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2016年8月1日



 
近 況 雑 感

  今年も猛暑お見舞い申し上げます。

  暑さに負けずに頑張りましょう。

 

さて、今年の夏は、地下鉄(霞ヶ関駅)を降りて財務省と文科省との間の三年坂を歩く時、蝉時雨に会うことがありません。その原因は、梅雨時に猛暑が来たりして、蝉が脱皮するタイミングを忘れたりしたことにあるといわれていますが、財務省側には土壌や樹木がなくなり工事用の建物などが建っているからでしょうか。向かい側の経産省側には樹木があり、蝉は鳴いています。

          

私は毎年8月になると、やはり少年時代の体験から戦争と空襲を想い出さざるを得ません。

 しかし、日本軍が真珠湾を空襲したのは米軍の軍事施設に対するものであって、オアフ島やハワイ島の住宅地ではありませんでした。ところが、米軍が日本列島の各地を空襲したり攻撃したのは、専ら市民が住む住宅地であり、軍港などではありません。

 ただ日本軍は中国大陸などにおいては、市街地や市民を対象として空襲や攻撃をしていますから、戦時中の日本軍の行為は米軍のそれと変わりないようです。ということは、戦争というものは、相互の殺し合いや破壊行為であり、正義のためなどという大義名分などはないのです。

 だからこそ、わが国は敗戦を機に立法した日本国憲法に、「戦争放棄」の規定を第9条に設置したのであり、大学法学部の出身者でなくても、この規定のことはよく承知しているはずです。私は、この規定を、国連憲章に導入してほしいと以前から思っており、そのことは本欄(2014年8月1日)でも書いています。韓国人である現在の国連総長に対し、敗戦国のわが国政府は提案してほしいのです。さらに言えば、仮に現行憲法を国民の多数の声によって改正することがあるとしても、第9条だけは死守してほしいのです。

 これを書くに当たり、書棚から再び寿岳章子さんの「ひたすら憲法」(岩波書店 1998)という本を取り出して読みました。私は寿岳文章という英文学者が書いた文学の本質を論じた著書を学生時代に読み、多くの人生哲学を学んでいましたので、その先生の娘さんであろうと氏名を見て思いました。戦時中は、女子は東大や京大には入学できなかったが、東北大は以前から門戸を開放していたから、文学部に入学したというのです。戦後は京都に戻り、京大の大学院(旧制)に入学されました。

 その後、章子さんは、母親の寿岳しづさんを説得して、「憲法を守る婦人の会」の代表幹事になってもらった(昭和40年5月3日)とのことですが、実際の活動は章子さんが中心でした。この本は、女性から見た戦争と平和を自身の体験を通して論じ、併せて男女平等の基本的人権について論じているのです。

 たまたま書斎の机上の積み重ね状態を休日に整理していたら、寿岳章子さんの朝日新聞の切り抜き記事を見つけましたが、これは彼女の「惜別」の記事でした。死去は2005年7月13日(81才)でした。同記事によりますと、彼女は「日本語と女性の問題を取り上げ、モノいう女、自立する女の力強いチアリーダーであったと評されていたのです。」(8月29日追記)

 

3.話題は変わりますが、東京都豊島区椎名町にあったアパート「トキワ荘」といえば、手塚治虫ら多くの若手漫画家が生活していた場所であり、現在はその跡地に日本加除出版社の建物があり、この本館4階ホールでは、時々、「トキワ荘塾」が開催されており、7月2日(土)には、トキワ荘通い組1号であった永田竹丸さんの講義がありました。テーマは「どんぐり会と新漫画堂がマンガ史に遺したもの」でした。

 また、老朽化で1982年に取り壊されたマンガの聖地「トキワ荘」が復元されることになったというニュースが、朝日新聞(2016年7月8日 38頁)に写真入り発表されました。豊島区によりますと、跡地から北西へ約200mの南長崎花咲公園に、当時とほぼ同じ延べ床面積約420uで外観もほぼ同じ大きさの建物を建てるというのです。オープンは2020年3月であり、内部はマンガやアニメのミュージアムになるというのですが、展示内容はこんご検討会議で話し合うとのことです。当時のトキワ荘は木造モルタル2階建てで、部屋は4畳半、炊事場とトイレは共同で、風呂はなかったそうです。

 

 手塚治虫は大阪府豊中市の出身(1928年)ですが、5才の時、家族は宝塚市に引っ越しています。小学生時代から昆虫採集に熱中し、「治虫 オサムシ」のペンネームは、この頃からつけていたのです(本名:治)。戦時中の1945年(17才)には旧制中学4年で卒業し、大阪大学付属医学専門部に入学し1951年(23才)に卒業し、1952年には医師国家試験に合格しています。

