第1−3

 

公知意匠等との関係における意匠権侵害訴訟事件

牛  木  理  一

 


はじめに
1.「建物用扉の把手事件」の判決
2.「ゴム紐事件」の判決
3.新規性欠如の登録意匠の範囲
4.創作力欠如の登録意匠の範囲
5.学説等
むすび
 

 

はじめに

 この数カ月の間に、登録意匠が含む公知性を理由として請求棄却の判決をした二つの注目すべき訴訟事件が、一は大阪地裁で、他は東京地裁であった。前者は「建物用扉の把手」に関する意匠権侵害事件(大阪地裁平成6年(ワ)6969号平成8年12月24日判・一棄)(1)、後者は「ゴム紐」に関する意匠権侵害事件(東京地裁平成5年(ワ)17437号平成9年4月25日判・棄)(2) である。
 「建物用扉の把手」事件において裁判所は、「原告は自ら、本件登録意匠(一)に類似する本件類似意匠(一)2に係る扉の把手の掲載された原告カタログを本件登録意匠(一)の出願日より相当前に頒布して自ら無効事由を作出しておきながら、本件登録意匠(一)について意匠登録を受けたのであるから、本件意匠権(一)の侵害を理由とする原告のイ号物件に対する製造販売の差止請求と損害賠償請求は、権利の濫用に当たり、許されない。」と判示して、請求棄却の判決をした。 
 他方、「ゴム紐」事件において裁判所は、「権利成立上の瑕疵のある意匠権に基づく差止請求その他の請求を受けた相手方としては、意匠登録を無効とする審判の請求ができることとは別に、自己の実施している意匠が当該登録意匠との関係での公知意匠と同一あるいは実質的に同一であることを主張、立証し、当該登録意匠の範囲に含まれないという意味での請求権不発生の抗弁(これを名付けるならば「出願前公知意匠の抗弁」と呼ぶことができよう。)とすることができるものと解するのが相当である。」と判示して、請求棄却の判決をした。 
 そこで、本稿は、意匠権侵害事件において、被告が裁判所において登録意匠の公知性を主張し立証した場合に、わが国の侵害裁判所はどのような考え方に基いて請求棄却の判決をしてきたかについて、まず前記二つの侵害訴訟の判決を取り上げて検討し、その後に、わが国の侵害裁判所が採ってきた種々の考え方について論ずるものである。
 

 

1.「建物用扉の把手事件」の判決

1.1 事実関係
 原告は、意匠に係る物品「建物用扉の把手」について、昭和54年8月29日に意匠登録出願をし、昭和56年12月25日に設定登録した意匠登録第572561号にかかる意匠権の意匠権者である。本件登録意匠(一)の意匠権には、類似1号及び2号の意匠(昭和58年9月28日出願・昭和61年3月13日登録)の各意匠権が付帯していた。
 この本件登録意匠(一)の要部は、その二つの類似意匠を含めると、1.縦方向に長い握り部の上端及び下端を横方向に短く曲げて横曲げ部を形成し、2.上下両端の横曲げ部の端部を更に背面方向に短く曲げて取付部を形成し、3.握り部の中央部分がやや太径状に薄く隆起しているものであった。
 原告はまた、「扉の把手」について、昭和53年10月4日に出願し、昭和55年7月25日に設定登録した意匠登録第540987号の意匠の意匠権者でもある。本件登録意匠(二)の意匠権には、類似1号意匠(昭和53年10月4日出願.昭和57年2月25日登録)、類似2号意匠(昭和56年11月10日出願.昭和58年5月23日登録)、類似3号、4号及び5号意匠(昭和58年 3月17日出願.昭和61年3月13日登録)の各意匠権が付帯していた。
 被告は、平成5年12月からイ号物件及びロ号物件を製造販売している。

1.2 出願前公知の証拠 
 原告カタログ29号には「Printed 1978.2.20」との記載があるので、そのころ印刷されたものであると認められ、表紙には販売特約店として「K株式会社」との記載がある。カタログの発行の際、一般的に、カタログに印刷日として記載された日と現実に頒布された日との間に若干のズレが生じることのあるのは当裁判所に顕著な事実であるものの、右印刷日から一年半を経過した本件登録意匠(一)の出願日である昭和54年8月29日まで頒布されなかったものとは到底考えられないから、原告カタログ29号は遅くとも本件登録意匠(一)の出願日より相当前に頒布されたと認められ、これを覆すに足りる証拠はない。したがって、本件類似意匠(一)2は、本件登録意匠(一)の出願前に既に公知となっていたものという外はない、と認定した。

1.3 登録無効事由と権利の濫用
 類似意匠の意匠登録制度は、本意匠の類似の範囲を確認するものであるから、本意匠である本件登録意匠(一)の類似意匠として意匠登録を受けている本件類似意匠(一)2が本件登録意匠(一)の出願前に既に公知となっていた以上、本件登録意匠(一)の意匠登録には、意匠法48条1項1号、3条1項3号所定の無効事由のあることが明白である、と認定された。
 原告は自ら、本件登録意匠(一)に類似するとする本件類似意匠(一)2に係る扉の把手の掲載された原告カタログ29号を、本件登録意匠(一)の出願日より相当前に頒布して自ら右無効事由を作出しておきながら、本件登録意匠(一)について意匠登録を受けたものであるから、本件意匠権(一)の侵害を理由とする原告のイ号物件についての製造販売の差止請求及び損害賠償請求は権利の濫用に当たり、許されないといわなければならない、と判断された。
 したがって、イ号物件に対する請求は棄却されたのである。 
 しかし、ロ号物件に対しては、本件登録意匠(二)についての登録無効事由は存しなかったことから、請求は認容された。
 

 

2.「ゴム紐事件」の判決

2.1 事実関係
 原告Kは意匠に係る物品「ゴム紐」に関し、昭和60年2月9日に意匠登録の出願をし、審判請求の結果、平成4年10月28日に設定登録された意匠登録第859953号の意匠権の意匠権者である。本件登録意匠のゴム紐の構成態様は、特許庁に出願時に提出された現物見本によれば、1.基布の長さ方向の表面に3本の凸条部を有し、2.この凸条部間と両側に4本の凹部を形成し、3.凸条は3本とも同じ巾太さで、凸条間の2本の凹部は同じ巾太さであり、4.基盤部は1mm 厚の密の糸組織であり、5.凸条部は基盤部から0.8mm足らず突出し、6.基盤部の一方の端に近い部分に、トランクスに縫製する際に、上下の方向がわかるように基盤部とは色の異なる1 本の細い糸が入っているものである。
 被告の三社は、平成2年頃から業としてそれぞれ同一の構成態様のゴム紐を使用してトランクスを製造販売し、販売のために展示し、被告物件を業として使用した。被告各社の意匠はいずれも本件登録意匠の要部を具備し、酷似する意匠であった。

2.2 出願前公知の証拠
 これに対し被告らは、本件登録意匠は出願前公知の意匠であり、被告らの行為は「自由意匠」に属する意匠の実施であるから、意匠権侵害に当たらないと抗弁し、種々の証拠を提出した。
 この証拠のなかに、訴外U社が昭和45年10月に、西独(当時)のG社と各種ゴム紐のデザインや製法に関する技術提携契約を結び、昭和50年に契約解消をするまでに、各種のゴム紐見本を集めたサンプル帳があった。このサンプル帳は、U社が昭和58年の和議手続の一環として訴外S社にゴム紐卸売部門の営業を譲渡した際に移籍したE(証人)が本件サンプル帳を保管していた。
 このサンプル帳の中には、本件登録意匠の構成態様1.2.3.を備え全体が肌色をした品番6207号のゴム紐が含まれており、U社の営業部員による本件サンプル帳を示しての営業活動は昭和47年頃から同社の和議手続が開始されるまでの間続けられた。裁判所は、6207ゴム紐の意匠は本件登録意匠の出願前に、少なくとも紳士用肌着メーカーの担当者及びU社の営業部員を中心とする従業員の不特定、多数者に公然と知られていたと認定した。
 しかし、裁判所はこのサンプル帳の信憑性について、慎重に検討した結果、本件サンプル帳の体裁とその内容について改変などの作為があったとは認められなかったことから、6207ゴム紐の証明力を認めた。

