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2020年10月1日



 
近 況 雑 感

1.9月12日(土)の全国紙朝刊には、注目すべき最高裁判所発信の人事異動の記事が掲載されており、知的財産高等裁判所所長の高部眞規子さん(63才)が、高松高等裁判所の所長に栄転されることになりました。高松市は高部判事が昭和62年4月に高松地裁の判事補として勤務されていますが、高松高裁は、四国4県に存在する地裁が出した判決の控訴事件を取り扱う場所であります。

 島根県出雲市出身の高部判事は高校時代は歌手竹内まりやさんの兄と同期生であったと私に語ってくれましたが、この兄はアマチュアのギターリストとしてモズライトファンであったということを、私はフィルモアの遊佐典之さんから生前に聞いていました。その竹内まりやさんらの実家は、出雲大社近くの割烹旅館であるというのです。

 高部判事の異動後の知財高裁所長には大鷹一郎判事(4部)がなりました。

 高部判事の司法裁判所内における地位は高くなっても、特許法,意匠法,商標法及び著作権法に関する法学研究は勿論続けられることに変わりないと思っていますから、新著書の刊行もあると思います。私はそれ以上に期待したいのは、新論文の発表です。

 

.私にとっては懐かしい顔写真が、9月30日(水)の朝日新聞朝刊の13頁に大きく出ていました。その人の名は山本庸幸さんですが、2019年まで司法の最高位の最高裁判事をされていた人ですが、その前は行政の最高位の内閣法制局長官でした。それよりも、われわれ弁理士や弁護士の中では「要説 不正競争防止法」の著書で有名人です。

 私が山本さんに偶然出会ったのは、彼が特許庁の法制審議室に転勤されていた若い頃であり、特許庁の旧庁舎の正面入り口の玄関近くにあった部屋でしたが、当時、私は立法上の問題となっていたコンピュータプログラムの保護は特許法でやるべきか著作権法でやるべきかの論争が国会であり、私は、紋谷暢男教授が著作権法による方がよいとの見解を朝日新聞の論説欄に発表されたことの妥当性に賛成したことを同紙の「声」欄に投稿したのでしたが、それを見た特許庁改正審査室から電話があり、一度来てくれと言われたので、訪庁した時にそこで山本さんを紹介されたのです。当時、私は日本弁理士会政治連盟(弁政連)の会長(4代目)をしていましたから、その影響力もあると考えたのでしょうか、特許庁の担当者は私を呼んで見解を聴取したかったようです。

 その際、私は名刺を渡しただけで、彼がその後、法制局長官や最高裁判事になるような人材であるとは考えていませんでした。特許庁には一寸いただけで、その後は経産省に戻って不正競争防止法の立法化のための作業に入られたようでした。立法者である山本さんの著書は現在でも改訂版が書店で販売されており、この法分野の学者として有名になっているのです。

 

3.私は今年7月1日号の本欄において、ノーベル賞授章者の本庶佑さんのことを書きましたが、その本庶さんに対し、大阪国税局から2018年までの4年間で約22億円の申告漏れを指摘されたというのです。

 その理由は、がん免疫治療薬「オプジーボ」を製造販売する小野薬品工業から支払われたであろう特許権の使用対価について、本庶さん自身は低すぎるとして受け取らなかったのですが、小野薬品工業としては、その対価分をとりあえず地方法務局に供託したというのです。(朝日新聞2020年9月10日25頁)

 これに対し国税局としては、所得税の追徴額は過少申告加算税を含めて約7億円とし、意図的な逃れではないとして重加算税は課されなかったというのですが、しかし、法的正義の立場から考えてみれば、債権者の都合による一方的な供託という手段に対して課税することは矛盾ではないでしょうか。新聞記事によれば、本庶さんは税理士や弁護士に相談したというが、なぜ弁理士には相談しなかったのでしょうか。弁理士ならば大阪国税局に対していろいろと反論が出来たと思います。

 

4.戦後のフランスを代表するシャンソン歌手のジュリエット・グレコさんが同国ラマチュエルの自宅で9月23日に死去されました(93才)。

 戦後のパリで文化人らが集まったサンジェルマンデプレ地区で、哲学者のサルトルやメルロポンティや作家のカミュらと交流し、キャバレーで歌手として登場していました。持ち歌として「枯れ葉」「パリの空の下」など哀愁を帯びた歌を得意としましたが、女優としても活動し、詩人のJ.コクトーが監督した「オルフェ」や作家サガンの小説を映画化した「悲しみよこんにちは」など1950〜1960年代に多くの作品に登場しましたし、戦後日本のシャンソンブームの火付け役となり、何回も来日し公演をされていました。その頃、私も見に行った記憶があります。(朝日新聞夕刊2020年9月24日10頁)

 ちなみに、わが国の若手歌手であった守屋浩さんが前立腺がんのため9月19日に死去されました(81才)。1959年発表の「僕は泣いちっち」が大ヒットしましたが、彼はホリプロ第1号のタレントでした。伊東市の施設で療養していたというのです。

 

5.9月に入ると、上越新幹線の列車が清水トンネルを抜けて越後湯沢駅を通過すると、黄金色に染まった広大な稲田圃が目に入って来て、これがわが国でNo.1の高品質を誇る「魚沼産こしひかり」だと思うと感激します。今年はこの地方は台風雨の影響もなく大豊作であるようです。新潟県中の魚沼郡は北部も南部も冬は積雪が多いから圃場は十分純粋な水分を含んだ土壌になっていることが、米穀の質を高める要素になっているのだと思います。私牛木の先祖は、浦佐という駅のある南魚沼市(旧浦佐町)の出身ですが、牛木は他に上越市(高田市他)の出身者もいます。現在、新潟大学の学長をされている牛木辰夫さん(前医学部長)はこちらの出身と聞いています。浦佐駅からは越後三山と呼ばれている八海山,中ノ岳,駒ケ岳がよく見えます。

 今は新米の時期ですから、「新之助」という商標の越光が販売されています。

 

6.私は東京駅のKIOSKで出身地の「新潟日報」紙をよく買いますが、本日朝買った「日報」12頁に小学校生徒のための「ゆめ」の記事欄があり、面白い記事が出ていました。新潟市北区の濁川小学校4年生の森山陽仁くんの「ゆめ」は、「ぼくの未来のゆめは、発明家になることです。なぜなら、今はない物を作りたいからです。例えば、かすを出さない黒板のチョークや、消しかすの出ない消しゴムなどです。それを作るために、さまざまな研究をしたいです。また、本をたくさん読んで、いろいろなことを調べたいです。理科の学習では、実験道具を使って実験をします。未来に役立つように、今の学習もがんばっていきたいです。」森山くんは将来、このような発明家を助ける職業である弁理士になりたいと思うことを期待したいです。そのためには、社会科の勉強も好きになって下さい。(2020年10月2日追記)

 

 

 

7.今月の「裁判例研究コーナー」では、次の3件について紹介いたします。

 

(1)出願商標「色彩商標・油圧ショベル」拒絶審決取消請求事件:知財高裁令

   和2年8月19日(4部)判決<請求棄却>➡G−286

(2)登録商標「GUZZILLA」無効審決取消請求事件:知財高裁令和2年8月

   20日(1部)判決<請求棄却>➡G−287

(3)出願商標「位置商標・くし」拒絶審決取消請求事件:知財高裁令和2年8月27

   日(3部)判決<請求棄却>➡G−288

 

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