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2014年9月1日



 
近 況 雑 感

私は本欄の8月1日号で、8月15日を「終戦記念日」ではなく「平和記念日」を呼びたいと書いたが、正確には「平和祈念日」と書く方がよいだろうと、当日発行の一般紙に、政府広報として発表された厚生労働省の広告で思った。当日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で行われ、天皇・皇后両陛下も参列された。この広告には「戦場や戦禍に倒れ」とあるから、兵隊員ばかりでなく、米国軍の空襲によって犠牲となった多くの一般国民も含まれていることがわかる。

 また、8月15日早朝のNHKラジオ深夜便の午前4時からの番組には、昭和20年3月25日の名古屋空襲で被害を受け、生命は助かったものの、左目を失った杉山千佐子(98歳)の体験談があった。今月は99歳の誕生日のお祝いの会が名古屋で開かれるそうである。

 

2.ドイツの哲学者Martin Heidegger(1899〜1976)の名前を知っている方は多いだろう。その代表的な作品は“Sein und Zeit”(「存在と時間」1927年)であるが、私は、かつて理想社から発行されていた「ハイデッガー選集」のうち、まず第1回配本の「形而上学とは何か」(増訂版・大江精志郎訳 1954年刊)を学生時代に読んでいることが、今回本文を書くに当たって見ていると、いろいろな書き込みがあることでわかる。

 また、大学2年時には、一般教養のドイツ語の授業で教師から、何でもよいからドイツ語原本を読んで、その内容の要訳と感想を書けという宿題を出された時、神保町の古書店でハイデッガーの“Der Feldweg”(野の道)という7ページの短文集を見つけたので、それを訳して提出したが、この本は後日、前記選集の第8回配本で高坂正顕訳で1960年9月に刊行されている。この本から私は、人間としての生命や大自然のことについて考えさせられたことを覚えている。

 私はまた、かつて「意匠法の研究」(発明協会・初版 1974年刊)の基礎篇となる「インダストリアルデザイン―その美と保護の研究」(パテント 1967年9月号〜1968年3月号連載)を書くに当たって、ハイデッガーの第12回配本の「芸術作品のはじまり」(菊池栄一訳 1964年刊)を読んで、カントの「判断力批判」(天野貞祐訳・岩波書店)とは違う観点から論じている芸術作品の本質について考えさせられたものである。

 私が、なぜ長々とハイデッガーのことを書いたかといえば、近年のハイデッガー研究者として著名な哲学者・木田元中央大学名誉教授が8月16日に85歳で死去されたことを知ったからである。かつて私は、木田先生が哲学原書を読む会を公開されていることを知った時に、ぜひお会いしたいと思っていたが、それはかなわなかった。1927年生まれの木田先生は、奇しくもハイデッガーとはほぼ同年齢まで生きておられた。

 木田先生は山形県鶴岡市の出身となっているが、公務員の父親の赴任地である新潟市で出生し3歳まで在住していたという。これよりも私の関心は、私の学生時代の恩師である哲学者の斉藤信治先生が山形県酒田市の出身で、やはり東北帝国大学の卒業生であったという2人の関係である。斉藤先生は、実存哲学の元祖といわれているゼーレン・キエルケゴールの「死に至る病」(岩波書店)の訳者で著名な方であるが、私は個人的には、法学部2年時の一般教養でとった西洋哲学で斉藤先生の講義を受け、4年時には斉藤先生が大学院修士課程で開講するカントの「実践理性批判」についての講義を聴講する許可を与えられ、前期間毎週出席していたのである。この批判はカントの法哲学書であったが、法哲学は、私がもし大学院に進学していたならば専攻しようと思っていた法分野であったから、カントの法哲学は、私が各種の知的財産権問題の本質を考える時の教訓となっている、と今でも思っている。

 木田先生はその後、同大学で助教授として教鞭をとられ、斉藤先生のあとを襲って教授になられた。木田先生の死を機会に、もう一度著書「闇屋になりそこねた哲学者」(晶文社 2003年)を読んでみようと思う。闇屋といえば、以前にも紹介した映画や小説の「火垂るの墓」の原作者野坂昭如さんも、焼け跡市派の作家として一世を風靡したが、今のところまだ元気のようである。

 また、木田先生の実父は満州国の地方長官をされていたといわれてるが、本欄の8月号で紹介した渥美東洋さんも実父が満州国の官僚であったことを紹介したことが偶然に一致する。そして、いずれもソ連軍が攻め込んでくる前に逃げて帰国されたようである。

 ちなみに、斉藤信治先生は昭和33年頃、「若き日のカール・マルクス」という論文を発表され、マルクスの共産党宣言の本質に存在するものはヒューマニズムであることを書かれていた。斉藤先生とは、私が弁理士試験合格後、帰郷して新潟市の父の特許事務所に就職した後は、新潟から近いことから、ある年の夏休みに酒田市へ行って、最上川の川口近くで港にも近い斉藤先生の自宅に出かけ、哲学の話をしたりして、地酒をごちそうになった思い出がある。 (地酒は、山形産の「初孫」であることを思い出した。)

 

私は、もう1人の有名人の名前を挙げたい。劇団民芸の宇野重吉門下の米倉斉加年さんが8月26日に80歳で死去されたが、米倉さんは絵本作家としても有名な俳優であり、小学校の教科書にも採用されているという。私も絵本というものには興味があるので、一度彼の絵本を読んで見たいと思う。

 

 

4.今月の「裁判例研究コーナー」では、次の5件について紹介する。

 

(1)「渋味のマスキング」特許無効審決取消差止等請求事件:知財高裁平成26

   年3月26日(2民部)判決<審決取消>➡I.2−7

(2)「スピネル型マンガン酸リチウムの製造方法」特許無効審決取消請求事件:知財高

   裁平成26年7月9日(2部)判決(認容/審決取消)➡I.2−8

(3)「水準器」特許権侵害差止等請求控訴・同附帯控訴事件:知財高裁平成26年7月14日

   (2部)判決<控訴棄却/付帯控訴原判決の変更>➡E−14−1

(4)登録商標「ランドリータイム」登録取消審決取消請求事件:知財高裁平成26年7月17

   日(3部)判決<認容/審決取消>➡G−188

(5)出願商標「ネットワークおまかせサポート」拒絶審決取消請求事件:知財高裁平成

   26年8月6日(4部)判決<請求棄却>➡G−189

 

 

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