2.3 公知意匠の抗弁と条理
 裁判所はまず、意匠法は、3条1項1号及び2号の意匠(「公知意匠」という。)及び公知意匠に類似する意匠については意匠登録されることがないこと、「逆から言えば、登録意匠の範囲には、当該登録意匠との関係で公知意匠及び公知意匠に類似する意匠は含まれないことを前提としているものということができる。」と考えた。そして、「実際の意匠登録出願に対する審査の過程で、公知意匠の存在又は出願に係る意匠が公知意匠に類似することが看過された結果、当該出願意匠が登録されるに至る場合があることは当裁判所に顕著であるが、そのような場合に、公知意匠の存在又は出願に係る意匠が公知意匠に類似することを理由に、意匠登録を無効とする審判を請求して意匠登録を無効とする審決を得られることは、権利成立の要件を本来具備しない意匠登録への対応として意匠法の予定しているところである(48条)。」と説示している。
 その上で、判決は、被告としては、成立に瑕疵のある意匠権に基く差止請求や損害賠償請求に対抗して前記登録無効の審判を請求することとは別に、裁判所において実施意匠が本件登録意匠との関係で公知意匠と同一あるいは実質的に同一であることを主張立証し、本件登録意匠の範囲に含まれないという意味での請求権不発生の抗弁をすることはできると判示した。
 その理由は、「意匠法3条1項は、登録意匠の範囲には当該登録意匠との関係での公知意匠及び公知意匠に類似する意匠は含まれないことをも規定したものと解釈することができ、これに意匠権の効力が登録意匠及びこれに類似する意匠に及ぶとの趣旨の意匠法23条の規定を併せ考えても、登録意匠の意匠権の効力は、少なくとも当該登録意匠との関係での公知意匠には及ばないというのが意匠法の条文の趣旨と解されるばかりでなく、実質的に考えても、公知意匠の存在によって無効事由があるのにこれを看過して登録された意匠権に基づいて当該公知意匠と同一の意匠の実施の差止請求等の請求を認容するのは、ものの道理に合わないからである。」と説示する。
 「ものの道理」とは、特許関係事件の判決で使われることは珍しく、法学上「条理」といわれるものであろう。しかし、判決は、このような理由によって、被告による公知意匠の抗弁を認めるにしても、「裁判所は、相手方(被告、債務者等)の実施している意匠が公知意匠と同一あるいは実質的に同一であることを認定して、当該実施意匠が登録意匠の範囲にも登録意匠と類似する範囲にも属さないことを判断するのであって、当該意匠登録が無効である旨判断するものでないことは当然である。」と、釘をさしている。即ち、この判示は、従来から存する権利当然無効論(3) に基く請求棄却の考え方を採るものでないことを明示したといえる。

2.4 全部公知の登録意匠の範囲
 そこで、裁判所は、被告意匠と公知意匠とを対比すると、凸条の基盤部からの突出高さに0.3mmの差異があることと、基盤部の一方端に近い部分に基盤部と色の異なる1本の細い糸が入っているかいないかの違いがあるだけであるから、このような相違が看者の美感に与える影響はきわめて小さく、両意匠は実質的に同一であると認定した。その結果、被告意匠はいずれも本件登録意匠の範囲に含まれないものであると認定され、請求は棄却されたのである。
 現在、わが国の侵害裁判所と特許庁との関係は、裁判所が登録意匠について登効の蓋然性を抱いていたとしても、登録無効を判断することは許されない制度となっている。しかし、被告らは、本件登録意匠に対し平成5年4月30日に登録無効審判を請求しているが、判決当時まだ審決はなされていない。(一審判決は控訴された。)
 

 

3.新規性欠如の登録意匠の範囲

 意匠権者が意匠権侵害者に対し警告したり差止請求訴訟を起したりしたときに遭遇することは、その登録意匠に対して出願前公知意匠の証拠資料をつきつけられることである。その証拠の中には登録意匠と全面的に同一又は酷似の意匠があることは殆んどなく、いわゆる類似であるか、又は部分的に同一又は類似のものである場合が多い。被告は登録意匠に登録要件である新規性の欠如を指摘し、意匠権の効力の及ぶ類似の範囲が狭いことを主張したり、特許庁に登録無効審判を請求したりする。
 このような場合、わが国の侵害裁判所は、意匠権の効力の及ぶ範囲をどのように解釈して定めているかについてまとめてみよう。この問題の裁判所における解釈には共通の基準はなく、前記した二つの判決例に示されるように様々である。

3.1 基本的形態除外説
 意匠の構造を見ると、まず当該意匠が固有する物品としての基本的形態というものがある。これは、物品がその用途、機能、性質などから本質的に有さなければならない属性としての形態であり、これを外しては意匠を現わす物品とならないものである。侵害訴訟では、まず登録意匠に固有の基本的形態は何んであるかの把握が必要となる。これらの基本的形態は、当該物品に通常、共通のものであるから、登録意匠の構成から捨象して考えなければならない。
(1) 「スプレーガン」をめぐる意匠権侵害事件において、東京高裁は、東京地裁が、被告意匠は視覚上最も強く印象づける本件登録意匠の基本的形態のすべてを具備しているから類似すると判断したことに対し、スプレーガンの構成が「全体的にピストル状の形態を採ることは、その機能から考えて極めて常識的な構想であり、その機能を全うするためには、いずれは本件登録意匠及び本件意匠のようにピストル状の基本的形態を採るものであるから、そのような形状はピストル式スプレーガンとしてありふれたものと考えるが相当である。」と認定した。その結果、両意匠の本体部分の形状は、本件登録意匠が華奢な感じ、被告本件意匠が頑丈な感じを与えるから、類似しないと判断した。そして、この高裁判決は最高裁によっても追認された(東京高昭48-2082号昭和50年4月2日判決・棄、最高昭50(オ)909号昭和51年11月19日判・棄)。(4)
 しかし、東京高裁が、専ら当該物品の機能上の推測に基いて当該物品の基本的形態を確定し、そのような形態を意匠の要部から除外し、細かい具体的形態の違いを要部と把握し、両意匠を非類似と判断したことは疑問である。
 後願登録にかかるスプレーガンの登録意匠の無効審決をめぐる審決取消訴訟事件の判決については、後述する。
(2) 「管の押環」をめぐる意匠権侵害事件において、大阪地裁は「右認定の両者の意匠にみられる一致点は、本件意匠の意匠に係る物品が一般に具有する基本形状ともいうべきものである」と認定した(大阪地昭48-3796号昭和51年1月27日判・棄)。(5)
(3) 「時計文字盤」をめぐる意匠権侵害事件において、東京地裁は「右共通点のうち、1.のほぼ正方形の薄い平板状であるとの点は時計文字盤としてありふれた形状であるし、2.の中央部に小円孔を有するとの点も指針を取り付けるという技術上の要請に基づく当然の形態にすぎない」と認定した(東京地昭51-1395号昭和52年11月14日判・棄)。(6)
(4) 「手袋」をめぐる意匠権侵害事件において、東京地裁は「本件登録意匠の構成のうち、請求の原因(二)1に記載の構成は技術的要請に基づく当然の形状であり、また同2及び3に記載の構成は本件登録意匠の登録出願前から礼装用手袋あるいは自動車運転用手袋に広く用いられ、いわゆるありふれた形状及び模様であってこれら1ないし3の構成はいずれも看者の注意を引く部分でない」と認定した(東京地昭46-9319号昭和54年3月12日判・棄)。(7)
(5) 「包装袋用ホック」をめぐる意匠権侵害事件において、大阪地裁は「本件意匠のような四部材からなる包装袋用ホック自体は、本件意匠出願前に公知であったことはもちろん、その意匠(形状)も物品本来の技術的機能に由来して必然的に決定される要素が極めて多いことが明らかである。したがって、本件意匠の類似の範囲も公知の意匠の存在や技術的機能に由来する必然の形状部分も多いことに鑑み、相応に制限して考えるのが相当である。」と判示した(大阪地昭54-2117号昭和56年1月28日判・棄)。(8) 
(6) 「保温着」をめぐる意匠権侵害事件において、名古屋地裁は「原告が本件意匠の支配的主要部と主張している点はいずれもこの種保温着の用途,機能に伴う必然的形状ともいうべきもので、保温着の基本的構成にすぎず、本件意匠の要部とはいえない」と認定し、これは名古屋高裁においても追認された(名古屋地昭51-273号昭和58年6月24日判・棄、名古屋高昭58-365号昭和60年8月12日判・棄)。(9)
 この登録意匠に対しては、登録無効審判が請求され無効の審決がなされたが、東京高裁はこの審決を取消した。その理由は、「審決が認定した両意匠の基本的形態や意匠の支配的主要部というものは、いずれも保温着の用途、機能にともなう必然的形状というべきものであるから、これが一致するというだけで、他の点の意匠的工夫、創作を顧慮することなく、両意匠の類否を決定するのは正当ではない。本件意匠と引用意匠とはその一致点を超絶して、なお看者の受ける美感を異にするものがあるから、全体的に観察して非類似であると解するのが相当である。したがって、本件審決は両意匠の類否に関する判断を誤り、これに基づいて本件意匠の登録を無効とした点で違法であるから、取消を免れない。」(東京高昭48(行ケ)3号昭和50年10月29日判・認)(10)である。
(7) 「鉄骨用吊り足場等」をめぐる意匠権侵害事件において、大阪地裁は、「意匠の要部とは、物品の機能に当然由来する形状の部分や公知の部分を除いた部分で、かつ看者の注意を強く惹くと認められる部分である」と判示し(大阪地昭61-11507 号昭和63年1月19日判・棄)(11)、これは大阪高裁及び最高裁においても追認された。
(8) 「ふとん干器」をめぐる意匠権侵害事件において、静岡地裁は被告が提出した公知意匠はいずれも本件登録意匠とは異なる物品に関するものであるから、本件登録意匠の権利範囲に何ら影響を与えないとして被告意匠を類似と認定し、原告の差止請求と損害賠償請求を認めた。これに対し、東京高裁は、本件意匠に係るふとん干器が、その出願当時「他に例を見ない新品種の商品で、その基本的形状は極めて独創的であり、本件意匠は、いわゆる原始創作意匠にあたるものであるとしても、本件意匠の出願当時他に例をみない新品種の商品で、その基本的形状は極めて独創的であり、本件意匠は、いわゆる原始創作意匠にあたるものであるとして、四辺形に組まれた数葉のフレームの一辺を束ねてその上下に固定具を配して、これら数葉のフレームを一体化している点に本件意匠の要部がある旨主張するが、仮に右ふとん干器が被控訴人ら主張のとおり新品種の商品であったとしても、物品の構成とそれに基づく作用効果が問題とされる特許権又は実用新案権の場合と異なり、意匠権の場合には、その意匠に係る物品についての当該意匠全体から受ける美感が問題とされるもので、新品種の商品であるからといって、ただちにその物品としての基本的構成部分に意匠としての要部があるとすることはできない」から、両意匠に共通する構成に本件意匠の要部があるとみるのは相当でないとして、原審判決を取り消し、請求棄却の判決をした。(静岡地昭54(ワ)282号昭和56年11月17日判・認、東京高昭56(ネ)3156号昭和58年5月16日判・認)(12)
 この事案は、たとえ原始創作的意匠に係る新種商品であっても、両意匠から受ける美感が違うことを理由に、その基本的形態に意匠としての創作性を認めなかった例であるが、妥当とは思われない。新種商品の創作に対しては、その創作性の高さを評価し、類似範囲を広く認めるのが原則であろう。

