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2021年7月1日



 
近 況 雑 感

1.古い話ですが、わが国の太平洋戦争の指導者を裁いた極東国際軍事裁判でA級戦犯となった7人の最高戦犯への死刑が1948年に執行された後、火葬されましたが、その遺骨はどうされたかについて、新聞は6月8日(火)の朝刊で、遺骨は米軍将校によって太平洋に散骨されたという報告が記載された米国公文書が発見されたと報道していました。この公文書とは、米軍占領下でのA級戦犯の遺骨の扱いが詳しく記された貴重な資料だというのです。(朝日新聞2021年6月8日27面)
 この事実について「海でひそかに遺灰をまく」とした理由については、GHQの外交局長を務めたW・シーボルトはその著書「日本占領外交の回想」に「死刑になった指導者たちの刃かが将来、神聖化されることのないように、遺灰はまき散らすことになっていた」と記しているというのです。

                 (朝日新聞2021年6月8日27面)

 

2.さて、わが国で「エレキの神様」と呼ばれていた茨城県土浦市出身の寺内タケシさんが6月19日に横浜の病院で肺炎のため死去されました(82才)。寺内タケシは、1975年1月に米国のザ・ベンチャーズが初めて来日して演奏した時に、デビューしたのです。その「寺内タケシとブルージーンズ」というバンドが、2020年4月に私の山小屋がある静岡県函南町の文化センターにおいてコンサートを開いたのですが、これが最後の外部でのコンサートであり、それ以降は病気のため休業していたのです。寺内タケシのギターのことは、私は裁判事件で商標権侵害の対象となった「MOSRITE」のことで調査したことがありましたのが、わが国ではエレキギタープレーヤーの第一人者であったのです。

 寺内タケシは、ザ・ベンチャーズのノーキー・エドワーズともよく共演していたのです。

             (新潟日報2021年6月25日23面)
 余計なことを書いたら失礼かも知れないが、次に逝かれるのは「エレキの若大将」の加山雄三さんでないことを祈ります。彼は病気を克服したようですが、東京オリンピック大会で聖火リレーを、故郷の茅ケ崎や隣の藤沢市の道をトーチを持って走る予定であったのを拒否されました。身体の健康第一を選んだのでしょう。

 

3.昭和20年8月1日の米軍B29による「長岡空襲」の語り部の1人として有名な金子登美さんが自宅で亡くなっていたことが6月10日に関係者の話で判明しました(87才)。
 金子さんは11才で空襲に遭い、父と姉とを失われましたが、長岡戦災資料館の運営ボランティアを長年務められ、空襲体験や戦時中の日常生活を語り継いできたのです。
 私自身も資料館で、金子さんの話を聴きましたが、常に笑顔をたやさずにゆっくりと話されていました。
 戦災資料館の関係者が、9日自宅を訪れた時に亡くなっているのを発見したというのです。

                (新潟日報2021年6月11日28面) 

 

4.以前にも何度か書いたことがありますが、戦時中の空襲などによる民間被災者の救済を求める全国空襲被害者連絡協議会は6月16日、東京で臨時集会を開き、今国会で救済法案の提出が見送られ、成立しなかったことについての見解を発表しました。空襲で負傷した被害者には保証がなく、超党派の国会議員連盟が昨年、存命の被害者に1人50万円を給付する法案の要綱をまとめていたのです。対象者としては約4600人を想定しているといわれています。(朝日新聞2021年6月17日27面)
 議連会長の自民党の河村建夫元官房長官は二階俊博幹事長に協力を求めると、われわれの時代で解決すべき議題である、と前向きの反応を示したというのです。野党も法案提出にむけて一致しており、当事者にも期待感が広がったのであります。今後に期待しましょう。
      (朝日新聞2021年6月29日10面より)

 

5.私は現在、神奈川県大和市の鶴間駅前のマンションに自宅をおいていますが、その隣の「南林間」という駅の南口に繋がる道路には、自宅のあった方向に「NEGISHI ROAD」という名称の車道が設置されているのである。その根岸英一さんは、2010年にノーベル化学賞を受賞されましたが、当時、根岸さんは米国パデュー大学特別教授であったのです。受賞の対象は、プラスチックや医薬品のような有機化合物を効率的に作る反応法を編み出すのに貢献したことにあります。
 根岸さんは旧満州の長春生まれで、湘南高校から東大工学部に入学して、帝人(株)に入社した後、1960年にはフルブライト奨学生として米国留学した後、帰国後は帝人を退社し、パデュー大学の博士研究員となったのです。この根岸英一さんは、米国インディアナ州で6月6日に死去されました(85才)。米国では葬儀はせず、来年日本で埋葬される予定であるというのです。

        (朝日新聞2021年6月12日夕刊6面)
 根岸さんは、かつての母校大和市立大和中学校の卒業生であることから、ノーベル賞受賞後の2012年と2016年と2017年の3度にわたって、母校で講演をされています。また、同校には根岸さんの品物や写真をおさめたコーナーが設けられています。

     (「タウンニュース」大和版 2021年6月18日No.1207)

 

6.著名な音楽家の小林亜星さんが5月30日に心不全で死去されました(88才)。亜星さんは東京都出身ですが、慶応大学医学部に入学され、その後経済学部に転部されたという秀才ですが、その後、作曲家という音楽家に転職されたという変わり種です。
 その後、俳優としてTVで活躍された人物ですが、私としては都はるみが歌った「北の宿から」という歌謡曲の作曲家として有名であると思っています。歌謡曲といえるものはこれ一つしかないのです。亜星さんはまた、CMソングやアニメソングの作者としても有名なのです。

        

 (産経新聞2021年6月15日24面) 

 

7.私は、自身では演奏しませんが、昔からジャズ演奏のファンであります。そのジャズ音楽分野で2人の有名人が死去されました。その1人は戦後わが国のジャズの草分けと言われていたサックス奏者の原信夫さんであり、6月21日、肺炎による呼吸不全で死去されました(94才)。原さんは、富山県出身ですが、第2次世界大戦中に海洋音楽隊に入隊し、戦後は、ジャズミュージシャンの道に進み、1951年には「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成され、毎年8月頃になると日比谷公会堂や文京区の区民ホールで開催された「サマージャズフェスティバル」には出演されていたのです。また、原信夫さんは、美空ひばりの「真赤な太陽」の作曲家でも知られています。

                (朝日新聞2021年6月23日26面) 

 

8.知財法関係の裁判官の人事異動がありましたので、お知らせします。札幌地裁所長の本多知成さんは、知財高裁部総括判事になりました。また、東京地裁部総括判事の森英明さんは札幌地裁所長に昇任されました。(7月1日付) 

 

 

9.今月の「裁判例研究コーナー」では、次の1件について紹介いたします。

 

(1)登録商標「ざんまい」無効審決取消請求事件:知財高裁令和3年4月14日

   (1部)判決<請求棄却>➡G−308

 

 

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