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2018年6月1日



 
近 況 雑 感

1.このHPにおいて私はかつて書いたことはないと思いますが、大学時代の1年次における教養科目の「文学」の部では、東京帝国大学出身の松浦一先生の「英文学」を選択しました。松浦先生が当時使用していたテキストは「生命の直路」(学芸書房)という題名の著書であったから、一見して英文学とは関係がない宗教学の講義かと最初は思ったほどでした。しかし、松浦先生には旧著として「文学の本質」・「文学の絶対境」などの文学論はありますが、松浦先生がわれわれに教えてくれたのは、あらゆる神の神、あらゆる宗教の宗教を探求することの人生論であったと思っています。大学の入学案内書には松浦先生については、旧制一高で夏目漱石の後の「英文学」の講義を担当されたと紹介されていたのです。

 また、私が大学1年次に下宿していたのは練馬区小竹町で、松浦先生の自宅は偶然にも近くの林の中の住宅地にあったのです。少し離れた所には武蔵野音楽大学がありました。

 漱石はその後、旧制の五高や松山高に勤務されたが、小説はその頃から書き始められたようです。すると、漱石は小説家ではなく、英文学者であったのかと知らされたので、後輩の松浦先生の「英文学」の講義にはますます関心を持ったのですが、講義の内容は文学の本質に迫る濃厚なものであり、週一の講義が待ち遠しかったのでした。

 松浦先生は歌人でもあり、多くの短歌を集めた書籍も発行されています。

 前段で長くなりましたが、最近見た新聞広告の山本貴光著「文学問題」(幻戯書房)

の紹介記事に「誰も読み解けなかった夏目漱石『文学論』を『現代語訳+解説』で完全読解」とあったから、松浦先生の文学論には先輩の漱石の影響があったのかを調べるために購入してみたのです。しかし、松浦先生の文学論は全く出ていませんでした。

 

2.ドイツの哲学者カール・マルクスは、今年5月5日が生誕200年になるそうですが、高さ5.5mのマルクス像を中国政府が彼の出身地のドイツ南西部のトリーアに寄贈した式典が5月5日に行われたそうです。

 ところで、マルクスの思想を私は学生時代に斉藤信治先生が書かれた「若き日のマルクス」を読み、彼は基本的にはヒューマニストであったことを教えられました。(斉藤信治先生の著書で有名なのは、実在主義哲学の先駆者であるキェルケゴールの「死に至る病」(岩波文庫)ですが、私は個人的には、大学卒業後、弁理士となって新潟市へ帰った年の夏休みに、斉藤先生を郷里の酒田市へ訪ね、一杯ご馳走になりました。)

 マルクスについてユンケル欧州委員長は、「マルクスを理解するためには、彼が生きた時代を理解しなければならないのです。彼は陰謀のためではなく、平等の実現のために力を尽くしたのだ」と功績をたたえた、と朝日新聞(2018年5月6日7頁)は書いています。ということは、彼はまさにヒューマニズム思想を本質に有する哲学者であり、そこからエンゲルスと共に「共産党宣言」を著したのでありますから、今日の中国政府による人民の基本的人権を無視した思想とは、まったく相容れない思想なのです。その人権思想を中国の国家主席は理解せず、彫像をマルクスの生誕地へ寄贈したということは皮肉なことであり、ヒューマニズムを本質とする真の共産主義思想をよく学ぶべきなのです。

 

3.5月1日号の本欄で、13才の金子桃夏さんの「戦争体験を伝えてほしい」(4月4日朝日新聞「声」)の投書を紹介しましたが、これに対する声が群馬県の中野浜子さん(85才)から出ていました(5月5日朝日新聞「声」)。中野さんは13才頃に戦争と引き揚げを体験し、また4年間は学校へ行くことができなかったと書いています。上野駅にやっと着いた時に、3歳くらいの男の子が中野さんに配られたおにぎりを取って行ったというのです。そして、その子を目で追うと、悪臭ただよう上野駅の地下道で浮浪児が重なるように列を作って寝ていたのですが、彼らは親を亡くした戦災孤児でした、と中野さんは書いています。そして、高齢にもかかわらず、命のある限り戦争体験の語り部を続けますと強調されていました。

 このような語り部の仕事は、子供時代に戦争体験した今の大人の子孫に対する責任であり義務なのです。だからこそ、日本国憲法の「第2章 戦争の放棄」の規定を廃止してはならないのです。