3.2  周知意匠除外説
 「スプレーガン」にかかる登録意匠の無効審決をめぐる審決取消事件において、東京高裁は、「一般に意匠の類否を判断するにあたっては、意匠を全体として考察することを要するが、この場合、意匠を見る者の注意を最もひき易い部分を要部として把握し、一般の需要者が誤認,混同するかどうかという観点から、その類否を決するのが相当である。この場合、意匠に一般にありふれた周知の形状が含まれている場合にはこの部分は、一般の需要者の注意をひくことはないから要部とはなり得ないことはいうまでもない。意匠に公知の形状が含まれている場合はどうか。公知の形状はそれが世間に知れ渡る度合の如何によってありふれた周知のものとなる場合もあり、そうでない場合もあり得る。したがって、この点を考察して要部となるかどうかを判断するのが相当であって、原告のいうように公知の部分は要部にはならないと即断すべきではない。」と判示した(東京高昭45(行ケ)66号昭和52年4月14日判・棄)。(13)
 この判示は、原告が、自己の登録意匠に対して引用された先願登録意匠は、すでにベルギー国の商工業所有権局図書館において公衆の閲覧に供すべく公開された特許明細書の図面に記載されたものと酷似しているから、その基本的形態は意匠の要部といえない、と主張したことに対して答えたものである。これは、意匠の要部の把握においては、世間に知れわたっている事実の度合によって、「公知」と「周知」の範疇とをそれぞれ分けて考えなければならない必要性を意味している。
 ところが、審決取消訴訟事件ではあるが、本願意匠と引用意匠との一致する基本的形態が周知の部分であるとしても、意匠構成上の要部となり得ることを認めた東京高裁の判決が、「断熱材被覆管用エルボー型カバー」についてある。この判決において東京高裁は次のように判示する。
 「意匠の構成のうちのある部分が周知であるとしても、当該意匠を全体的に観察した場合に、それが意匠全体の支配的部分を占め、意匠的まとまりを形成し、看者の注意を最も引くときには、なお右周知の部分も意匠上の要部と認められるのであって、意匠のうちの周知の部分は意匠の要部になりえないとはいいえないところ、本願意匠及び引用意匠は、これを全体的に見る場合に、前記意匠に共通する『基本的形態』が両意匠において、その構成の大部分を占め、意匠的まとまりを形成し、看者の注意を最も引くことは明らかである。したがって、本願意匠及び引用意匠において、両意匠に共通する前記『基本的形態』の部分が両意匠の要部をなしていると認めるのが相当であり、原告の前記主張は採用することができない。してみれば、本願意匠は、引用意匠とその要部を共通にし、前記相違点は両意匠の類否を左右するほどのものとはいえないから、両意匠は、これを全体として見るときは、共通した印象を与えるものであって、意匠として類似するものというべきである。」(東京高昭59(行ケ)135号昭和60年10月15日判・棄、最高昭和61(行ツ)9号昭和61年4月4日判・棄)(14)
 この判決でいわれている「基本的形態」とは、前記した物品の基本的形態をいうのか又は意匠の基本的形態をいうのか明確でないが、後者は前者を含む意味である以上、物品の基本的形態と意匠の周知的形態とを混合した意味で使っているように思われる。確かにこの両形態を区別することは難しい問題であるから、同列に考えても意匠権侵害事件においては実質的に問題はないが、この事件の高裁判決のように、周知的形態も意匠の要部となると認定されてしまうと、これとは別異のものである物品自体の基本的形態はどう把握したのかと問いただしたくなる。
 ここでは、周知的形態を意匠の要部に加えて類否判断をした事例を挙げたが、出願意匠は物品に構成された支配的形態が引用意匠と共通していたことから拒絶されたわけである。しかし、もしこれを意匠権侵害事件に適用すると、そしてもし本件登録意匠が被告提出の周知意匠とその基本的形態とが同一であれば、その基本的形態は登録意匠の要部から除外して意匠の要部を認定しなければならないであろう。

