鴨に収監された時期を含め服役は計10年間に及んだという。飯田さんが奥田くんに語った言葉の中に、「正義の戦争はあり得ない」ということです。先の安保法制に反対のメッセージを叫ぶ奥田くんには、飯田さんのような戦犯者全員に会って話を聞くことによって生まれた戦争への怒りがあのような行動に走らせているのです。

 

10月27日(火)付の朝日新聞社会面38頁に「惜別の歌」作曲という見出しで、藤江英輔さん(90)が、10月14日に死去されたとの記事が出て、「中央大学予科生だった1944年、召集令状を受け取った学友のために、島崎藤村の詩にメロディーをつけて『惜別の歌』を作曲した。今も中央大学の卒業式で歌われ、小林旭さんのヒット曲としても知られている。」とあります。法学部に入学前の20才頃で、自分には召集令状がまだ来ていなかった頃のようです。藤江さんが、藤村のあの詩を作曲されたのも、藤村の詩を彼がよく知っていたからでしょうが、親友が兵隊となって外地へ行かねばならない淋しさがそうさせたのでしょう。戦争は人間同士の殺し合いですから。

 「惜別」といえば、福島菊次郎さんという報道写真家が9月24日に94才で死去されたとの記事が、朝日新聞(夕刊)10月31日(土)号に掲載されていました。同記事によると、山口県下松市に住んでいた福島さんは、広島の中村杉松さんの自宅に写真撮影のために通っていたが、中村さんは被爆者で、「わしの仇をとってくれ」と、福島さんにたのみ、原爆症の発作で悶絶する様子や自殺をはかった傷痕に、約10年間カメラを向けたということです。その福島さんは、初の写真集「ピカドン ある原爆被災の記録」で、日本写真批評家協会特別賞を受賞されています。

 福島さんの原点は戦時中にあり、広島の部隊に召集された1945年夏、原爆直前に本土決戦に向けて宮崎県の日南海岸へ、爆弾を背負い戦車に飛び込む訓練をしていたさなかに終戦とのことです。「安倍政権が憲法を変えるようなことがあれば、命を懸けても反対する。」と言っていたそうです。

 

 

今月の「裁判例研究コーナー」では、次の6件について紹介します。

 

(1)登録商標「  」不使用取消審決取消請求事件:知財高裁平成27年

   8月3日(3部)判決<請求認容/審決取消>➡G−204

(2)登録商標「京都赤帽」無効審決取消請求事件:知財高裁平成27年9月15日

   (2部)判決<請求認容/審決取消>➡G−205

(3)出願商標「桃苺+図形」拒絶審決取消請求事件:知財高裁平成27年9月16

   日(3部)判決<請求棄却>➡G−206

(4)錦絵写真の無断複製等損害賠償請求事件:大阪地裁平成27年9月24日(21

   民部)判決<請求棄却>➡D−106

(5)業務委託契約違反・不競法違反損害賠償請求事件:東京地裁平成27年9月

   30日(民40部)判決<請求認容>➡C2−32

(6)登録商標「ヨーロピアン」不使用取消審決取消請求事件:知財高裁平成27

   年9月30日(1部)判決<棄却>➡G−207

 

 10月号の本欄の「裁判例研究コーナー」の紹介で、登録商標「PITAVA」事件のEF事件判決はそれぞれ控訴されていましたが、いずれも控訴棄却の判決が知財高裁から出ました。〔E 平成27年(ネ)10073号.平成27年10月22日(2部)判決。F 平成27年(ネ)10074号.平成27年10月21日(3部)判決〕

 

   

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