 しかし、1946年(18才)にはすでに東京の小学生新聞に連載を始めていましたし、中央で活躍することは地方のマンガ家の憧れでありましたから、1947年(19才)には上京し、母親の実家のある上北沢に住み始め、1948年(20才)には『ロスト・ワールド』を、1949年(21才)には『メトロポリス』を、そして1950年(22才)には「漫画少年」に『ジャングル大帝』の連載を始めたのです(1954年まで)。この連載が終了するとすぐに、『鉄腕アトム』の連載が始まりました(1968年まで)。この間、手塚は医者になろうかマンガ家になろうか悩んでいましたが、母親の「自分の好きな道を進みなさい。」のアドバイスで決意したということです。

 その後、マンガ家としての仕事がより多忙になったことから、仕事の拠点を東京とし、あちこち移転した後、1953年(25才)に前記「トキワ荘」に住み始めたのです(1954年10月まで)。

 すると、このアパートには、寺田ヒロオ,石森章太郎,赤塚不二夫,藤子不二雄という若きマンガ家たちが入居し、マンガ界の梁山泊として後年有名になったのです。手塚治虫はその後、豊島区雑司ケ谷のアパート「並木ハウス」に移りましたが、「並木ハウス」は現在も当時のままの姿をとどめているそうです。(以上につき、藤子・F・不二雄「学習まんが人物館手塚治虫」小学館 1996年/竹内オサム「アーチストになるな―手塚治虫」ミネルバ書房 2008年/手塚治虫「ぼくのマンガ人生」岩波書房 1997年)

 

ところで、7月にはいろいろな有名人の死去が報道されました。1人は7月7日に永六輔(83才)さんさんで、大往生だったそうです。私にとって彼は放送作家というより、作詞家のほうが親しいし、長年ラジオのコメンテータをしても有名です。中村八大とのコンビで第1回レコード大賞をとった水原弘の「黒い花びら」(1961)、やはり中村八大とのコンビで坂本九の「上を向いて歩こう」(1961)や梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(1963)などの名作があります。永さんは、過日死去した野坂昭如と俳優の小沢昭一とで結成した「中年御三家」と呼ばれていました。

 もう1人は、7月12日に死去したジャズ評論家でタレントの大橋巨泉(82才)さんです。巨泉さんは2001年に民主党(党首・菅直人)から参議院の比例区にトップ当選しましたが、同党とは考え方が合わず、6か月後に辞職しました。巨泉さんの妻寿々子はジャズシンガーでしたが、新潟県燕市の出身です。

 さらに、7月26日には国際的ピアニストとして若い時から有名な中村紘子(72才)さんが死去されましたが、私もその昔一どだけ、どこかのコンサートホールで演奏を聴いた覚えがあります。

 また、「ザ・ピーナッツ」の妹の伊藤ユミ(75才)さんが5月18日に死去しましたが、姉の伊藤エミはすでに数年前に他界していました。

 悲しいお知らせだけかと思いきや、7月31日に行われた東京都知事に小池百合子さん(64才)が当選したことは、前知事の金銭がらみの人格との違いが期待される人物ですから、嬉しいお知らせとなったと思います。都が行う行政にはコストのかからない節約財政の道を進めていくことと、特に新製品の開発研究をしている中小企業への支援や特許等の出願費用への補助を増加する予算を組んでいただきたいと思います。 

 

 

5.今月の「裁判例研究コーナー」では、次の7件について紹介します。

 

(1)「楽曲演奏」禁止等請求事件:東京地裁平成28年5月10日(民46部)判決

   <請求棄却>➡D−112

(2)登録意匠「膣圧回復治療用具」意匠権侵害差止等請求控訴事件:東京地裁

   平成28年5月18日(民29部)判決<請求棄却>➡A−67

(3)特許出願「殺傷犯罪防止刃物」拒絶審決取消請求事件:知財高裁平成28年

   5月30日(4部)判決<請求棄却>➡I.1−9

(4)登録意匠「ロッカー用ダイヤル錠付き把手」意匠権侵害損害賠償請求控訴

   事件:大阪高裁平成28年6月10日(8民)判決<請求棄却>

   ➡A−65−1

(5)登録商標「吉村流」無効審決取消請求事件:知財高裁平成28年6月29日

   (4部)判決<請求棄却>➡G−218

(6)登録商標「極真 KYOKUSHIN」他5件商標権侵害差止等請求事件

   :東京地裁平成28年6月30日(民47部)判決<請求棄却>➡F−60

(7)出願商標「FIT」拒絶審決取消請求事件:知財高裁平成28年7月20日

   (4部)判決<請求棄却>➡G−219

 

     

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