3.3  公知意匠除外・参酌説 
 周知意匠と截然と区別して公知意匠を見て登録意匠の要部を把握しているのかどうかは不明であるが、意匠権侵害事件においては、被告が多く刊行物を提出して登録意匠の全体又は部分に対し公知性を立証し、これによって登録意匠の類似範囲を狭める作業をするのが普通である。したがって、裁判例の中には登録意匠の要部の認定に際し、(1)公知意匠を積極的に除外するもの、(2)公知意匠を参酌するがこれを除外せず全体に含めて考えるものとが認めれる。
(1) 公知意匠除外説 
 大阪地裁は、枚挙にいとまもないほど、伝統的にこの立場を貫いている。
1. 「物干器具」をめぐる意匠権侵害事件において、同地裁は、「一つの意匠の要部ないし特徴がどこにあるかをみる場合、公知意匠にない新規な部分であって、見る者の注意を強く惹く部分であれば、そこにこそ当該意匠の要部ないし特徴があるといってよいと解される。」と判示した(大阪地昭53-4409号昭和56年10月16日判・認)、(15)。
2. さらに、「かわら」をめぐる意匠権侵害事件において、同地裁は、「本件意匠の基本的構成と具体的構成のうち、波形を、曲率半径の小さな小円弧形山部と、曲率半径が大きく緩やかな大円弧形谷部と、接続部からなるものとし、右波形の山部をその頂点を通る直立中心線の両側に左右対称形にし、その両側の同一長の接続部を解して左右対称形の谷部に接続させることは、本件意匠の登録出願前公知のものであったと認められる。したがって、右の各構成自体は、本件意匠の要部になるものではないというのが相当である。『かわら』という物品の性質をを考慮すると、このような波形のもたらす特徴が、最も目立ち易く、かつ、看る者の注意を強く引く部分であると考えられるから、右の点に本件意匠の要部があると認めるのが相当である。」と判示した(大阪地昭63(ワ)2485号平成2年3月6日判・棄)(16)
(2) 公知意匠参酌説
 前記公知意匠除外説が登録意匠の要部認定に際し、公知部分を明らかに除外し、創作性が認められる残部分を要部と把握し、これとイ号意匠とを対比して類否判断をするという考え方をとるのに対し、公知意匠参酌説は公知部分を明らかに除外することはしないが、類否判断に際しては無視に近い低い評価しかしないという考え方をとる。
1. 「弁当箱」をめぐる意匠権侵害事件の大阪地裁判決が、それを次のように明らかにしている。
 「もともと、公知意匠と類似しない意匠のみが意匠登録されるのであるから、登録意匠の要部を認定するにあたって、当該登録意匠の分野における公知意匠を参酌して、登録意匠のどの部分に創作性のある新規な部分があるのか、その程度はどのようなものなのかを把握して意匠の要部を定めなければならないのは当然といえる。ただし、右の公知意匠を参酌して要部を定めるということは、原告も主張するとおり、登録意匠の構成を分説して、そのうちで公知意匠に同様の構成部分を含んだものがあれば、ただちにその部分の構成は意匠の要部にならないことを意味するものではない。原告が、意匠の要部認定は、出願前公知の意匠を参考にして、ありふれた部分のウエイトを低く認識し、新規な部分のウエイトを大きく認識しながら、全体的な特徴を把握して行われるべきであるというのは正当である。」(大阪地昭62-8143号平成1年6月19日判・棄)。(17)
2. 登録意匠が多数の登録類似意匠を付帯している場合にはどのような判断がなされるかについて、大阪地裁は「薬品保管庫」事件において、次のように判示している。
 「類似意匠を参酌する場合も、当該本意匠または類似意匠が公知意匠との関係で創作程度が低いことが明らかになれば、そのことも考慮に入れたうえで参考資料とすべきである。公知意匠の内容いかんによっては、類似意匠を参考にして定められる類似の範囲も相応に限定されなければならない。 したがって、本件では類似意匠の参考資料としての価値も相応に限定して解さなければならない。 ただこれを参考にする場合には、右類似意匠と同一のものか少なくともこれと酷似するものについてのみ、本意匠との類似性を認めるという程度にとどめるべきである。 
 類似意匠全部を総合的に通覧した場合には、これら類似意匠の類似性は、本意匠の要部を申請人主張のような基本形状にあると考えることによってのみ、帰納される結論であるように思われることは否定できない(換言すると、特許庁の審査段階ではそのような見解が念頭にあったと推測しえないではない)。しかし、そのことと、後日裁判所が前示のような公知意匠の存在をも参酌して右のように解することとは、別個の問題であることはいうまでもない。」(大阪地昭55(ヨ)1069号昭和55年9月19日決・棄、大阪高昭55(ラ)542号昭和56年9月28日決・棄)(18)
3. 「自動車用ホイール」をめぐる意匠権侵害事件においては、横浜地裁(平1-2179号平成4年12月24日判・棄)も東京高裁民13部(平5-144号平成6年11月30日)(19)も、登録意匠の要部の把握に違いは認められるが、各構成部分に対し各公知の意匠部分を対応して公知の有無を認定し、「意匠的創作があると客観的に評価」(東京高裁)できる部分を要部と認定し、この要部を類似意匠も具備しているかを見るとともに、イ号意匠が具備しているか否かを考える手法は共通している。
 なお、この東京高裁の判決は、横浜地裁が被告主張の意匠登録無効論を登録無効の確定審決が「存しない本件では当然のことながら有効なものとして扱うべきである」と説示したのに対し、これらの箇所を削除した。しかし、「意匠の類否判断においては外観上現れる態様のみが問題なのであって、それが純粋に装飾的な目的で設けられたものか、あるいは実用的な意味を有するものかは本来類否判断とは無関係な事柄である。」と説示した箇所は残している。この中にあって、前者の削除については注目に価するというべきである。
(3) 部分的に公知形態が含まれている場合、東京地裁の多くの裁判例は、公知形態を含んだ全体について観察していたが、この考え方は、「物干し器具」をめぐる意匠権侵害事件において、神戸地裁は、「一般に意匠は全体として機能的に構成されているものであり、意匠の構成としての公知の部分が含まれていても、この構成部分が意匠全体から見て看者の注意を強く惹くといえる場合はなお要部たり得るものといえるから、本件意匠において下段物干し杆は、全体の構成から見て中心部分に位置し、その先端に「つ」字形クリップが形成されていることにより、意匠全体が看者に軽快な印象を与え看者の注意を強く惹く部分であり、本件意匠の要部である。」と認定した。(神戸地平5(ワ)1734号平成9年3月26日判・認)(20)
3.4  全部公知の意匠の場合
 登録意匠によっては、その形態の構成部分のいずれを見ても全部公知や周知という意匠がある。しかし、このような登録意匠の場合は、公知部分を寄せ集めた全体のまとまりに創作性があり、全体の形態そのものが要部となると考えることになろう。したがって、このような意匠の場合は、客観的な創作性の度合が低いことになるから、類似の範囲は殆んどないと考えることになる。このような登録意匠は、換言すれば、新規性がないという無効原因を含んでいることを意味する。
(1) 図面限定説(意匠同一視説)
 この考え方は、特許権侵害事件でいう実施例限定説(クレームに含まれる図面記載の構成に限定)と共通するものである。
1. 「消火栓ブロック等」をめぐる意匠権侵害事件において、大阪地裁は、本件登録意匠(一)は、出願前これと同一または酷似する基本形状を有する公知意匠が存したから、原告主張のような基本形状の点では特段創作性や独自の美的価値を認めることはできず、公知意匠を参酌して考えた場合、公知の形状の枠体の外周壁および鍔状部外周面に凹陥網目模様を附した点、即ち右形状と模様を組合せた点のみに存するというほかはないと認定し、「右登録意匠(一)が効力を及ぼしうる類似範囲は本意匠と同一視し得るほど酷似するものに限ると解すべきである。」と認定した。
「なお、未確定ではあるが、特許庁において、本件意匠権(一)は被告主張のとおり前記公知意匠(一)に類似し、意匠法3条1項3号に該当するとして無効の審決をしている点も、右意匠の類似範囲を考えるうえで無視し得ない事実である。」と付記している。さらに、「本件意匠(一)の類似範囲は、右登録意匠および前記類似意匠の各公報に示された意匠と同一といえるほど酷似したものに限られると解すべきところ、イ号物品の意匠が右登録意匠(一)ないし類似意匠と同一でないことは原告らの自認するところであり(両者の構成上の相違点は原告ら主張のとおりであり、れれについては争いがない。)、またイ号物品においては外周壁隅角部および鍔状部外周面隅角部のみならず内周壁隅各部も斜めに切り落とされているため、少なくともその平面視および底面視においては、角張った印象が薄れ全体的に本件意匠(一)と異なってやわらかな印象を与えるものであること、即ちその全体より生ずる美感ないし意匠的効果において異なるものがあることを考慮すると、イ号物品の意匠は本件意匠(一)ないしその類似意匠と同一視し得るほど酷似しているとは断じ難い。したがって、イ号物品の意匠は本件意匠(一)と非類似である。」(大阪地昭50-1388号昭和55年12月19日判・棄)(21)と判断した。
2. 全部公知ではないが、ごく僅かな構成部分にのみ相違が認められ、その他全部公知の意匠の場合についての判決例がある。
 「食品用蓋物」をめぐる意匠権侵害事件において、大阪地裁は「〈証拠〉に開示された公知の構成であり、また右1.ないし3.を組み合わせたこと自体には、特に新規で創作的な点を見い出すことはできないから、結局、本件意匠の構成A'は公知意匠の寄せ集めにすぎず、本件意匠の要部ということはできない。」と認定したほか、構成B',C',C'についてもいずれも新規な構成でないから本件意匠の要部とはできないと認定したが、残りのE'の構成を新規な形状と認め、この点だけが本件意匠の要部となり、イ号意匠と対比の結果、類似しないと判断した(大阪地昭62-2550号昭和63年5月31日判・棄)。(22)
(2) 自由意匠抗弁説 
 前記した「ゴム紐」事件の東京地裁判決は、この考え方を採っている。