 語り部となられたかどうかわかりませんが、鹿屋体育大学の初代学長の江橋慎四郎さんは、昭和18年秋の雨降る明治神宮外苑で行われた出陣学徒壮行会で、戦地に赴く学生を代表して答辞を読み上げたことで知られている東京帝大在学中の学生でありましたが、5月8日に心不全で死去されました。97才でした。戦争の犠牲者にならなくてよかった  と感謝していることでしょう。

 さらに「『火垂るの墓』見て決めたこと」と題した投書が、岐阜県の中学生佐久間ゆら(13才)さんから出ていました(5月11日朝日新聞「声」)。佐久間さんは、テレビで見て一番心に残ったのは爆弾が雨のように落ちてくる場面で、「こんな時代に生まれなくてよかった」と感じたというのです。そして、戦争が起こらないようにするために様々な本を読み、起こったことやその原因を知って他の人々に伝えていきたいと言っています。

 先の金子さんやこの佐久間さんはいずれも中学1年生であると思いますが、戦争することによって起こる悲劇を展開してはならないことは、日本国憲法第2章「戦争放棄」の文字に象徴されており、第9条はその中の唯一の規定なのです。

 いずれにせよ、わが国の憲法についての知識は、子供の頃から身につけることによって、世界の平和と人民の基本的人権の重要性を知ることができるのです。

 

4.元長岡空襲殉難者遺族会会長の新井淳夫さんが5月1日に敗血症により長岡市の病院で死去されました(84才)。新潟県長岡市出身の私は、昭和20年8月1日夜の米軍による空襲によって羅災した者ですが、新井さんは、戦後、長岡市が「戦災資料館」を設立した時の関係者の1人でした。

 新井さんの死去記事と並んで、前回お知らせしたアニメ映画界の高畑勲さんの「お別れ会」の案内記事が新潟日報に掲載され、5月15日三鷹市下連雀1の三鷹の森ジブリ美術館で開かれ、委員長は同僚の宮崎駿さんでした。

 

5.さらに今月号においても不幸のお知らせをしなければなりません。「からすのパンやさん」などで知られている絵本作家のかこさとし(加古里子)さんが、5月2日に慢性腎不全で死去されました(92才)。加古さんは1926年福井県越前市生まれで、東大工学部卒で、終戦後は昭和電工に勤務しながら、医療や教育に困難をかかえた人々を支援する「セツルメント活動」に力を注いだというのです。

 加古さんは、最晩年まで創作に意欲を燃やしたが、背景には戦争への反省と平和への願い、将来を担う子供たちへの思いが強くあったといわれています。

 また、創作意欲は衰えず、1月には3冊の新刊絵本を出版訴、「今も新作の構想がある」と語っていたというのです。

           

 

 政治評論家の1人である岸井成格(しげただ)さんは肺腺がんで73才で死去されたが、毎日新聞社の主筆をやられた後、TVのコメンテーターとして歯切れの良い論評を長年されていたから、私は好きな評論家の1人でした。

 また、芸能人では朝丘雪路さん(82才)と西城秀樹さん(65才)がいます。

            

6.前から噂されていたエレキギターの名門「ギブソン」が経営破綻したというニュースを見たが、B.B.キングやジョン・レノンなどが愛用していた名器のメーカーであるから、海外事業から撤退して経営再建を目指すといわれています。私は個人的には、「MOSRITE」ギターの再興を願っています。

            

7.今月の「裁判例研究コーナー」では、次の2件について紹介します。

 

(1)商品形態「ユニットシェルフ」不正競争行為差止請求事件:東京地裁平成

   29年8月31日(民46部)判決<請求認容>/知財高裁平成30年3月29日

   (1部)判決<請求棄却>➡C1−76−1

(2)「ロールケーキ」標章・不正競争行為差止等請求事件:大阪地裁平成30年

   4月17日(21民部)判決<請求認容>➡C2−37

 

 また、第1.5 特別論文「インダストリアルデザイン―その美と保護の研究―」の第3回分を今月号に発表しますので、お読み下さい。➡1.5−5,6

 

8.このHPに掲載されている私の論文,論説には著作権が与えられていますので、無断複製を禁止いたします。引用される場合には、必ずその出所を明記して下さるようにお願いいたします。 All Rights Reserved.


 
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