USHIKI INT'L PATENT OFFICE


 


 
2010年8月1日


 
近 況 雑 感


1.私は、長年、弁理士を職業としている者ですから、種々様々な新技術の特許出願や実用新案登録出願、新デザインの意匠登録出願という創作に関する分野のほかに、自他商品や役務を識別するための目印である商標登録出願という非創作に関する分野の仕事も数多く扱って来ました。(人は、この法分野を工業所有権又は産業財産権と呼ぶが、広く知的財産権と呼ぶことは、著作権が含まれない限り、誤りです。)

 その中で、「MOSRITEモズライト」というエレキギターの商標をめぐっては10年以上になるから、付き合いが長い。特許発明や登録意匠は、メーカーが頑張って生産しても、その技術やデザインの利用者がいなくなれば、存続期間中であってもその製品や装置の寿命は終わりになるが、商標の場合は、商標の有する商品への品質や効能の保証機能から、利用者は商品上の目印を見て信用し購入する限り、その商品の寿命は続くことになります。

 さて、「MOSRITE」や「MOSRITE of California」という商標は、セミー・モズレー(Semie Moseley)という米人が製作したギターに命名し、かつて「ザ・ベンチャーズ」の一員であったノーキー・エドワーズというギターリストがまず採用し、その後他のメンバーのボブ・ボーグルとドン・ウィルソンが採用し、それを1965年1月の初来日時に使用して公演したことから、そのエレキ音の質量が、他のエレキギターを超越し、エレキギターの「モズライト」は有名になりました。

 しかしながら、その後は、セミー・モズレーの会社は何回か倒産したり、日本における登録商標は更新されずに消滅し、アカの他人である日本のK社によって登録されてしまったことが、そもそもの事件の始まりでした。

 そのK社が、米国カリフォルニアのS社に製造依頼して輸入していたモズライトギターの当方の依頼者F社に対し、商標権の侵害訴訟を1996年6月1日に東京地裁に提起したのです。これに対し、F社は全面的に争うとともに登録無効審判の請求をした結果、勝訴しかつ登録商標は無効となりました。(裁判例コーナー:F−4参照)

 その後、この商標は、F社が出願したところ登録となったことから、こんどはF社がK社に対し、商標権侵害訴訟を提起したところ、これに対しK社はF社に対し登録無効審判を請求しました。その結果、登録商標には無効性があることを理由にF社は敗訴しかつ登録無効の審決が出たのです。(同:F−18参照)

 ところが、その後、この両者に割り込んで来たのが、故セミー・モズレーの四番目の妻Lでした。

 1935年6月13日生まれのセミー・モズレーは、ロレッタ・キスバートとカーソン・シティ(NV)で1980年2月15日に結婚しました。彼は、1992年8月7日に死亡したことから、モズライトギターの製作は絶望となりました。しかし、1992年4月から再起したアーカンソー州ブーンビルのユニファイド社におけるギター製作の継続を可能にしたのは、F社による製作技術面と経済面からの全面的な協力であり、F社の代表者Yが現地の工場に入って、直接、町起しのために設置された工場に集まった素人工員に製作技術を指導して生産ラインを稼動し、そこで製作された全製品はF社が買い取っていたのです。その時には、セミー・モズレーの一番目の妻Vとの間の長女Dは、すでに実父からエレキギターで使われる電磁コイル巻きの技術を習って製作に従事していましたが、Lにあっては製作に全く関知せず、名目上の社長であっただけです。

 そのLが、不使用取消しの審判を請求されずに残っていた登録商標第20151

01号(1988年1月26日設定登録)に係る商標“SEMIE MOSELEY”というセミー・モズレー名義の商標権を、彼の死亡16年後の平成20年(2008年)7月11日に、相続権を行使してLに移転したのです。これに対し、F社は登録商標の不使用取消し審判請求をしたのが、平成21年2月16日でした。

 この事件の高裁判決については、「G−96」で紹介していますが、請求棄却の高裁判決に対して不服請求した最高裁への上告事件と上告受理申立て事件は、前者については上告棄却、後者については上告審不受理の決定が平成22年7月8日になされたことをお知らせしておきます。

 

 

2.さて、今年も8月1日の夜がやって来ました。

 1945年(昭和20年)のその日は、国民学校の夏休みが始まった日で、暑い一日の夜、私は灯火管制下の蚊帳の中で寝ていました。いつもと違う空襲警報のサイレンが鳴り響いたかと思ったら、B29の爆音と木造建築物の焼却に有効な油脂焼夷爆弾の投下で始まった長岡市への空襲は、全市を2時間のうちに焼き尽くし、多数の市民の生命を奪ったのです。

 ここで投下されたM19という集束焼夷爆弾(Incendiary Cluster)は、重量3kgの六角形の子弾が38個束ねられたナパーム弾で、空中で信管が作動し、集束されていた38個の子弾が散開し、大火災を引き起すとともに酸欠状態を引き起す殺人爆弾なのです。

 この夜、わが国では、富山市、水戸市、八王子市と長岡市の地方都市が空襲されているけれども、長岡市の場合は格別な出来事がその前にあったのです。7月20日朝に郊外の左近(サコン)という所に落下された爆弾こそは、8月15日に新潟市に落下する予定となっていた原爆の模擬爆弾だったということです。あの日から今年は、満65年が経ったのです。

 この日、長岡では「ながおか平和フォーラム」が開催され、第1部は「長岡空襲紙芝居・思い出の記」で、新潟ひょうしぎの会の今井和江さんの語りが、第2部は「長岡空襲を語り継ぐために」で、3人の中高学生と1人の戦災体験者と長岡戦災資料館館長らの議論が、第3部は「平和の捨て石−長岡大空襲の意味を探して」と題した後藤文雄カトリック教会牧師(長岡出身)の講演でした。

 いずれも長岡大空襲という一般市民に戦争の犠牲を強いた事件が生の声で語られていたし、それによってわれわれ聴衆は大きな感動を受けたけれども、それ以上に展開する話はありませんでした。

 私が思うそれ以上の展開とは、東京や大阪を初めとして大中都市への米軍機による大量の焼夷弾による大爆撃を許したわが国政府の法的責任問題です。換言すれば、東京地裁が平成21年12月14日に出した請求棄却の判決は、東京大空襲に対する遺族らの原告計131人に対するものでしたが、この問題は、生命や財産を失わざるを得なかった全国の戦争犠牲者を救済する運動に拡大することができるのであり、この運動は現在発展しつつあります。ただこの問題は、前記地裁判決が示唆しているように、補償等に関する立法が必要となるから、その方への政治運動が、われわれにはこんご必要になってくるのです。これは、原爆被害者や海外抑留被害者と並んで、戦争を引き起して中止しなかったわが国政府に対する戦争責任の追及を意味します。

 

 

3.今月の裁判例コーナーでは、次の2件を紹介します。
(1)登録意匠「ゴルフボール」無効審決取消請求事件:知財高裁平成22
   年6月30日判決<請求棄却>→B2−14

 

(2)登録商標「ECOPAC」不使用取消審決・取消請求事件:知財高
   裁平成22年7月28日判決<棄却>→G−104
   

 

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牛 木 内 外 特 許 事 務 所
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