 この説は、特許権侵害事件における自由技術の抗弁説に由来し、登録意匠に対しても特許発明に対すると同様の論法で、登録意匠の各構成態様に対し公知意匠を参照した結果、全部公知の場合に、当該意匠の実施の自由性を強調する。
 前記自由技術の抗弁説に対しては、東京地裁は特許権侵害事件において、「特許庁における無効審判手続を経ずして特許権を無効なものとして取り扱うことに帰着するが、このような取扱いについては何らの実定法上の根拠もなく、かえって、特許法の予定する制度の趣旨に反するものであって」と、批判する判決もある(「イオン歯ブラシ」事件東京地平1年(ワ)4033号平成2年11月28日判・認)。(23)
 さらに、実用新案権侵害事件においては、自由技術の抗弁を認めた判決例として「金属編み篭の縁編組装置」をめぐる大阪地裁昭42(ワ)412号昭和45年4月17日判・棄(24)がある。同判決は次のように判示する。「本件実用新案は、その登録請求範囲に記載の技術思想がそのまま出願時国内において既に公知公用のものであり、なんら新規な事項を含んでいないと認められるのである。出願時公知公用であった技術は万人共有の財産であるというべく、私権は公共の福祉に従うとの民法の大原則から考えても、それまで万人共有の財産であった技術について、実用新案権の名のもとに、一般にはその実施を禁止し、特定出願人にのみ独占行使せしめることがたやすく許されてよい道理はない。・・・・・ 本件実用新案権は前記認定の如くその考案がなんら新規のものを含まず、出願時公知公用の技術そのものを内容とするものであるから、このような場合においては、独占的権利行使の点については制約を受けることを免れず、単に出願時公知公用の技術を用いたに過ぎない商品を他人が製造販売する行為について、実用新案権者は右技術が自己が権利を有する実用新案の技術的範囲と一致する故をもって、右第三者に対し禁止権を行使することは許されず、第三者の右技術を用いる行為はなんら右実用新案権を侵害するものではないと解するのが相当である。」
 これに対し、大阪高裁昭45(ネ)603号昭和51年2月10日判・棄(25)は、自由技術の抗弁を認めると事実上、実用新案権を無効として取扱うことになるからと否定し、次のように判示する。「本件実用新案は、その構成要件が全て出願当時公知公用であったものである。かかる場合には、万人の共有財産である公知技術を用いることは何人も自由であるべきであるという工業所有権制度に内在する原理から、いわゆる広義の自由な技術水準の抗弁を是認すべきである、との見解があるが、右の意味における自由な技術水準の抗弁を是認するときは、結局実用新案の全てが自由な実施に委ねられることになり、実用新案権は形骸のみが残って内容の全くないものとなることに帰着し、事実上実用新案権を無効として取扱うことになるので、右の意味における自由な技術水準の抗弁を是認することはできない。しかし、元来万人が自由に使用しうべき考案につき、無効審決の確定がないことの故を以て実用新案権者に独占せしめることは、公衆の利益、産業の発展に反するものである。そこで、無効審決の確定がない限り裁判所としては実用新案を有効として取扱わなければならないという原則、すなわち登録実用新案の保護と産業の発展との調和(実用新案法第 1条参照)を図るためには、技術的範囲を実用新案公報に記載されている字義どおりの内容をもつものとして最も狭く限定して解釈するのが相当である。すなわち、実用新案の技術的範囲は厳格に記載された実施例と一致する対象に限られ均等物の変換すらも許さないものとして、最も狭く限定すべきである。」
 しかし、権利範囲を実施例に限定しなければならないとする法的根拠はないし、もし被告が実施例と同一の物や方法を実施していた場合には権利侵害といわざるを得なくなる。
(3) 権利濫用説
 前記した「建物用扉の把手」事件の大阪地裁判決は、この考え方を採っている。
 さらに、大阪地裁ではその前の「金属板」事件において、原告自身が本件登録意匠と同一の意匠を実施していた事実が立証されたことから、そのような意匠権に基く請求は権利の濫用となると判断し、すでにこの考え方を採っていた。
 「以上によれば、本件登録意匠の意匠登録出願前に、日本国内において本件登録意匠と同一の意匠(鋼板A及び鋼板Bの意匠が)公然知られていたというべきでらあるから、本件登録意匠は意匠法3条1項1号所定の意匠に該当し、その意匠登録は同法48条1項1号所定の無効事由のあることが明白といわなければならない。しかも、特許発明や登録実用新案に関する公知技術のようにその評価が各人によって分かれ得るというような問題とは異なり、原告が製造販売していた右鋼板A の意匠が本件登録意匠と同一でありその実施品であることについてはほとんど他の解釈を入れる余地がないものであるから、原告は、本件登録意匠が意匠法3条1項1号所定の意匠に該当し本来意匠登録を受けられないものであることを十二分に知りながら意匠登録出願に及んで意匠登録を受けたものといわざるをえず、かかる事情を参酌すれば、このような本件意匠権に基づいて差止請求をし、その侵害を理由に損害賠償請求をすることは、権利の濫用として許されないものといわなければならない(なお、被告は、「権利濫用」の主張を明示的にしているわけではないが、権利濫用を基礎づける事実が訴訟上顕れている以上、裁判所が原告の権利行使を権利濫用として排斥することは、弁論主義に反するものでない。)。」(大阪地平成6年(ワ)60号平成7年10月31日判・棄)(26)
 この判決は、最初にカッコ書きながら、被告によって権利濫用の主張が明示的に表われていなくても、それを基礎づける事実が顕れている以上、裁判所が原告の権利行使を権利濫用として排斥することは弁論主義に反するものでないとする付記は、最高裁昭和39年10月13日判決及び昭和43年12月25日判決(27)にしたがう注意的記載であろう。
 このような考え方は、すでに特許権侵害事件において、名古屋地裁によって判示されている(名古屋地昭49(ワ)1941号昭和51年11月26日判・棄)。(28)
 名古屋地裁の特許権侵害事件で裁判所が認定した事実は、原告は、訴外Aが出願し公告した「硝子容器製造方法」に対し異議申立をしたが、その後Aと協議して異議申立を取下げる代償として本件特許発明を共有にした。この原告が、被告に対して起した差止請求について、裁判所は、原告が先の異議申立時に入手していた公知事実の証拠があり、新規性がない発明であることを承知していたにもかかわらず、これを無視して権利行使をしたことから、次のように判示して請求棄却の判決をしたのである。
 「このような特許権があることにより、特許権者以外の者が公知技術を実施できないとするのは、第三者にとって不当な不利益を与える。しかも、Xはみずから異議申立をし、本件特許発明が新規性を有しないことを知っていたのに、共有契約をして異議を取下げ本件特許権を取得した。
 加えて、検証の結果によれば、Yの方法における第2割金形は、それ自体では芯合わせと接合位置保持の作用機能をもたず、この作用は、スピンドルにより同様の結果を得る前記証拠 2の米国特許方法に類する方法である載置台によってなされる。
 以上によれば、対象方法が本件特許発明の技術的範囲に属するか否かにつきさらに判断するまでもなく、Xの差止請求権の行使は、不当であって権利の濫用というべく、許されない。」
3.5  公知意匠無関係説
 意匠権の侵害訴訟においても、公知の部分を含んで登録意匠の要部を把握することを明確に認めた裁判例がある。
 「綛繰用舞輪」をめぐる意匠権侵害事件において、名古屋高裁は「意匠とは物品の形状、模様もしくは色彩またはこれらの結合であって、視覚を通じて人に美観を起こさせるものであり、意匠法は物品の外観を保護するものであるから、意匠の類似判断は外観類似に重きをおき、視覚による全体的観察により総合判断されるべきであり、対比される意匠にかかる物品の一部が公知公用に属する場合でもこれを全体として観察し、特別に美観を起こさせる部分、すなわち普通一般人の目に触れ、看る者の注意をひき易い部分(これを要部という)以外の部分的差異、または意匠の要部等から容易に着想実施しうる程度の特別に顕著でない差異は、これを参酌する要はないと解するを相当とする。」(名古屋高昭42-996号昭和46年2月12日判・棄)(29)と判示した。
 公知意匠の存在を無視し、これを無関係として登録意匠の全体と被告意匠との全体を対比して見て、同一の印象ないし美感を起こすものは類似の意匠であると判断している裁判例は、東京地裁及び東京高裁には多い。
 「自動車用ホィール」をめぐる意匠権侵害差止仮処分事件において、横浜地裁は本件登録意匠の要部を把握するに当たり、「公知意匠と比較対照して、本件意匠の新規性を有する点を特定することが必要である」とした上で、本件登録意匠の構成の特徴として挙げた8つの要素について、2つは最初から要部と認めず、他の6つについても新規性が認められないと認定した上で、これらの6つの要素を組み合わせた結果に新たな美感を認め、本件登録意匠の要部はこれらの「要素を併せ持つ点にあると一応考えられる。」 とした。これを前提として、イ号意匠とを対比した結果、本件意匠の前記要素を全部を有するから、「イ号意匠が本件意匠に相当程度類似した構成であることは否定し得ない」と考えながらも、当該物品の意匠は類似の巾が比較的狭い物品であることを考えると、両意匠の構成ないし美感の相違は、全体として対比した場合にも看過し得ないから、イ号意匠は本件意匠に類似しないと判断した(横浜地裁平成1(ヨ)853号平成3年12月25日判決・棄却)。(30)
 この横浜地裁の決定に対する抗告審において東京高裁は、より明確な対比判断によって、抗告棄却の決定をした(東京高民6部平4(ラ)17号平成4年9月24日判・棄)。(31)
 東京高裁は、本件登録意匠の全部の構成態様が周知ないし公知の部分を多々含んでいることを認めた上で、「意匠の類否判断には、これらの部分を含めたディスク部及びリム部の全体として意匠的まとまりが重要であって、その部分が意匠の要部から除かれるべきものではない」と判示した。その上で、両意匠を対比し、両意匠はその要部において差異があり、異なった美感をもつと認識されるから、類似しないと判断した。
 

