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2021年1月1日



 
近 況 雑 感

謹賀新年

 

 弁理士の業務は、依頼者のために文と理のシナジー効果を発揮する仕事をすることを使命としているものと心得ており、同時に知的財産法分野の諸問題を、知恵を絞って本質的に研究することを本分としております。

 今年は丑年ですから、よろしくお願い申し上げます。

 

1.上越新幹線の「とき号」に乗ると、各座席背後のネットの中に月刊誌「トランヴェール」が置いてありますので、私は時間があれば新しい情報を求めてページをめくることがあります。

 昨年12月15日朝に東京駅から新潟へ行くために乗車した「とき号」の座席背後のネットに入っていた前記雑誌をぱらぱらめくる前に目次を見て驚いた。「いいコト、駅から」とテーマに「帯織駅」という見出しが出ていたのです。現在駅員はおらず、無人駅舎となっている「帯織駅」の写真と記事を見て、駅名は残っているこの古い駅舎には「Ekilab帯織」というテーマが付いていて、「無人駅に誕生した利用者と職人をつなぐものづくりの交流拠点」と記載されているのです。

 しかし、私にとって「帯織」という名の駅は母の実家がある場所であり、少年時代に当時住んでいた長岡市や新潟市からよく遊びに行ったし、戦後、百姓をしていた叔父さんたちの家から闇米をもらって新潟市へ帰った思い出のある駅なのです。また、私とすぐ下の弟とは、長岡空襲によって疎開させられた場所が帯織の家であり、当時は大面村(おおも村)の大面小学校に転校させられたのです。帯織は長岡から30分くらいかかりましたが、新潟からは新津経由ですから60分くらいかかったと思います。

 現在の帯織駅は三条市となっていますが、現在も蒲原平野の田圃や畠のど真ん中にある無人駅となっているのです。

 その駅舎が前記したようなもの作りの職人が作業する場所に変化したことは嬉しいことです。帯織駅よ、がんばれ!

 

2.私は現在、神奈川県大和市に住んでいますが、隣接地に綾瀬市があり、そこにはものづくりの中小企業が集積していることを朝日新聞第2神奈川版で知りました。そこでは、1971年に藤沢市で創業し、2年後に綾瀬市に移住して始めたのがさびにくく表面処理した「鉄鍋」を製造している「株式会社ナウ産業」が紹介されていました。この会社は、自動車部品から建築金物まで幅広く製造する技術力を生かし、一般消費者向けに開発したのが「鉄鍋」だというのです。

 鉄鍋というと、私の出身地の新潟県の燕三条が産地といわれていましたが、神奈川県の地元にも技術力を生かした鍋メーカーがあったのです。

 社長の今寿義さん(46才)は、鉄鍋だけではなく「Tetsu(テツ)」ブランドとして商品を増やしていきたいというのです。(朝日新聞2020年12月23日22頁)

 

3.私は以前、黒川弘務・元東京高検検事が新聞記者らと賭けマージャンをした問題を本欄で取り上げましたが、黒川氏を告発した市民団体が12月24日に東京都内で会見を開き、検察が不起訴(起訴猶予)としたことは「身内に甘い処分だった」と批判し、市民感情に照らして起訴すべきであると訴えていたのです。

 そこで、検察審議会としては、「黒川元検事長は起訴相当」と議決するとともに、新聞記者ら3人の不起訴も不当」と議決したと各紙は報じていました。(産経新聞2020年12月25日・朝日新聞2020年12月25日)

 

4.もう1つは、産経新聞記者が、新潟日報社のニュースサイトから産経新聞社の大阪本社発行の同紙朝刊等で写真を盗用していたことが明らかになった、と朝日新聞12月25日25面で報道されていたのです。あの大新聞社が一地方紙のニュースサイトから著作権侵害行為を行っていることは許せない行為であります。しかし、これは単に言葉で謝罪すればすむ問題ではないし、産経新聞社は自社の社説「主張」か「産経抄」において堂々と謝罪すべきなのです。 

 

5.TV番組の「笑点」のメンバーとして元気な姿を長年見せていた林家こん平さんは新潟県長岡市の出身でありますが、昨年12月17日に誤嚥性肺炎のため死去されました(77才)。彼は、「笑点」の1966年の放送開始から大喜利に出演し、あいさつで「チャラーン」と叫び「越後生まれ」「出稼ぎ落語家」と名乗るなど地方出身の庶民派として親しまれていました。1980年に師匠林家三平が亡くなってからは一門を率いたのです。(朝日新聞2020年12月22日34頁)

 同紙の同ページには「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著書で有名なエズラ・ボーゲルさんが12月20日にマサチューセッツ州ケンブリッジの病院で死去された(90才)という記事が掲載されていました。知日派の著者として有名であり、自宅には「ボーゲル塾」を設置していました。

 

 

6.もう1人歌謡曲で有名な作詞作曲家・中村泰士さんが肝臓ガンのため12月20日に死去されました(81才)。中村さんは最初は歌手としてデビューされたのですが、その後は楽曲の制作で活躍し、ちあきなおみさんの「喝采」や細川たかしの「北酒場」で日本レコード大賞を受賞したのです。園まりの「夢は夜ひらく」や桜田淳子の「わたしの青い鳥」や五木ひろしの「そして・・・めぐり逢い」などの作品を創作しています。

 さらに、偶然ですが、細川たかしの「北酒場」の作詞家のなかにし礼さんが、12月23日に心筋梗塞のため、東京都内の病院で死去されました(82才)。なかにし礼さんのことは、以前にNHKのラジオで彼の生い立ちや家族とのことについて私は聞いてたのですが、両親は北海道から中国の旧満州に移籍したので、1938年に満州(黒竜江省)で生まれ、終戦後帰国され、礼さんは明治大学に入学され、20才でシャンソンの訳詩を始めたのです。21才の時に出会った石原裕次郎の勧めで作詩家に転向したのでした。

 また、2000年には「「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞されましたし、満州からの引き上げ体験を元に描いた「赤い月」はNHK朝の連続TV小説の原作となったのです。「日本という国家に3回見捨てられた」と壮絶な引き上げ体験を作品にしたり、講演で語ったりして、平和や反戦への強い思いを訴え続けたのでした。喪主の妻中西由利子さんは、歌手のいしだあゆみさんの妹だと思います。(以上、朝日新聞2020年12月26日33面から)

 私としては、なかにし礼さんの作詞した主なヒット曲を以下に記載しておきたいと思います。いずれの歌手の歌声も聴く者に強くアピールするものです。

           

(朝日新聞2020年12月26日33面から)

 

 

7.今月の「裁判例研究コーナー」では、次の3件について紹介いたします。

 

(1)出願商標「おかめ等」拒絶審決取消請求事件:知財高裁令和2年9月24日

   (3部)判決<請求棄却>➡G−293

(2)出願商標「POET ポエット」拒絶審決取消審決取消請求事件:知財高裁

   令和2年10月8日(3部)判決<請求棄却>➡G−294

(3)登録商標「2UNDR」商標権侵害差止等請求事件:東京地裁令和2年10

   月22日(民46部)判決<請求棄却>➡F−78

 

 

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