 

4.創作力欠如の登録意匠の範囲

4.1 以上のように、登録意匠は公知・周知意匠との関係を重視しなければならないことは、多くの裁判例が明言しているところであるが、創作力の有無(意3条2項)の問題について触れているものは少ない。
 しかし、意匠法は、出願意匠が登録されるためには、出願前の公知・周知の意匠と類似するものであってはならないばかりでなく、「物品との関係を離れた抽象的なモチーフとして日本国内において広く知られた形状,模様若しくは色彩又はこれらの結合を基準として、それから当業者が容易に創作することができた意匠でないこと」(32)をも登録要件としているのであるから、侵害裁判所においても登録意匠に対するこの点からの検討は必要である。
 意匠権侵害事件において、創作力の欠如を問題にした裁判例としては、次の事案が見られる。(33)
4.2 「繊維テープ溶断ロール」をめぐる意匠権侵害事件において岐阜地裁は次の理由によって、本件登録意匠が創作力を欠如し無効原因があることを理由に、その範囲を図面どおりのものと限定解釈して意匠の類否判断をした。ここでは、特許権侵害事件における実施例限定説と共通する図面限定説をとっている。
 「本件意匠のロール本体をほぼ逆凸字状にした形状は、本件意匠権出願時において、超音波ミシンを用いる当業者の間では周知であり、また、本件意匠の上半分の外周面の模様も、円弧を波状につないだ模様と、その波の線の内側にほぼ平行して小さな点を並べたものであって、同様に日本国内において周知の模様と認められる。
 そうすると、本件意匠は、その意匠の属する分野における通常の知識を有する者が、日本国内において周知の形状及び模様に基づいて容易に創作することができたものであり、したがって、本件意匠権は、意匠法3条2項により、無効原因があるものといわの知識を有する者が、日本国内において周知の形状及び模様に基づいて容易に創作することができたものであり、したがって、本件意匠権は、意匠法3条2項により、無効原因があるものといわなければならない。
 ところで、このような無効原因を含む意匠権の効力については、意匠権が権利として成立している以上、無内容のものとして扱うことはできないが、意匠権保護の目的に照らすと、その範囲は、意匠公報に記載された字義どおりに限定して権利が付与されたと解するのが相当である。そこで、これを本件にあてはめて考えると、本件意匠は点線による波線が連続しているのに対し、イ号物件は不連続であり、また、本件類似意匠とロ号物件については、短線状模様の本数が異なっているなど、いずれも、詳細に比較すると明らかにその意匠は異なっているから、イ号物件及びロ号物件は、本件意匠権を侵害するものではない。」(岐阜地昭63(ワ)379号平成3年11月27日判・棄、名古屋高平3(ネ)746号平成5年1月26日判・棄)(34)
 この地裁判決の時点では、すでに特許庁から登録無効の審決がなされ、東京高裁へ審決取消訴訟が請求されていたところ、名古屋高裁の審理中の平成4年11月26日に請求棄却の判決があり、これが確定していた。したがって、名古屋高裁は、控訴人の本訴請求はその根拠を欠くことになるとして、請求棄却の判決をしたのである。
4.3 わが国の意匠権侵害訴訟においては、被告が登録意匠の創作力の欠如という高度な問題を争っている事案は、前記のほかに殆んど見られない。しかし、登録意匠の実質的な有効性も争われる意匠権侵害裁判所においては、登録要件としての創作力の有無を被告側が争うことは、公知・周知意匠との類似性の有無を争うことと同様に必要事であろう。しかし、権利侵害となるか否かの争いは、意匠が類似するか否かだけで決まることである。
 すでに述べたように、特許権侵害訴訟においては、特許発明の特許要件の欠如について、被告は、当該特許発明は新規性を欠くとともに進歩性を欠くことを理由に権利侵害とならないと主張することが多い。
 進歩性の判断には、特許庁においてもある程度審査官の自由裁量によるところがあるから、当該発明分野に関する彼らの知識経験・世界観などによって個人差のあることは事実である。まして裁判所においては、調査官の意見を借りるにしても、進歩性の判断は裁判官にとって困難な問題であろう。(35)
 しかし、意匠の創作力の有無の判断については、手がかりとして特許庁の具体的な「審査基準」があるから、特許発明の進歩性の判断のような困難さはないであろう。
 

5.学 説 等

 特許権侵害事件においては、特許権の有効性を争う被告の主張に対し、裁判所が判断を示すことが多いことから、特許権の有効性の争いと侵害の有無をめぐる論文は多いが、意匠権侵害事件について扱った論文は少ない。(36)
5.1 まず設楽隆一判事は、意匠権侵害事件における公知意匠参酌説について、「登録意匠の要部となる部分がすべて一つの公知意匠に現れている場合は、それを登録意匠の要部とは認定できないということであり、例えば登録意匠の要部となる構成ABCについて、構成Aが第一公知意匠,構成Bが第二公知意匠,構成Cが第三公知意匠にそれぞれ現れているとしても、公知意匠の組み合わせにより新規な意匠となることもありうるのであり、構成ABCを有する公知意匠は存在しないのであるから、構成ABCを登録意匠の要部として認定することを妨げるものではない。同様に、登録意匠の要部となる構成ABCの一部である構成Aのみが公知である場合も、公知意匠参酌説によっても、構成ABCを登録意匠の要部として認定することは差し支えない。この点は特許発明が全部公知の場合と同様に解してよいと思われる。」(37)と述べられる。
 また、「意匠は公知意匠と類似しない意匠のみが意匠権として登録されるのである(3条1項)から、公知意匠と比べたうえで新規な部分でかつ取引者又は需要者の注意を強くひく部分も意匠の要部として認定すべきである。したがって、前記第一の基準により、物品の性質、目的、技術的機能、使用態様からみて、一見、見る人の注意を強くひく部分が、例えば当該意匠の構成ABCの部分であると見えるような場合でも、公知意匠として構成ABCの意匠が存在している場合には、その登録意匠はあくまでも公知意匠とは類似しない意匠であると認められて登録されたのであるから(3条1項)、その意匠の要部すなわち取引者、需要者の注意を強くひく部分としては、例えば右の構成ABC以外の構成DEも含まれるものとして認定すべきである。」と述べられる。そして、このような全部公知の登録意匠の場合について、「登録意匠の要部を構成ABCの部分にあるとし、この部分を共通する意匠はすべて登録意匠に類似するとすれば、公知意匠(構成ABCのもの)まですべて登録意匠に類似する範囲に含まれることになる」から、意匠法1条や3条1項に規定する意匠法の基本的考え方と相容れない、と解される。(38)
さらに、このような場合に、被告意匠の構成もABCから成り立っているとすれば、被告は公知意匠を実施していると解されるから、意匠権の禁止的効力は被告意匠に及ばないと考えることについて、特許権侵害訴訟における見地から、実施例限定説(39)、訴訟手続中止説(40)、自由意匠の抗弁説(41)、の三つの説をあげられる。
5.2 最初に紹介した「ゴム紐」をめぐる意匠権侵害事件の東京地裁判決は、被告実施の意匠が、被告提出の公知意匠と実質的に同一の意匠であったことから、被告らに自由意匠の抗弁(「自由公知意匠の抗弁」と呼ぶ。)を認め、原告による差止請求権の行使を認めなかった。
 特許発明の全部公知の場合の技術的範囲の解釈について、諸説される竹田判事は、実施例に限定する限定解釈説と自由技術の抗弁説との違いを、前者は「特許権が全部公知であることを主張立証する必要がある」が、後者は「自己の使用する技術が出願当時公知技術であったことを主張立証すれば足りる点で両説は相違する。」と述べられる。(42)
 大瀬戸豪志教授は、意匠の「自由技術の抗弁(公知技術の抗弁説)」の許容について、「全部公知の特許発明等の場合と同様の問題があり、現行法上この抗弁を無条件に認めることは困難であろう。」と述べられる。(43)

5.3 「金属板」に関する意匠権侵害事件において、大阪地裁判決は権利濫用説を採った。
 この考え方について、清永利亮判事は、「実施例に限られるという議論を取るよりも、自由技術の抗弁などという方がまだわかりやすいし、寧ろ権利濫用の法理で原告の請求を棄却する方がもっともわかりやすい、我々の常識に合致する様な感じがするのです。」(44)と賛成される。
 また、竹田稔判事は、「特許発明が全部公知の場合、対象物件(方法)について侵害行為であるとして、差止あるいは損害賠償を請求することは、権利の濫用として許されない場合があるとするのが民事法秩序に支配される特許権の行使の問題として最も適切であると考える。」(45)とされる。
 大瀬戸教授は、前記名古屋地裁判決が、原告の差止請求権の行使は不当であり権利の濫用というべきことを理由に請求を棄却したことに対し、「権利濫用の法理は、権利自体に瑕疵はないがその行使方法に問題がある場合に適用されるものであるのに対し、ここで問題となっているのは、権利の本体に瑕疵があるが、権利の行使態様は通常であるというケースであり、行為態様に関わりなく権利濫用の法理を用いることはできないとしてこれに反対する説もある(中山信弘『工業所有権法(上)』356頁、遠藤浩「権利濫用の抗弁」特許判例百選〈第2版〉184頁)。いずれにしても、注意しなければならないのは、右の名古屋地裁判決が、単に特許発明が全部公知であるということだけでなく、その特許権の取得の過程に権利濫用としての要素を見ている点である。」(46)と述べられる。
 そして、大瀬戸教授は前記意匠権侵害事件の大阪地裁判決について、権利濫用の法理によって差止請求権の行使を制限した名古屋地裁判決を援用し、「本件判決もまた、自らの実施によりすでに公知となっており、本来意匠登録を受けられないものであることを十二分に知りながらその意匠について意匠権を取得したという過程に注目して権利濫用としたものであり、その点で両者は共通する。このことは、全部公知の登録意匠の意匠権に基づく差止請求権等の行使に対して権利濫用法理を適用するためには、たんなる公知という事実のみでは足りないということを意味する。」と述べられる。これについて渋谷達紀教授は、同誌において、「本件の事案は、権利者が無効原因の存在につき悪意があったと言えるものであり、権利濫用説によるには適切な事例であった。」(47)とフォローされている。
5.4 特許権侵害訴訟において、特許権は特許発明の構成要素が公知技術から成るものであれば、その要素は技術的範囲から除外され限定解釈をされるのが最高裁のみならず大審院以来の判例であり、(48)もし全部の構成要素が公知のものであるならば、実施例に限定するという解釈がとられることが一般的であるといわれている。(49)
 牧野利秋判事は、このような場合は「特許権の行使は認めるべきではない。」と述べられながら、「その技術的範囲は明細書に記載された実施例に厳格に一致するものに限定されるとして侵害態様に特許権の効力が及ばないとの結論を導き出す裁判例が有力である。」(50)と述べられるが、被告物件がそのような実施例と全く一致している場合は、侵害が成立するとしなければならないとする合理的な理由は示されていない。
5.5 そこで、さらに一歩進んで、近時、侵害裁判所においても、無効事由のある特許発明については「特許無効の抗弁」を認め、それを理由とした請求棄却の判決をすべきである、との主張が増えている。即ち、特許権侵害事件については、すでに羽柴隆弁護士(51)と田倉整弁護士(52)から特許当然無効論の論文が発表されている。これと同じ流れを汲み、筆者は、意匠権侵害事件においても「意匠登録無効の抗弁」を認め、権利の無効性を宣言して請求棄却の判決をするのが妥当ではないかと提唱したのである。(53)
 しかし、すでに羽柴弁護士は、先の名古屋地裁の特許権侵害事件における差止請求権行使の濫用判決に対する“研究”において、「少なくとも、特許実用新案意匠権の侵害問題においては、当該権利に係る発明考案の新規性欠如が明白であれば、当然無効を認めないにせよ、濫用を認めてよいと考える。」(54)と述べられ、すでに意匠権侵害の場合についても特許権侵害と同列に考えられている。
 羽柴弁護士の持論は、特許当然無効論を侵害裁判所が宣言することを期待しているが、この“研究”の中では、「特許侵害事件を扱う裁判所は、問題になっている特許発明が公知技術そのものだと認定できるようなときには、その特許を無効と判断して、権利者からの差止請求を否定する理論が是認されるようになることを望んでおり、また自由な技術の抗弁が許されるようになることを望んでいる(拙稿・公知技術と特許当然無効・企業法研究昭和42年9月号12頁,同・権利保護範囲確定に関する考察方法2.・特許管理19巻2号61頁,同旨・法学協会雑誌87巻11,12月号1094頁に見られる中山信弘氏の報告・自由な技術の抗弁を認めるものとして、牧野・特許権侵害差止仮処分手続の特殊性・実務民事訴訟
講座5の263,4頁)。」(55)と述べられる。
 同弁護士は、その後発表された論文において、「私法及び行政法の根底にある無効の理論を前提として」これまでの裁判所の消極的な考え方を批判され、特許当然無効論を主張される。そして、民主主義のもとでは三権が互いにチェックし合う機能を果す必要があるから、「侵害系裁判所が難事件に積極的に取り組んで、司法の行政に対するチェック機能を果たすことを期待したい。」(56)と述べられる。
 前記した「自動車ホィール」の意匠権侵害をめぐる別の仮処分事件において、横浜地裁は別件同様に申請却下の判決をした(横浜地平1(ヨ)932号平3年12月25日判決・棄却)(57)。これに対する抗告審で東京高裁は、イ号意匠に対しては非類似の判断をしたが、ロ号意匠に対しては類似の判断をした(東京高民18部平4(ラ)19号平成4年9月8日判・一認)(58)。この抗告審判決において高裁は、本件登録意匠に対する登録無効事由の相手方の主張について、「無効審判請求が特許庁に係属中であるが、同登録を無効とする確定審決がない現段階においては、当然のことながら、これを有効なものとして扱うべきところ、無効事由の存在が明らかで登録無効の審決が下される蓋然性が高い場合には、本件仮処分申請はその必要性を欠くものというべきである」として、すすんで無効事由について検討した。その結果、公知のホィールの意匠は本件意匠に類似しているものとまでは認めることができない、と相手方の主張を退けた。
 この事案では、相手方から提出された公知意匠の証拠は、本件登録意匠の新規性の欠如を認定するだけの決め手に欠けていたが、これがもし決め手となり登録無効となる蓋然性が高いと認定されたときは、当然無効を理由に仮処分の必要性がないとして申請却下の決定をしたであろうか、興味のあるところである。

 

む す び

 登録意匠の構造を観念的に観察すると、少なくとも次の四つの形態層から成るものと分析することができる。(59)
(1) 物品自体が存在するために本来固有している基本的形態 
(2) 当該物品において、古くから広く知られている周知的形態 
(3) 当該物品において刊行物等に公表されたり、公然と知られている公知的形態
(4) 創作活動によって創作した形態 
 このうち、物品の基本的形態というものは、概念的には物品の用途、機能、性質等の属性からある程度把握することができるであろうが、周知的形態との違いは必ずしも判然としないし、また周知的形態と公知的形態との間には具体的に判然と区別できないものが多い。事実関係についていえば、周知とは誰もが知っているから殆んど立証の必要がないほどの形態、公知とは誰もが知っているとはいえないから立証が必要な形態、ということができよう。
 また、侵害裁判の実際においては、意匠の周知的形態とは物品の基本的形態とほぼ同様に考えられる場合が多い反面、公知の形態とは截然と区別される場合がある。
 侵害裁判所における当事者間の攻撃防御の中に提出される登録意匠の出願前における各種の資料を分析しなければならない裁判所に与えられる使命は、まず登録意匠を構成する前記のような各種形態による構造を把握し、これらに前記資料を照合することである。
 その結果、登録意匠を構成する形態の一部又は全部について、意匠法3条1項又は2項に該当する事実が明らかになったときは、登録意匠の意匠権の効力範囲について熟考しなければならないことになる。即ち、意匠権の実体である登録意匠の形態が前記資料を照合したときに、どのように変貌するかを見極めなければならないことになる。意匠の要部の把握というものは、このような熟考の末にできるものである。意匠は創作である以上、この要部の把握は裁判における真実の発見に通ずるものである。
 このような場合は、登録意匠が有する創作性は限定されたものであることが明らかであることから、この要部を被告意匠が具備しているか否かを判断すれば、問題は解決することになる。
 ところが、このような要部を把握できる創作性の残らない登録意匠が判明する場合がある。いわゆる全部公知の新規性の認められない登録意匠である。あるいは、場合によっては寄せ合わせた結果に創作力が認められない登録意匠である。
 このような登録意匠に対しては、意匠法は第48条1項1号で登録無効の審判を請求する道を開いている。しかし、特許庁における無効審判も、それが確定するまでは有効のものであることを考慮すると、侵害裁判所は審決が確定するまで訴訟手続を中止することは到底できないであろう(意匠法52条で準用する特許法168条2項)。
 すると、侵害裁判所において、もし当該意匠権に無効原因の存在の心証が得られたときは、権利範囲の解釈に腐心することはなく、その権利の無効性を宣言し、それを理由として請求棄却の判決をされるのが、法的妥当性と法的正義に適うと考えるべきであろう。
           ×      × 
 この論文は、筆者が「パテント」1995年5月号に発表した「意匠権侵害訴訟における登録無効の判断」をベースにして、新たに書き下ろした1997年12月に発行された富岡健一先生追悼記念論文集「知的財産法の実務と研究」に発表した同一題名の論文であり、それを殆んどそのまま掲載したものである。この古い論文を今日あえて再発表した理由は、このテーマにあるような事件が意匠権侵害の世界においても増えて来ていること、すでに発表した論文の本が限定版であって市販されていないこと、そしてこの論文の内容は時代錯誤のものでないどころか、今日的要求に十分こたえることができるものであるからである。 大方の実務者にとってそのまま役に立つ事件の紹介となっているからである。 

 


(1) 特許ニュースNo.9306
(2) 特許ニュースNo.9618
(3) 中島信一弁理士は、弁理士会の「特許と商標」(「パテント」の前身)の昭和9年7月号(3巻7号)において「当然無効の特許を論ず」を発表され、司法裁判所における特許権の当然無効論を展開された。この中島論文は、この問題を扱ったわが国最古のものでないかと思う。
(4) 無体裁集7巻1号79頁.牛木理一「判例意匠権侵害」105頁
(5) 特許管理判例集昭513. 733頁
(6) 特許管理判例集昭521. 295頁.拙著前掲 383頁
(7) 特許管理判例集昭541. 10頁.拙著前掲 47頁
(8) 特許管理判例集昭562. 1頁.拙著前掲 304頁
(9) 無体裁集15巻2号523頁.拙著前掲 65頁
(10)審決取消判決集昭50 1667頁
(11)特許管理判例集昭633. 1頁.拙著前掲 574頁
(12)無体裁集15巻2号373頁.拙著前掲 143頁
(13)拙著前掲 111頁
(14)審決取消判決集昭60 1272頁
(15)無体裁集13巻2号664頁.拙著前掲137頁
(16)特許管理判例集平2 2. 71頁.拙著前掲 608頁
(17)特許管理判例集平1 3. 385頁.拙著前掲 176頁
(18)無体裁集12巻2号514頁.拙著前掲 225頁
(19)刊行物未登載
(20)知財管理判例集平95. 2314頁
(21)特許管理判例集昭552. 299頁.拙著前掲 541頁
(22)特許管理判例集昭633. 126頁.拙著前掲 171頁
(23)無体裁集22巻3号760頁
(24)無体裁集2巻1号151頁
(25)無体裁集8巻1号85頁。この事件は上告審の口頭弁論終結時にすでに当該実用新案権を無効とする審決が確定したことから、上告人の請求を失当として棄却した(最高昭和57年3月30日判)。
(26)知的裁集27巻4号736頁
(27)民集18巻8号1578頁、民集22巻13号3548頁
(28)判例時報852号95頁
(29)無体裁集3巻1号19頁.拙著前掲443頁
(30)刊行物登載不明
(31)刊行物登載不明
(32)最高昭45(行ツ)45号昭和49年3月19日判・棄(可撓伸縮ホース無体裁集2巻1号16頁
(33)特許権侵害事件において、新規性のみならず進歩性の欠如が争点となる事案は多いが、進歩性の欠如をも考慮することに積極例と消極例とがある。文献として、鎌田義勝「進歩性の欠如と技術的範囲の解釈」裁判実務大系(9)154頁、松本重敏「特許侵害訴訟と進歩性欠如の主張の可否」特許管理Vol.37 No.10 1231頁がある。
(34)刊行物登載不明
(35)この問題について、竹田判事は権利濫用の法理の適用に関連して、「前記の権利濫用の法理は、特許発明が公知技術の寄せ集めにすぎない場合も同様である。発明の同一性と進歩性とで決定的な差異があるとすることはできない。ただ、進歩性の判断、特に各公知技術の結合による技術的思想の創作の容易推考性は専門的な技術問題であり、侵害訴訟における審理の結果進歩性のないことが明白となる場合は極めて例外的であろう。」知的財産権侵害要論(改訂版)83頁と述べられる。
(36)設楽隆一「意匠権侵害訴訟について」特許管理37巻11号1373頁、牛木理一「意匠権侵害訴訟における登録無効の判断」パテントVol.48 No.5 p.43。本稿は、この旧稿を基本にして展開している。
(37)設楽前掲1373頁
(38)設楽前掲1375頁
(39)前掲設楽は、「薬品保管庫事件」、「道路用消火栓ブロック事件」を例挙される。
(40)この場合、被告は対抗上、十分な証拠をもって意匠登録無効審判を請求していなければならない。(意匠法52条で準用する特許法168条2項)
(41)設楽前掲 143頁
(42)竹田前掲71頁
(43)大瀬戸豪志「無効事由のある意匠登録に基づく意匠権の行使」ジュリスト臨時増刊No.1113 253頁
(44)清永利亮「侵害訴訟における補佐人の役割」パテントVol.43 No.6 p.28
(45)竹田稔「知的財産権侵害要論(改訂版)」80頁
(46)大瀬戸前掲 255頁
(47)渋谷達紀「無体財産権法判例の動き」ジュリスト臨時増刊 No.1113 244頁
(48)最高昭和37年12月7日判・棄、最高昭和39年8月4日判・棄。
(49)田倉前掲47頁、羽柴前掲1503頁
(50)牧野利秋「特許発明の技術的範囲の確定についての基本的な考え方」裁判実務大系(9)91頁
(51)羽柴隆「特許侵害事件における裁判所の特許無効についての判断権限(1) (2) 」特許管理Vol.44 No.1 p.1501, No.12 p.1689 
(52)田倉整「歪められた権利範囲論」パテントVol.47 No.5 p.44 
(53)牛木前掲パテントp.56
(54)羽柴「特許権にもとづく差止請求権行使の濫用が認められた事件」特許管理判例研究100号記念号143頁
(55)羽柴前掲判例研究142頁
(56)羽柴前掲特許管理1669頁
(57)知的裁集24巻3号586頁
(58)知的裁集24巻3号550頁
(59)牛木「判例意匠権侵害」5頁

[牛木理一]